030:紅衣のソードマスター
最後の宿場まで、あとわずか――。
揺れる箱馬車のなかで、俺はまだ少々疲れの残る身体を横たえていた。昨夜はさすがにハッスルしすぎた……。
今朝方の別れ際、スーさんから魔族と翼人との現状について報告を聞いた。
翼人の代表者はあのペータンから、その親戚のピータンとかいう若い翼人に交代したが、相変わらず年四回の挨拶と貢ぎ物は欠かさないらしい。チーが俺の代理として面会しているとか。なんであいつはこう俺の玉座に座りたがるかね。
エルフと翼人の紛争は膠着状態。年々双方の感情的な反発は高まっていて、ことに翼人のほうでは、いよいよ本腰を入れて大規模な作戦行動を企図しているそうだ。
俺はスーさんに、エルフの黒死病計画を翼人どもに伝え、警告を与えるよう依頼した。無駄になるかもしれないが、万一ということもある。いまこの時期に、翼人どもが大軍をエルフの森へ差し向け、その前線に黒死病を蔓延させられるような事態になっては目も当てられない。できれば、そうなる前に、俺がエルフどもをきっちり抑えねば。
――気配を感じる。
俺は、よっこいしょと身体を起こし、手許のマップを開いた。現在位置の少し先に十字路がある。
「ルミエル、速度を落とせ」
「え? また何か来るんですか?」
「多分な」
「わかりました」
ルミエルはぐいと手綱を引き、いったん馬車を止めてから、そろそろと前進を再開させた。
俺は窓から顔を出し、前を眺めた。十字路が遠くに見えている。その付近から、何かしらの悪意が、もやのように漂ってきている。おそらく待ち伏せ。左右から一斉に馬車にとびかかる算段だろう。
人数は――意外に多い。二十人くらいは待ちかまえていそうだ。
十字路の手前まで差し掛かったところで停車させる。俺は箱を降りて、ルミエルに告げた。
「ここで待ってろ。ちょっと平和的に話し合ってくるから」
「平和的に拳で語り合うんですね? わかりました。行ってらっしゃいませ」
にっこり笑って応えるルミエル。
おまえ魔族にならんか? なんつーか、素質あるぞ。
十字路の左右で息をひそめていた連中が、わらわらと俺の前に姿を現す。奇襲するつもりがなぜか気付かれてしまったので、仕方なく出てきました、という風情だ。一昨日遭遇した盗賊どもと違い、どいつもこいつも、がっしりした金属鎧をまとい、かなりの重武装で身を固めている。だが盗賊集団であることには変わりなさそうだ。
俺は無言で十字路の中央近くへ歩み寄った。盗賊どもが一斉に身構える。俺はチラと左のほうの通路を眺めやった。ひっくり返された大型馬車の残骸が見える。その周りに死体が五つ。身なり良さげな老紳士と、おそらくその妻であろう老婦人。革鎧の若い男は、多分、護衛のため雇われた傭兵ってとこか。あとのふたつは――若い娘たち。着衣を引き裂かれ、半裸で、股を開いたまま息絶えている。なんということだ。
俺は怒りの目を盗賊どもに向けた。こいつら、地底の蛆虫の分際で、俺様の許可もなく、いっちょうまえに乱暴狼藉なんぞ楽しみおって。生意気にもほどがあるわ。お仕置きだ。
「かかれ!」
いきなり誰かが大声で指図した。後ろのほうにリーダーがいるみたいだが、こう大人数だと姿が見えん。完全武装の盗賊ども数人が、大刀や長剣を手に、蛮声一叫、先陣を切って飛びかかってくる。
俺は一歩前へ踏み出しつつ、一人目の首筋に軽く水平チョップを入れた。ぺきんと首がへし折れる。脆いな。ちゃんと小魚食ってないから、こういうことになるんだ。続いて二人目の額を指先で小突いてやる。またも首が折れた。三人目には脳天チョップ。めぐぎゅっ、と、なんとも嫌な感触がして、俺の手刀が相手の鼻のあたりまでめり込んだ。うーむ気色悪い。四人目の膝もとを軽く蹴っとばしてやると、ゴキュッとかいう音とともに、そいつの足がありえない方向に折れ曲がり、その場にぶっ倒れた。とどめに頭を踏んづけて、ガギョッと潰してやった。
ここまでに一秒かかっていない。ほぼ一瞬で四人、悲鳴すら上げる間もなく即死。控えていた盗賊どもは、みな呆然と口を開けて立ちつくすばかり。いま何が起こったのかすら、まだ把握できていないだろう。
「な……なんだ。なにが、どうなって……」
「魔法……か?」
「いや、違うぞ……詠唱していない……」
盗賊どもの間に、じわりじわりと驚愕が込み上げ、広がっていくのが、ありありとわかる。これが本格的な恐怖へと変わる前に、お仕置き続行だ。
俺はさらに前へ踏み込み、手近の盗賊どもを、ぺしんぺしんとチョップで叩きまくった。殴るほどのこともない。ちょっと撫でてやるだけで、面白いように折れる、倒れる、潰れる、吹っ飛ぶ。無双というも愚かしい。こいつらなんぞ、人型の豆腐みたいなもんだ。瞬時に五、六人まとめて血の海に沈め、さらにもう一歩踏み出し――というところで、ようやく残りの連中が、事態を悟ったようだ。
ほぼ一瞬で、仲間の半数が血泥にまみれ、無残な死体に変わりはてている。いま、自分たちは一方的に返り討ちにあい、絶望的なまでの生命の危機に晒されている――やっとこさ、そこまで状況を飲み込んだらしい。
「ばッ、化物……!」
「殺されるぅぅ!」
残りの連中は一斉に恐慌にかられた様子で、武器を放り捨て、こっちに背を向け、三々五々逃げ散りはじめた。こんな程度でビビりおって。根性無しどもめ。
仕方ないので、追っていって全員ぶち殺そう、と思ったが。
一人だけ、逃げずに残っている奴がいる。
「どうした。びびりすぎて固まっちまったか?」
俺が嘲弄まじりに声をかけると、そいつは、むしろ穏やかな笑みを浮かべた。
「いや……嬉しくてな」
紅衣をまとう長身の男。甲冑などは着込んでおらず、体格はすらりと細く、スマートかつスタイリッシュ。ぼさぼさの髪、引き締まった顔つき。眼光はぎらぎら鋭いが、奇妙な落ち着きを感じさせる。右頬に大きな傷跡。年齢不詳だが、そう若くはないはずだ。沈着な面構えといい、隙のない挙措といい、相当な修羅場をくぐってきているはず。たぶんこいつが盗賊団のリーダーだろう。部下どもを逃がすために、一人で殿をつとめるとは、なかなか見上げた度胸だ。単に状況がわかってないだけの馬鹿ともいうが。
「何がそんなに嬉しい?」
俺はあえて尋ねてみた。答えはわかってるけどな。定番ってやつだ。
紅衣の男は、わずかに目をほそめ、渋い声で応えた。
「……久々に本気を出せそうだからさ」
まったく予想通りの返答。いいねえー。わかってるねえ。じゃあ、お次はこれで。
「貴様、何者だ?」
尋ねると、紅衣の男は笑みを消し、厳しい眼光を向けてきた。
「死にゆく者へ、せめてもの手向け……」
そう囁くように呟きながら、紅衣の男は、すっと腰の長剣を抜き放った。刃が微妙に黒光りしている。なんかいわくありげな武器のようだ。
「地獄へ行っても憶えておくがいい。我が名はブラスト……魔剣ウロヤカーバのソードマスター、ブラスト・ルーバック」
名乗りつつ、キリッと俺を睨みつける。ちょっと右斜めから七三ぎみの、いわゆるカメラ目線っぽい感じの身構えが、実にビシィッと決まってる。いかにもダークヒーローって雰囲気。
「――ゆくぞ」
緊張の一瞬。男が長剣をかざし、ススッと踏み込んでくる。なかなか熟練の身ごなし。
横薙ぎに斬撃が来る。
俺は、ささっとかわして、男の胸もとへ、ちょいっと手刀を叩き込んだ。肋骨が一斉に折れ砕ける感触が伝わってくる。
紅衣のソードマスター様は、盛大に血を吐きながら、仰向けにぶっ倒れ、そのまま動かなくなった。
……白目剥いて、なんとも間抜けなアヘ顔を晒すソードマスター様。いかんなあ、断末魔の表情まで、きっちり渋く決めてくんなきゃ。せっかく格好よかったのに台無しじゃないか。




