196:聖戦士の秘剣
早朝──シャダーンの邸宅前。
まだ夜は明けていない。あたりは真っ暗。空には雲間にのぞく蒼い星々。はるか東のほうが、かすかに薄明るくなってきてる程度だ。
トブリンはトレントの大樹のそばにうずくまって、気持ち良さそうに眠っている。
「では……ついてきて下さい」
「おう」
「はーい」
俺とハネリン、リューリスの三人は、そっと邸の玄関から出て、朝稽古へと出発した。
毎朝、海岸までランニングをして、そこで稽古をするのがリューリスの日課だそうだ。いろいろあって、今朝は俺たちもそれに付き合うことになった。
リューリスは、やたら重そうな全身甲冑を着込んで、兜の面頬までおろして完全武装している。これでランニングは相当きつそうだが、当人はカッチャンカッチャンと甲冑を鳴らしつつ軽快に走っている。とくに身体強化魔法などは使っておらず、まったく素の状態だ。これだけでも充分に常人離れした身体能力というべきだろう。
海岸までの道のりは二キロほど。三人並んで森の中をしばし進むと、ほどなく周囲の視界がひらけ、夜明け前の、まだ真っ黒い影のような海面が見えてきた。
「お二人とも、さすがですね。息ひとつ切らしていないなんて」
海岸に到達後、リューリスが感心しきった様子で言った。いや、俺はもとより規格外だし、ハネリンは翼人のなかでも別格の体力馬鹿だから、この程度は当たり前だ。むしろ金属甲冑フル装備で二キロ走って呼吸も乱さないリューリスの体力に驚かされる。こいつ本当にエルフなのか?
早暁の海岸。潮風はゆるゆると吹き付け、海面の波はおだやかに凪いでいる。静かだ。少しだけ周囲が明るくなってきた。
「んじゃー、ハネリンは、ここで素振りしてるから。そっちも頑張ってねー」
ハネリンは、おもむろに練習用の大剣を抜くや、砂浜にぐっと足をめり込ませ、勝手にぶんぶん剣を振り回しはじめた。最近のハネリンの日課がこれだ。その一振りごと、こちらまで風圧が届いてくる。相変わらず凄まじい斬撃。本当に鍛錬する必要なんてあるのかこいつ。
「はぁー……すごいですね……!」
リューリスも驚いている。武術というようなものではない。型もなにもありはしないが、実戦の殺し合いで鍛え上げた本物の武力だ。それだけに、他人が見て参考にできるようなもんでもないが。
「では、こちらも始めます。型をお見せするんでしたね」
ハネリンからはやや距離を取り、リューリスはそっと腰の剣を抜いた。ごく標準的な長剣だ。あくまで甲冑は脱がないらしい。それも鍛錬の一環なんだろう。右手にはやや小さめの鉄の盾。これまた重そうだ。
まずは初歩的な斬る、薙ぐ、突く、盾で受ける、といった単純動作から、次第にそれらを組み合わせた技へと移行していく。あくまで型を見せるだけなので、リューリスの動作はまだゆったりとしたものだ。剣先が、まるで意思を持った生き物のように、するすると動いて白い軌跡を描く。このへんは、俺がかつてアクシードから教わった型とまったく同じだ。これをガキの頃からもう何十万回やらされたかわからない。今となってはまるで無駄だった気もするが、ラジオ体操くらいには健康維持の役に立ってたといえなくもないか。
リューリスの構えがだんだん実戦向きになってゆく。しっかりと腰を落とし、足運びは一層素早く、踏み込みはより力強く、剣先はより速く、その軌跡はより複雑に変幻自在の動きを見せる。いよいよ高等技に移行したようだ。
本来、騎士が学ぶ剣術なんてのは、それ単体ではさほど実戦の役に立つもんじゃない。馬上と地上では剣の扱い方も違うし、だいたい弓や槍のほうが強いし。騎士剣術は馬術、弓術、槍術などを組み合わせた総合武芸の一部にすぎない。
ただ、俺はそういう教育を受けなかった。リューリスも同じのはずだ。師匠のアクシードは、俺やリューリスを騎士として総合的に育てるのではなく、あくまで剣を極めさせるつもりで教えていたんだろう。なんせ当人からして剣術馬鹿で、──剣一本を極めれば百本の槍にも勝る──とか、あほなことを常日頃ほざいてやがったからな。わざわざウメチカ王家が「聖騎士」でなく「聖戦士」という称号をアクシードに与えた理由がこれだ。
リューリスの剣先が螺旋の軌跡を描き、ひゅるりと宙を舞って空を裂く。おや。この型は知らんな。しかもめちゃくちゃ速い。俺の動体視力はリューリスの剣をはっきり捉えているが、常人には太刀筋もなにもまるで見えないはず。おそらく、剣が閃いたと見えた瞬間には、相手は全身ずたずたに斬り刻まれていることだろう。これはなかなか凄い技だ。
ふと、リューリスの動きが止まった。どうやら一通りの型を終えたようだ。
「……最後のは?」
そう訊ねると、リューリスは兜を脱いで、小さく息をついた。こいつ、あれだけ動いて汗ひとつかいてないとは。
「アクシードさまに最後に教わった技です。秘剣、オーロラプラズマ返し……というそうです」
リューリスはにっこり笑って答えた。
たしかに凄い技だ。
凄い技だが、そのネーミングはどういうことだ。どこから突っ込めばいいのだ。




