035:手を伸ばせば、そこに
超長命であるがゆえに。人口爆発を抑制しようとする種族の本能が、エルフたちの多くを同性愛に走らせるのでは──とルミエルは言う。
「ノンケだろうと異種族だろうと、かまわず食ってしまう方々です。彼らの美的感覚は、エルフよりも、若い人間のほうを好む傾向が強いようでして。彼らには、アークさまが絶世の美少年に見えてるんですよ」
「び、美少年……俺が……。てことはだな、女どうしでも、そういう……」
「ええ。私も以前、ずいぶん酷い目にあわされたことがあります……。あやうく、それまで知らなかった新しい何かに目覚めてしまうところでした」
深刻げに溜息をつくルミエル。いや、いま何か、さらっと、とんでもないこと告白してないかお前。
「ともあれ、今後もあることです。じゅうぶん、お気をつけください」
「そ、そうだな……」
俺は内心の戦慄を振り払うように首を振り、息をついた。俺にはそういう趣味は一切ない。なんせ、そのせいで暴走トラックに轢かれてこの世界に転生する羽目になったくらいだし。
「……いま向かってる場所は、エルフはそんなにいないんだろ?」
「ええ、まあ。エルフの森で唯一、人間の居住が許されているコミュニティですから。ですが、商取引の窓口でもありますので、相当数のエルフが滞在しています。油断はできませんよ」
箱馬車は赤土色の林道を東へ向かってコトコト進む。最初の目的地は、五大霊府のうち、西霊府に隣接する人間の移民街。規模は小さいが、三万人ほどの人間の移民が住み着いており、人間とエルフの交易拠点になっているそうだ。出島みたいなものかな。多分。そこの「虹の組合」とやらいう組織にブラストの首を持っていけば、賞金が受け取れるって話だが。
「組合って、何のだ?」
「基本的には交易商人の組合ですが、最近は役に立つ人材なら誰でも受け入れてる感じですね。護衛の傭兵とか雑役夫とか、とにかく登録しておけば交易絡みの仕事を斡旋してもらえるということで、外部登録者も増えてきています。こっちが本部で、ウメチカ側に支部があるんですよ」
「そうか、交易商人の……それで、商売の邪魔になるブラストに賞金をかけていたわけか」
「交易路の安全は死活問題ですから。他にも同様の賞金首は何人かいますが、ブラスト・ルーバックはその中でも最高額の大物だったんです」
水平チョップ一発で死んだ間抜けが、そんな大物とはねえ……。いまだに実感が湧かんわ。俺が強すぎるだけだがな。
「このまま東へ向かえば、ちょうどお昼過ぎには最初の駅亭に着きます。何もありませんが、景色がいいんですよ。そこで小休止しませんか」
ルミエルが提案する。駅亭てのは馬車道の中継点で、ちょっとした休憩所があったりする。地下通路の宿場なんかと違って、たいてい無人で、屋根とベンチくらいしかない。
「任せる」
応えつつ、箱の中に寝っ転がる。とたんに大きな欠伸が出た。そういや、昨夜といい、その前の日といい、夜のアレがハッスルしすぎで、まともに眠れてないような。駅亭に着くまで寝よう。何かあればルミエルが起こしてくれるだろうし。
──もし、あのとき。
高校の卒業式。伝説の柳の樹の下で。
俺があいつの告白に応じていたら、どうなっていたんだろう。
……ありえないことだ。俺にはそういう趣味はないし。
でも、走ってまで逃げることはなかったな。俺はあいつのこと、なんだかんだいって、友達だと思ってたんだ。せめてちゃんと、そのへん話してやるべきだった。そうしていれば、追いかけっこのあげく、トラックに轢かれる、なんてことにもならなかっただろうに。
あいつ、あれからどうなったんだろう。トラックに轢かれたのは俺だけで、あいつに怪我はなかったはずだ。でもたぶん、悲しませてしまっただろうな。いまでも元気でいるんだろうか。いや、もう何十年も前のことだ。さすがに死んじまってるか。
なんで急に、こんなことを思い出したんだろう。前の世界に未練なんてないと思ってたんだけどな……。
昔のことなんてどうでもいいじゃないか。こっちの世界で、俺は楽しく生きてるんだ。女だっていくらでもいるし。ほら、ちょっと手を伸ばせば、そこにおっぱいが……。
おっぱいが……むにむにっと……。
「あふぅぅん……あっ、アークさまぁ、そんな、ダメぇ……」
突如、甘い鳴き声が響いて、俺は思わず目を覚ました。
なんか、妙な夢を見てたらしい。
「アークさま……まだ日は高いですよ。よ、夜になったら……いくらでも、揉ませてさしあげますから……」
なぜか俺は寝転がったまま、ルミエルの胸をふにふにと掴んでいた。どうやら、目的地に着いて、起こしにきてくれたルミエルの胸へ、無意識に手が伸びたようだ。
「……駅亭に着いたのか?」
「ええ。外でお昼にしませんか?」
「うん、そうしよう」
俺はどっこいしょと起き上がり、ルミエルと一緒に箱車から外へ出た。
相変わらずの片田舎。駅亭は、藁で編まれた小さな屋根を、高さ三メートルほどの丸太の一本柱で支えているだけの、ごく簡単な構造物だ。俺たちは馬車を繋ぎ、亭のベンチに腰かけて、白パンと蜜水で昼食をとった。
ここいらは丘の上で、確かに景色がいい。あまり樹は生えておらず、周囲にブナやカエデがぽつぽつと立っているのが見えるだけだ。ほぼ平原地帯って感じだな。ただ、赤土色の田舎道が伸びてゆく彼方に、はっきりと濃い緑の塊が見えている。
「エルフの森の結界領域は、およそ方二千里といわれてますが、実際の森林部分はそのうち二割ほどです。大部分は、こんな感じの平原や湿原で、そのなかに大小の森林が点在しているんです」
ルミエルが説明する。いま太陽はほぼ真上にある。やや気温は高めだが、やさしい風がそよいできて、実に快適なひととき。
「あっちに見えてるのが、その森林のひとつか」
俺は彼方の緑の一帯を指さした。
「ええ。森林部には例外なくエルフの集落があります。いま見えている、あの森が西霊府ですよ。移民街はその少し手前になります」
「そうか。案外近いもんだな。夕方までには着きそうじゃないか。天気もいいし」
言いつつ、ふと視線をあげて、よく晴れた青空を眺め渡す。
なにやら違和感が。
「……なあ、ルミエル」
「なんでしょう?」
「このへんじゃ、いつも竜が飛び回ってるのか」
「竜……ですか? いえ、私が知る限り、このあたりで目撃された例はなかったはずですが」
「んじゃ、あれはなんだ?」
俺は、空の一角を指し示した。ちぎれ雲の間を縫うように、黒い影が横列をなし、ゆっくりと駆けてゆくのが見える。遠いのでハッキリとは確認できないが、トカゲっぽい胴体にでかい翼。多分、竜のシルエットだろう。十数匹はいる。
「竜……ですね。どう見ても」
ルミエルは、やや呆け気味に呟いた。
「こんなところまで襲撃してくるなんて。いままで聞いたことがありません」
出し抜けに、腰の魔剣が騒ぎ出す。俺の脳内に声が響きはじめた。
──コロセ。アイツラ、コロセ。
急になんだ? おまえ、今までずっと寝てたくせに。
──タタカイ。タタカイダ! チカラ、カシテヤル。
別におまえの力なんざ……お? なんだ?
突如、脳内に流れ込んでくる、不思議なイメージ。
風。雲。どこまでも続く空。
気流の彼方。羽ばたく、雄々しき翼──。
……おお。そうか。そういうことだったのか。お前は。
「アークさま?」
ルミエルが怪訝そうに声をかけてくる。いかん、今はのんびり魔剣と会話してる場合じゃない。
俺はあらためて空を見やりつつ尋ねた。
「竜どもの狙いはなんだろうな?」
「あの方角だと、西霊府を襲うつもりでしょう。移民街も危ないかもしれません」
「西霊府とやらがどうなろうが、知ったこっちゃないが……万一、移民街が壊滅でもした日にゃ、賞金をもらえなくなっちまうかもな」
「……それは困りますね」
「ああ。困るな」
俺たちの意見は完璧に一致した。お互い、眼差しをかわし、うなずきあう。
「行くぞ」
「はい!」
──馬車は大急ぎで走りだす。目指すは移民街。




