198:成長途上の剣
シャダーンの邸で朝食を済ませた後、ハネリンは満足げに腹をさすりつつ、客間の畳に転がって、昼寝というか朝寝というか、ともかくまた寝てしまった。一人でサンマを七尾もたいらげおって。ちょっとは遠慮せんかい。
リューリスは作業着姿でモップ片手に廊下の掃除にとりかかっている。シャダーンの従者として、このそこそこ広い邸宅をたった一人で切り回してるだけに、休む暇もないようだ。
その間、俺はまたシャダーンの部屋へ赴き、今後の行動の指針とすべき点を二、三、訊ねてみた。
「ハルバンは小物だよ。アンタなら、力ずくでどうにでもできるだろう。でもボッサーンには気をお付け。あれは単純な野心家じゃない。なかなか頭の切れる男さ。あいつの陰謀の深さは、ハルバンやフィンブルぼうやの比ではないよ」
朝っぱらから暗い擬似宇宙空間のなかで不気味に微笑むシャダーン。
「……留意しておこう」
謀略家か。シャダーンがそこまで言うくらいだから、そのボッサーンとやら、只者ではないのだろう。しかし、こちらにも謀略の駒は揃っている。ひとつ、水面下の争いというのを、こちらから仕掛けてみるのも面白いかもしれない。具体的に何をどうするかはまた後で考えるとして。
「シャダーン。最後にひとつだけ聞かせてくれ」
「なんだい?」
俺はちょいと表情をあらため、問うた。
「ミレムダーマ保護区の外れにあった、結界魔法の発生源。あの女神像は、あんたが建てたのか」
「ああ。あれかい」
いわゆるひとつの、アヘ顔ダブルピース女神像。これについての説明をぜひ求めたい。いったいなぜ、わざわざあんなものを。
「……なんであのポーズなんだ?」
俺の質問に、シャダーンは、ぐっと口もとを引き締めた。
「三ヶ月前……アンタがウメチカを出てエルフの森に入り込んで来たとき、星が告げたんだ。いずれ、勇者はあそこへ行くことになる、ってね。だから……」
「だから?」
「ミレムダーマの連中に依頼して、あの像を作らせ、アタシ自ら、碑の上に立てておいたんだよ」
「なぜ、わざわざそんなことを」
シャダーンは、やけに真剣な眼差しで俺を見据えた。
「たぶん、ウケるだろうと思ってね」
おごそかに、荘厳に、いっそ神々しいとさえ思える表情と声で、シャダーンは告げた。
──そうか。
ウケると思ったのか。
つまりこれは、ヒヒイロカネという貴重な資材と、ミレムダーマの精錬鍛造技術と、三ヶ月もの時間を費やして仕込まれた壮大なるボケであり、突っ込み待ちであったと。俺は見事に乗せられてしまったのか。
おのれシャダーン。もう少しマトモな奴かと思ってたが、想像以上の悪ノリババアだったようだ。なんとなーく、凄くコケにされてるような気もするんだが。いや、気のせいだろう。多分。
ハネリンを叩き起こし、身支度を整え、二人で邸を出たのは午前九時過ぎ。
晩秋にもかかわらず、南国の真っ青な空からは強烈な陽光が降り注ぎ、トレントの枝葉を燦爛と輝かせている。
木漏れ日の下、トブリンは相変わらず地元の百姓どもに囲まれて飼葉をもっさもっさ食い続けていたが、ハネリンの姿を見ると、のっそりと立ち上がった。百姓どもが驚き慌てて一斉に離れる。
「トブリン、そろそろ出発するよー」
ハネリンが元気に声をかけると、トブリンはコクコクとうなずいて、トレントのそばから、ゆっくりハネリンのもとへ歩み寄った。百姓どもは、ちょっぴり名残り惜しげだ。勇者様であるこの俺より、巨大トカゲのほうが人気だなんて。なんか複雑な気分。
そこへリューリスが見送りに出てきた。
「もう行ってしまわれるのですか?」
「ああ。早くこいつを持って帰りたいしな」
ハネリンに背負わせた大きな木箱をぽんと叩いて応える。中には氷漬けの舌平目と金目鯛、それから余りもののサンマが数尾。木箱の内側は特殊な保冷材で覆われていて、いわゆるクーラーボックスになっている。これで数時間は問題ないはずだ。
「そうですか……。またぜひおいでください。お待ちしています」
おだやかに微笑むリューリス。その様子を見て、ふと、ちょっとした疑問が浮かんだ。
「リューリス。おまえさん、そもそもなんでシャダーンに仕えてるんだ? 剣の修行なら、こんな田舎じゃなくて、もっといい場所があるだろうに」
今朝の稽古での手並みを見る限り、リューリスは、剣技と体力にかけてはまず当代一流の手練れだ。間違いなく、師匠のアクシードより強い。むろん、あくまで凡人基準の話で、俺様と比較できるような次元じゃないが。剣士としての才能には驚嘆すべきものがあり、今もその研鑽に余念がないようだ。いっぽうシャダーンは星読みの魔術師。魔法の才能はからっきしというリューリスにしてみれば、シャダーンに仕えたところで、たいして得るものがあるとは思えない。
「シャダーンさまには個人的に恩がありまして。けっこう敵が多いお方なのですよ」
リューリスは屈託無く笑った。つまり、恩返しでボディーガードをやってるってことか。
「それに、シャダーンさまがおっしゃるには、私は少々変わった宿星を持っていて、いずれ、この世界の命運にも、すこしだけ関わりを持つようになるだろうと。その時まで、ここで修行して、力を養うようにと勧められましてね」
「変わった宿星?」
「ええ。まだ詳しいことは教えていただいてませんが……勇者さま、あなたに何か関わりがあることのようです」
ほう。俺と関係があるのか。もしかすると先々、俺の手助けでもしてくれるようになるのかな? だとすれば、なかなか頼もしい味方ということになりそうだが。
「シャダーンさまのお言葉どおりなら、また必ずお会いする日が来るでしょう。どうか、その時までご壮健で」
「おまえさんもな」
俺たちは互いにうなずきあって別れた。俺が見たところ、リューリスの剣は今なお成長途上にある。次に会うときは、きっとさらに強くなってるだろうな。
トブリンのそばへ歩み寄ると、もうハネリンがその背中に乗っかっていた。いつでも飛び立てる態勢のようだ。
「男どうしで、なに話してたのー? なーんか見つめあっちゃってー」
ハネリンがにやにや顔で訊いてくる。
「何をアホなことを言ってるんだ。俺にそういう趣味はないぞ」
「……リューさん、いい人だったね」
「気に入ったのか?」
「うん。ゆーしゃさまの、次の次くらいに」
次の次ってことは三番目かよ。じゃ二番目は誰なんだ。
「なかなか使えそうな奴だったな。いずれ、あいつも俺の部下にしてやるさ。──ほれ、行くぞ」
「うん。トブリン、行こう」
ハネリンの声に、トブリンはコクンとうなずき、おもむろに、灰色の翼をぶわさっ! と広げた。
「アエリア、こっちも飛ぶぞ」
──ナマミ、モドセー。
まだ言うか貴様。
──ウェーイ。
アエリアの魔力が解放され、俺はふわりと宙へ浮き上がった。同時に、トブリンも地を蹴って飛び上がる。
住民たちとリューリスの見送りをうけながら、俺たちは天高く身を躍らせ、霊府中枢を離れた。
ここからまっすぐ飛べば、三、四時間ほどでルザリクへ帰り着けるはず。ルミエルも待っていることだろう。ルミエル直属の情報部員とやらは、もう何か情報を持ち帰ってきただろうか。街はそろそろ落ち着きを取り戻しただろうか。ティアックの作業の進捗具合も気になる。
つい、こっちでは少々のんびり過ごしてしまった。これからは忙しくなりそうだ。急いで戻らねば。




