033:結界を越えて
結局、その日は宿場で一泊せざるをえなくなった。
夜も更け、宴会も解散となって、俺とルミエルは箱馬車に戻った。
ランタンの明かりの下で、ルミエルは、ややあらたまった顔つきで尋ねてきた。
「王家は、勇者の存在を公表していません。アークさまもそれはご承知だったはず。にもかかわらず、どうして……」
この図太い女にして、「王家の言いつけ」に背くのは、さすがに気が引けたようだな。
王家が勇者の存在をあえて公表しないのは、魔族に勇者の動静を把握させないため──少なくとも、表面上はそういう理由になっている。ルミエルはそれを素直に信じているようだが、むろん俺は、真相がそうでないことを知っている。
ただ、そのへんの事情まで含めて、俺の考えを全部真面目に説明するのは、正直面倒だ。長くなるだろうし。ここは適当にお茶を濁しておくか。
「ルミエル。もし、俺の動きが魔族に把握されたとしてだ。俺が負けると思うか?」
「……思いません」
「なら、堂々としてりゃいいじゃないか。コソコソ隠し事なんて、それこそ勇者にふさわしくない。そう思わんか?」
「あ……!」
俺の言葉に、ルミエルは、ハッと目を見開いた。
「そうですね! ええ、おっしゃるとおりです」
目から鱗が落ちた、とでもいうような顔つき。なにやら感動すらおぼえた様子で、ルミエルは声をあげた。なんたるオーバーリアクション。
「市民の方々に隠し事はできない。だから、あえて王家の忠告を打ち捨て、身分を明かされたのですね。ええ、確かに、勇者は誰に対しても公明正大でなければなりません。──さすがはアークさま。出すぎたことを言って、申し訳ありませんでした」
勝手に自分で解釈して納得し、謝ってくるルミエル。いや、こいつも決して馬鹿ではないんだが、事情を知らなきゃ、こんなもんかね。
「わかればいい。明日は早いぞ。もう寝……って、おい」
ルミエルが、身体をすりすりすりすりっと寄せてくる。
「アークさまぁ……」
でかい胸をぐにぐにと押し付けながら、うるんだ瞳を向けてくるルミエル。昨夜も徹底的に可愛がってやったというのに。どうにも旺盛な奴だ。
翌朝。旅商人たちに別れを告げ、俺たちは宿場を離れた。
「ずいぶんお礼の品をいただいてしまいましたね。当面、食べ物には困りませんよ」
上機嫌で手綱を握りつつルミエルが言う。
「気前のいい連中だったな」
商人どもは食糧や固形燃料など、大量の物資を俺らの馬車に持ち込んできた。どいつもこいつも妙にニヤニヤしてたのは、昨夜ルミエルの声が馬車の外まで響きまくったせいだろう。まったく、はしたないワンちゃんだ。俺がいえたことじゃないが。
商人たちからは、単純な厚意だけではなく、今後のことを考え、俺と誼を通じておこうという、商人らしい打算が感じられた。こういう連中は嫌いではない。利に聡い奴ほど、価値観が明確で、付き合いやすいもんだ。
結果的に、ここで交易商人らとささやかなパイプを持つことができた。今後、何かに利用できるかもな。それはいいが、物資の中に女性用の超きわどい下着とか、あやしい水着とかをこっそり紛れ込ませるのはやめていただきたい。ルミエルが大喜びでさっそく穿いて朝っぱらから迫ってきて困ったぞ。いまも穿いてるし。
馬車は最後のリフトへ。商人たちが上等な飼葉を与えてくれたおかげで、二頭の馬どもも調子がいい。足取り軽くリフトに乗っかり、上昇開始。
「エルフ側の関所では、貴族もフリーパスとはいきません。手続きは簡単なものですが……どうなさいますか?」
ルミエルが尋ねてくる。俺たちの目的はエルフの森への殴り込み。急ぎの旅でもあるし、いきなり関所を強行突破も、ありっちゃありだが。
「こっちは親書を持ってきてるんだ。別にそんなところで事を荒立てる必要はない。中央霊府、だったか? そこまでは普通に行く。暴れるのはそれからだ」
ルミエルの説明によれば、エルフは、結界内の東西南北と中央にそれぞれ「霊府」というコミュニティを築いているという。長老はそのうち中央の霊府に居館をかまえ、他の霊府の長たちの上に君臨している。ならば、中央をピンポイントで掌握すれば、エルフの森はたやすく俺の支配下に落ちる可能性が高いということだ。仮にそうならずとも、中枢を押さえてしまえば、あとの対処はどうとでもなる。
「わかりました。では、親書を荷物から出しておいてくださいね。すぐに必要になりますよ」
かすかな振動とともに、リフトが停止する。ここが最上層だ。
はるか前方──なだらかに続く上り坂の先に、まばゆい光が見えている。地下通路のエルフ側出入口のようだ。
「さ、まいりましょう」
ルミエルが手綱を握り、馬車を進めてゆく。
やっと、ようやく、ここまで辿りついた。地下の暮らしも悪くなかったが、俺はやっぱり地上のほうがいいな。ここを抜ければ、明るい太陽の下に出られる──。
ふわっ、と、一瞬、何かが全身の肌に押し当たるような、微妙な抵抗感をおぼえた。目に見えないやわらかな薄膜にぶつかり、さらにそれを突き破っていくような感覚だ。
「いま、結界を通過しました。ここから先はエルフの領分です」
ルミエルが告げる。そうか。今のが、あの忌々しいエルフの森の結界か。
俺は今更ながら、神魂が俺を勇者に転生させた理由、その一端に思い当たった。そうだ。俺が魔王のままだったなら、決してここを通り抜けることはできなかった。人間の勇者となったからこそ、堂々とエルフの領分へ入り込むことができたのだ。この肉体は、神魂が与えてくれた世界制覇へのパスポート。あとはすべて俺次第だ。
馬車が、ついに出入口へとさしかかる。
あふれる光が、いま、俺たちの視界いっぱいに広がってゆく──。




