021:誕生! 最強外道勇者
俺はスーさんに尋ねた。城はどうなっているのか。部下どもやハーレムの女どもは息災なのか。
「城のほうは、とくに変わりはありませぬ。ハーレムでは、人間の娘たちのうち三十人ほど、残念ながら病で亡くなっております。人間はそういうのに弱いですからな。いささか年を取り、容色衰えた者も多うございますが、陛下の広大無辺なるストライクゾーンならば、この点はさほど問題にはなりますまい。翼人の娘らは、みな変わりありませぬ。長命種でございますから。特にハネリンどのは、チー殿と一緒に毎日仲良く水晶球の前でハァハァしております」
ハネリンもかよ! おまえらハァハァしすぎ!
「ただ、少々問題もございまして。すでにお聞き及びでしょうが、昨今の異常低温は、城の近辺にまで南下しており、年々食糧事情は悪化してきております。また、暴走した竜の群れが、たびたび城へ襲来しております。いまのところ、チー殿が結界を張って防いでおりますので、とくに被害などは出ておりませんが、次第に竜の個体数が増えてきているという報告もあり、あまり事態は芳しくありませぬ」
王宮で聞かされた「世界の危機」は、魔族にまで波及しているのか。これは少々、きな臭い感じだ。
「ですが陛下。城のほうは、そうご懸念には及びませぬ。我らがしっかり守っておりますゆえ。今は御意のまま、なさりたいことを存分になさいませ。そのために、わざわざ転生なされたのでございましょう?」
「やりたいこと……か。俺が神魂に何を願ったか、スーさんは知っているんだな?」
「ええ。陛下の願いは、同時に我ら魔族の宿願でもあります。陛下ならば必ずや成し遂げられると、みな信じておりまする」
俺の願い。それは当然、世界制覇だ。神魂が俺を勇者に転生させたのも、その願いゆえのこと。しかし、そのせいで今の俺はかえって魔力皆無、小娘に刺されただけであっさり死ぬという最弱状態に陥ってしまった。いくら魔族のバックアップがあるといっても、俺自身がこうも弱いのでは、何かとやりづらい。野望達成のためには、まずこの状況をなんとかしなければ。どうすべきか。地道に鍛錬か? 腕立て伏せとかやるのか? 面倒だなあ。
「陛下」
スーさんが態度をあらため、声をかけてきた。
「実は、今日ここへ参りました本当の目的は、ちょっとしたお届け物をするためでございます。デートは、そのついでに過ぎませぬ。必ずや陛下のお役に立つことと存じます」
「届け物?」
「はい」
スーさんは、それまで携えてきた小さな布袋の口を開け、そっと中身を取り出してみせた。
それは直径十五センチほどの、丸く平べったい物体。見るも禍々しい輝きを秘める、赤黒い宝石。
「スーさん、それは……!」
「ええ。賢者の石でございます」
あらゆる物質を対価なしに練成する完全物質。まさか、こいつとここで巡りあえようとは。
「わざわざ、こいつを届けに……!」
ふと、俺は身震いをおぼえた。そうだ――これは確かに役に立つ!
「陛下は勇者として覚醒なされたばかり。きっとこれが必要になるはずと、チー殿が私に持たせてくださったのです」
おおっ、さすがはチー。ナイス判断だ。今度会えたら三日三晩休まずおしおきしてやるからな!
スーさんが賢者の石を両手に載せ、恭しく差し出してくる。
俺もまた、両手を伸ばし、掌でそっと押し包むようにして、それを受け取った。
そう――こいつさえあれば。俺はすでに、その最初の使い途を明確にイメージしている。
「ひとつだけ……残念ながら、問題がございます」
スーさんが、ちょっと申し訳なさそうに告げる。
「問題?」
「はい。チー殿の解析によりますと、あの神魂覚醒の秘儀の際、陛下のあまりに強大な魔力を浴び続けたことで、分子結合がかなり弱まってしまったそうです。ゆえに、使用はあと一回が限度だろうと」
うわ。なんとまあ。それは確かに残念。こいつで色々やりたい放題できるかと思ったが、そう世の中甘くないか。
――だが。
「なあに。大した問題じゃない。一回で充分だ」
俺は笑って応えた。そうだ。ただ一度でいい。それで賢者の石を失っても、じゅうぶんお釣りが来るほどのものを、俺は得ることができる。
――賢者の石をグッと握り締め、胸もとに押し当てる。
俺は念じた。強い自分を。強い勇者を。無限の潜在能力をオーバーフローさせるほどの強さを。
ようは漬物と同じだ。おいしくなーれ、と言葉をかけて、おいしい漬物を練成したように。
強い自分。強い勇者を、ここに練成すればいい。
俺はイメージした。純然たる「力」が、石から滔々と水のごとくあふれ、勇者という巨大な器を満たしていく、その有様を。
「――強くなれ」
シンプルに、ただ一言。石に呼びかけてみた。
ふと、石を持つ手が、押さえつけた胸が、カッと熱くなった。賢者の石が例の兇々しい輝きを放つ。俺はあまりの眩しさに思わず目をつぶった。同時に、閉じた瞼の裏側に、赤い数字の羅列が浮かびはじめる。ほとんどが0か1。たまに2とか3とか。
010010130201
とかいう具合に。それが何十、何百行、ズラーッと並んでいる。なんだこれは。
やがて、それらの数字が、物凄い速度でスクロールしながら、次々に「F」の文字列へと書き換わりはじめた。なんだ? 何が起こってる?
すべての行が「F」で埋めつくされると同時に、赤い文字列は不意にかき消えた。
――そうか。そういうことか。俺は唐突に理解していた。
賢者の石の本質を、いま俺は垣間見た。
こいつは――賢者の石は、この世界のあらゆる事象を数値データに転換し、干渉し、持ち主の望む状態にデータを書き換えてしまうんだ。すなわちチートツール。確かにこれなら、対価無しにどんな物質でも作り出せるだろう。無から有を生み出すことすらできる。俺のデータを書き換えるくらいは朝飯前のはずだ。いったいどんな技術で、こんな途方もないアイテムを作り出したのか。恐るべし超古代文明。
ゆっくり瞼を開くと、目の前に、ちょっと心配そうな様子でたたずむスーさん。
手に持っていた賢者の石は、灰色の砂の塊へと変わっていた。どうやら本当に、一度の使用が限界だったらしい。
「陛下……?」
スーさんが声をかけてくる。
「大丈夫だ。どうやら、うまくいったぞ」
俺は手の中の砂を握りつぶし、笑ってみせた。
外見はなんら変わっていないはずだ。全身に筋肉が盛り上がったり、妙なオーラが出てたり、そういう状態にはなっていない。
だが、ハッキリとわかる。全身、充実感に満ち満ちている。力。どこまでも純粋な力が、この肉体を完璧に満たしきっている。
試しに――手近の大きな岩に、軽くデコピンをかましてみる。たちまち岩は粉々に砕け散った。
これだ。これを求めていたんだ。この強さが、どんな不可能も可能にする。魔王すら遥かに凌駕する強さを、俺は手に入れたんだ。
「スーさん、地上のわが軍勢の配置は、どうなってる?」
「は。ほぼ以前と同様の状態を維持しておりまする。唯一、ミーノ将軍がエルフとの戦闘中に消息を絶っており、おそらく戦死したかと」
え。ミーノくん死んじゃったのか……。あれでなかなか可愛い奴だったのに。くそエルフども。いずれ必ず復仇してくれるわ。
「地上に展開している、すべてのわが軍勢をゴーサラ以北へ撤退させてくれ。もちろん備蓄物資もすべて移送するんだ。以後、再び命令あるまで南下を禁ずる。関を閉じ、拠点の防備に専念するように。そう取り計らってくれ」
ゴーサラは大陸のほぼ中央にあたる地域。現在、ゴーサラから北は完全に魔族のテリトリーになっている。南方には十万程度の軍勢を分散配置し、人間どもの生き残りやエルフどもへの抑えとしてきた。俺は、それらをすべて引き上げさせ、魔王城近辺の防御にあたらせることにした。
「陛下。まさか……」
「そう。そのまさかだよ」
俺は当然とばかりうなずいてみせた。
「南方は、俺一人で制圧してみせる。人間も、エルフも、力ずくで膝下にねじ伏せ、わが奴隷としてくれるわ。今度、城へ帰るときは、この世界そのものが、みんなへのお土産だ」
決して突拍子もないことを言っているわけではない。今の俺なら、たとえ何万の軍勢を相手にしようと、一人ですべて打ち倒すだけの自信がある。それ以上に重要なのは、竜の大群が魔王城を襲っているという現状だ。いまは問題ないかもしれないが、今後どう事態が推移するかわからない。なんといっても、あそこは俺の家だ。可能な限り物資と兵力を集中させ、守ってもらわねばならない。いずれ俺が帰還する日まで。
「……」
スーさんは、しばらく沈黙していた。彼女なりに、色々思うところがあるんだろう。さすがに一人では心配だ、と感じているのかもしれない。
だが、やがて顔をあげ、いつもと変わらぬ調子で言った。
「さすがは陛下。天晴れなお志でございます。ならば我らはしっかりと城を守り、後顧の憂いなきよう務めまする」
「ワガママを言ってすまんな。見た目は人間でも、俺は魔王だ。魔族の棟梁だ。魔族の期待は裏切らない。そうみんなにも伝えておいてくれ」
俺がそう笑いかけると、スーさんは、あらためてその場に跪いた。
「確かに伝えまする。すべては、御意のままに」
「……頼む。何か用事があれば、また来てくれ」
「は。では、本日はこれにて失礼をば」
そう述べるや、スーさんは忽然と姿を消した。
――さて。
あふれる力をぐっと抑え込むように、俺は拳を握りしめた。この力さえあれば。
さあ、何から手をつけようか。




