039:銀貨と野心
商人どもが出て行った後、客間に組合の職員が駆け込んできて告げた。
「いま、シスター・ルミエルと名乗る方が、受付へおいでになりましたが」
おお、無事にここまで辿りついたか。
「俺の連れだ。通してやってくれ」
「かしこまりました」
ほどなく、職員に連れられて、ルミエルが客間へ入ってきた。
「アークさまぁ!」
荷物を放り出し、いきなり嬉しそうに抱きついてくるルミエル。
「心配したんですよ。突然、ひとりで飛んでいってしまうんですから。でも、無事でよかった……」
目にうっすら涙を浮かべながら、安堵したように微笑む。一時的にとはいえ離ればなれになってしまって、色々不安だったんだろうな。
「ああでもしなきゃ、間に合わないと判断したんでな。驚いたか?」
「そりゃもう。でも、凄いですね。勇者って、空を飛べるものなんですか」
「……まあな」
実際にはアエリアの魔力のおかげだが、詳しく説明するのは面倒だ。ここは、そういうことにしとこう。
「ブラストの首は持ってきたか?」
「はい。桶ごとバッグに入れて持ってきました」
「よし。といっても、いまとなっちゃ、あの賞金もはした金みたいなもんだがな。金があるに越したことはないから、貰っておくが」
「どういうことですか?」
俺はルミエルに、さきほど商人どもから受け取った手形を見せた。たちまちルミエルは目を丸くして驚嘆の声をあげた。
「すごい……! どうしたんですか、これ!」
「俺が斬り殺した竜どもの死骸の売却代金だ。いつでも換金できるぞ」
「そ、そういうことですか……! 大きいお城がひとつ丸ごと買えちゃうくらいの金額ですよ。もう一生お金に困らないんじゃないですか?」
「旅をしてりゃ、今後もどんどん必要になってくるさ。それに、おまえだって、もっともっと贅沢したいだろ?」
「ええ、それはもちろんです」
普通の女なら、ここはちょっと控えめな反応をするんだろうが、あっさり肯定してくるのが、いかにもこいつらしい。可愛いやつだ。
俺たちはソファに並んで腰かけ、組合職員が運んできたお茶など啜りながら、ひとしきり前後の状況を語りあった。
「……ほう。途中で検問があったのか」
「ええ、街の少し手前で。担当官がエルフの女性だったので、お誘いを振り切るのが大変でした……」
「相手には、お前が絶世の美女に見えてるわけだな?」
「ええ、絶世の美少女に」
微妙に言い直しつつ、話を続ける。いやおまえトシいくつだっけ……って聞くだけ野暮か。
「もう下心丸出しで、ボディチェックとかいいながら、体中触られてしまって……私も、ついつい、気持ちよくなってきて、あやうく禁断の領域に踏み込んでしまうところでした」
「……実はもう踏み込んだんじゃないのか?」
「い、いいえ! 踏み込んでません! ちょっと、ちょっとだけ、その、先っぽが入っただけです!」
頬を染め、首をぶんぶん振りながら否定するルミエル。
なにがどこに入ったと……。いやまあ、これ以上は追及しないでおこう。
廊下のほうから響く足音。サントメールが、例のボディガード二人を引き連れ、客間に姿を現した。
「おお、これは驚いた。シスター・ルミエルじゃないか」
サントメールは、少々意表を突かれたような顔つきで声をあげた。ルミエルはおだやかに微笑んだ。
「三ヶ月ぶりですね。伯爵さま。ご息災のようでなによりです」
おや。こいつら顔見知りか。
サントメールはボディガードたちをさがらせ、俺たちと向き合うようにソファへ腰をおろした。
「……ははあ、ウメチカ王の親書を。では非公式ながら、王宮からのご使者というわけですか」
「ええ。私は従者としてアークさまに付き従ってきたのです」
ルミエルは簡単に事情を説明した。以前から、ルミエルは教会の用事で頻繁にこの移民街を訪れており、街の代表であるサントメールとも顔馴染みらしい。
「ブラストを討たれたということですが、首は持って来ましたか?」
「ええ、こちらに」
ルミエルはバッグから桶を引っ張り出し、サントメールに引き渡した。
「うむ。確かに、あのブラストだ。これで商売もやりやすくなる。さきほどの竜退治の件といい、あなたがたには、いくら感謝しても足りませんなぁ」
サントメールは上機嫌で桶を受け取り、組合職員に命じて賞金袋を持ってこさせた。ルミエルが中身を確認する。
「あら……全部銀貨なんですね」
「あなたがたはウメチカへ引き返すのではなく、中央へ向かうのでしょう。ならば、こちらのほうが良いと思ったのですよ」
サントメールが言うには、エルフは銀しか信用しないため、エルフの森の集落などでは、銀貨以外は使えないという。移民街はウメチカの金とエルフの銀を交換する両替の街でもあるわけだ。
「……ところで、アレステル卿。お聞きしてよろしいですか」
サントメールは、ややかしこまった態度で、尋ねてきた。
「なにをだ?」
「実は、商人たちをここに呼び出した後、私は自宅に戻って、少し書庫を調べていたのですよ。さきほど名乗られた、勇者……というお言葉が気になりまして。それで、我が家の古い記録に、先々代が残した記述を見つけましてな。──アーザトーラ王の十八年、その身に聖なるアザを持つ英雄が覚醒し、強大な悪魔と戦い、三年の後、これを討ち果たした……およそ、そういう内容です。ひょっとして勇者とは、この英雄のことではありませんか?」
俺はうなずいた。
「……そうだ。よくそんな記録が残っていたものだな」
単なる推測だが、おそらく、サントメール伯爵家の先々代とやらは、二代目勇者の悲惨な末路を知っていたんだろう。それに同情して、あえて記録を残しておいたのではないか。勇者や魔王といった単語を使わないあたり、先々代とやらの用心深さが偲ばれる。
俺は、シャツの襟をぐっと引っ張り、肩口を見せてやった。
「これが勇者の証だ。聖痕という」
「お、おお……!」
サントメールは嘆息をあげた。
「いや、なるほど。これで、あの鮮やかな竜退治の手際にも得心がいきました。知らぬこととは申せ、失礼をいたしまして」
そう頭を下げるサントメールへ、俺は鷹揚に微笑みかけた。
「気にすることはない。王家は勇者の伝説をずっと秘匿してきたからな。理由はだいたい察しがつくだろう。長らく王家と距離を置き、この半独立の都市で代表を務めてきた貴公ならば」
一瞬、サントメールは沈黙しかけたが、すぐさま俺の示唆するところを悟ったようだ。王家の近縁にありながら政治とは無縁のルミエルと違い、サントメールは地上にあってほぼ独立した権力を行使する政治家。さすがにそのへんの感覚は鋭い。
「……そういうことですか。事情はわかりました。しかし貴公は、あえてそれを隠そうとはなさらないのですな」
「先代の轍を踏む気はない。それよりは……ということだ」
「ふうむ。いずれ、そのへんのお話を詳しくお伺いしたいですな。じっくりと」
俺があえて濁した部分の意図をきっちり読み取り、食いついてきた。いいねえ。こいつは腹に一物も二物もありそうだ。
「ああ、いずれ。じっくりとな」
俺たちは笑みをかわしあった。こいつは今後、なにかと使えるな。むろん、サントメールのほうでも、そう思ってるだろう。お互いに利用価値があると、腹の中で認めあえたわけだ。面白くなってきた。
「あの、いったい、何のお話ですか?」
ルミエルがきょとんと呟く。
「いえいえ。アレステル卿は、まことに古今の英雄でいらっしゃる。どうぞ今後もご懇意に、とお願いしたのですよ」
サントメールはとぼけた口調で応え、ルミエルを煙に巻いてしまった。物は言いようだな。




