182:謎すぎる美楽士
この世界を救ってほしい。君ならきっとできる──。
かつて、どれほどの若者が権力者のこの手の甘言に騙され、その気になって極悪非道な魔王に挑み、あっさり敗れて荒野に屍を晒す羽目になったことだろう。かの残念な騎士ライル・エルグラードも、そんな一人だったに違いない。もちろん、その極悪非道な魔王ってのは俺のことだが。
その俺様が、今度は甘言を弄される側になろうとは。世界を救え──シャダーンのその言葉は、かえって俺の警戒心を呼び起こした。こいつ、敵ではないにせよ、どこまで信用してよいものか?
なにせシャダーンは四百歳近い古狸だ。初対面の俺に対して、いきなりありのままの事情を全部ぶっちゃけるほど甘い奴だとは思えない。まだ何か色々隠していると見るべきだろう。
ただ、物は考えようだ。シャダーンは俺の世界制覇には手を貸すと明言した。俺が最終的には世界を救う、という条件付きで。こいつが本音では何を考えてるのかまだわからんが、当面、利用できるものは遠慮なく使わせてもらうとしよう。条件付きといっても、シャダーンの終末予測が仮に事実なら、いずれ俺は嫌でもその対策に乗り出さねばならないのだから、結局同じことだ。
ともあれ、そのシャダーンから地図を受け取り、結界魔法の発生源の位置は判明した。これで一応、ここでの俺の用事は済んだことになる。
ハネリンは……と見ると、座ったまま、コックリコックリと寝ている。器用なやつめ。そんなに退屈な話だったかな。
「おや、まだ用事は終わりじゃないだろ? ルードが何か言ってなかったかい?」
「ん? ああ、そういえば、耳栓をつくれとかいってたらしいが。ていうかあんた、ルードを知ってるのか」
シャダーンはうなずいた。
「まあね。古いつきあいさ」
「古いって……あいつ、そんなにトシがいってるようには見えなかったが」
「ホホホホ、見ためはそうだろうね。あの男には、この世界の法則が通用しないんだ。実際にはどれくらい生きてるのやら、アタシも知らないくらいだよ。多分アタシよりずっと長生きしてるはずだけどね」
そんな馬鹿な。あいつの外見はせいぜい二十歳くらいだったはずだ。確かに、なんとなーく、只者でない雰囲気は醸してたが。
「……いったい何者なんだ、あいつは」
「さてねえ。アタシにいえることは、ここに見えてるどの星にも、ルードの宿星に当てはまるものがない。宿星を持たない以上、星読みのアタシには、あいつの正体はよくわからないってことさ。ここにも、たまに遊びに来るけど、なにしろ神出鬼没でねえ」
シャダーンの星読みをもってしても正体不明とか、怪しいにも程がある。あいつ本当に人間なのか?
「ホホホ。今はあまり深く考えるのはおよし。どうせ考えたってわかりゃしないだろ。放っといても、ルードはいずれまたアンタに接触してくるさ。アンタのことは、ずいぶん気にかけてるようだったからね」
肥えた腹を揺すって、にやっと笑うシャダーン。あからさまに何か含みのある態度だ。だがここでそれを追及したって、どうせまともに答えてはくれないだろう。次の接触の機会を待って、ルード本人に直接、じっくり問いただしてやろうじゃないか。正体とまでいかずとも、最低限、俺にとって敵なのか、そうでないのか、それくらいはハッキリさせたいもんだ。
とりあえず、ルードの言ってたとおり、耳栓とやらを作ってみようか。何の役に立つのやら。
座ったまま寝こけてるハネリンは放っといて、シャダーンとともに邸の外へ。なにやら周囲が騒がしい。
玄関先に人だかりができている。ざっと二、三十人はいるだろうか。いずれも継ぎはぎだらけの麻のぼろきれをまとい、いかにも質素というか貧乏くさいというか。地元の百姓どもだろう。
見れば、梨の巨木の脇で、皆でトブリンを取り囲んで嬌声をあげている。なるほど、こいつらもトブリンの魅力にやられちまったか。
当のトブリンは木陰の下で、周囲の目なぞ気にするでもなく、ただひたすら下生えの雑草をもさもさ食ってるだけなんだが、たったそれだけの動作が、ギャラリーにとっては面白くて可愛いくて仕方ないようで、その一挙一動にきゃあきゃあと大騒ぎしている。上野のパンダかよ。
「皆のもの。これから、木に用事があるんでね。ちと離れておくれ」
シャダーンが声をかけると、百姓どもは、ささっとトブリンの周囲から離れた。だが立ち去ろうとはせず、やや遠巻きから、いかにも興味深げな様子でこちらを見守っている。
「……さて勇者どの。ご所望の神木だよ。ひとつ、手ごろそうな枝を見つくろって斬ってみるといい」
シャダーンの言葉に、いきなり百姓どもがざわめきはじめた。
「き、斬る? ご神木を?」
「そりゃあ、まずいのでは……」
「た、祟られるぞ、あの人……」
「おおっ、恐ろしや……!」
なんだ? あいつら、なにをそんなに騒いでるんだ。
シャダーンが説明する。
「ああ。このご神木には昔からの言い伝えがあってね。こいつを傷つけると、梨の怪神に祟られるって話さ」
梨の怪神? なんじゃそりゃ。




