181:凍てつく世界
唐突にシャダーンの口から飛び出した世界終末予測。天頂方向に広がる巨大ボイドが拡大して宇宙を覆い、すべての星々を呑み込み尽くしたとき、この世界の一切が闇に溶けるように消滅する──。
なにを馬鹿なことを──と笑いとばしたいところだが、シャダーンの口調も顔つきも、冗談を言っている雰囲気ではない。
俺様も、ちょっとばかし背筋のあたりに嫌な汗が滲んできた。ハネリンなど、ひたすらポカンと口を開けるばかりだ。あまりにスケールの大きな話になってきて、理解がついていかないのだろう。
「もしそれが事実として……そう遠くないと言ったが、具体的に、いつぐらいになるんだ?」
「そうさねぇ」
俺の質問に、少々考え込むような顔でシャダーンは応えた。
「今のペースでボイドが拡大を続けると、アタシの計算じゃ、だいたい二千年後くらいになるかね」
「二千年?」
おいおいなんだ、えらく先の話じゃねーか。はーやれやれ、びびらせやがってこのババア。
……と一瞬、安堵しかけたが。
シャダーンは、じっと俺の顔を見つめて、こう続けた。
「アンタ、今は人間の勇者でも、もとは魔族だろ。魔族ならわかるはずだよ。これがどういうことか」
「……そうか。そういうことか」
他の三種族と違い、魔族には老衰や自然死の概念がない。寿命というものが存在しないのだ。不死身ではないが、事故死とか他殺とか自殺とか、なんらかの外的要因によって肉体が損なわれない限り、死ぬことはない。ましてスーさんやチーみたいにアンデッド化すると、もはや殺されても死なない。あの二人くらいの最高位アンデッドになると、聖職者による解呪──ディスペルも一切通じないので、死にたくても死ねないほどだ。
俺の場合は、単なる魔王だった頃とはまた異なる意味で不老不死になっている。勇者限定の天然インチキ特典として、魔王を倒さない限り、老いることも衰えることもなく、たとえ死んでも即座に復活するという面白い身体になっているからだ。
シャダーンのいわんとするところ──俺と、俺の引き具する魔族どもは、特に大きな変事でもない限り、二千年後もまだ普通に生きている。このままボイドが拡大を続ければ、俺たちは二千年後に、世界の終末と滅亡を、その身で直接味わう羽目になるということだ。
「すでに、その兆候は始まっているはずだよ。アンタも心当たりがあるんじゃないのかい?」
シャダーンが囁くように訊ねてくる。
心当たりねぇ。そういわれてみれば、いくつか思い当たるふしもないではない。ひとつは、旧魔王城付近の上空に開いたという巨大な空間断裂。そこを通って、異世界からバハムートの大軍がこちらへ侵略してくるという話だ。いまひとつは、はるか北方から、今もじわじわと大陸を南下しつつある異常寒冷現象。そのいずれも、シャダーンの星読みの力をもってしても予知しえなかった、きわめてイレギュラーな事態だという。
「そのどちらか、あるいは両方とも、滅亡の予兆なのかもしれない。……おそらく、決定的なのは寒冷化現象だろう」
「なぜそう思う?」
「寒冷化ってのは、ようするに、あらゆる運動エネルギーが極度に低下している状態さ。そして絶対零度を迎え、すべてのエネルギーが完全に停止したとき、その空間は熱力学上の終焉──熱的死を迎えることになる。で、これは星読みとは関係ない単なる予想だが、これから二千年かけて、寒冷化がじっくりと世界全体に広がっていき、ついには全てが絶対零度に閉ざされ、世界そのものが完全に凍てつき、やがてボイドに呑まれ、闇に溶けて虚無となる。おそらくそれが世界の終末じゃないかとアタシは考えているのさ」
世界の熱的死か。確かに、ちょっとぞっとしない未来図だ。しかも原因が未だにわからないとくる。原因がわからなきゃ対策の打ちようもない。
シャダーンは、しばし俺の顔を見つめていたが、やがて何やら納得したようにうなずいた。グフフッと不気味な笑みを浮かべながら。
「……いやあ、すまないね、話がずいぶん脇にそれちまったよ。先々のことは、いったん置いといて、先に用事のほうを済ませようか」
「ここまで話しといて、そりゃないだろう。なんか対策とかあるんだろ?」
シャダーンは首を振ってみせた。
「そんなもん、あるわけないだろう。少なくとも、いまのところはね。いまアタシにできることは、今日アンタらがわざわざここに出向いてきた、その用事に応えてやることくらいさ」
用事……。
ああ、そうだった。俺たちがこんな辺鄙など田舎まで来たのは、物騒な終末予言なんぞを聞くためじゃない。いやそれはそれで気になるが、確かに優先順位ってもんがあるな。
「そっちの用件はわかってるよ。ほれ」
シャダーンは、胸元からがさごそと紙切れを取り出し、それを広げて、俺に差し出してきた。どうも地図のようだが。
「対魔族結界の発生源を知りたいんだろ。その地図に印をつけてある場所に、それぞれ特殊金属の碑が建てられている。どれかひとつでも潰せば、アンタの望み通り、対魔族結界は消滅するだろう。碑を破壊する方法はもう知ってるはずだね」
見ると、地図はエルフの森の全体図で、あちこちに赤丸で印が付けられている。合計六箇所。ここから一番近いのは、南霊府の北西五キロほどの距離にある森の中。飛んでいけば、往復でも半時間とかからないだろう。
「……ずいぶんあっさり教えてくれるんだな。俺が魔王だと承知していながら。あんた仮にもエルフの霊府の長だろうに」
「アンタが魔王でも勇者でも、それはどうでもいいことだよ」
シャダーンは、またも肥えた頬を歪めてグフッと笑った。だから怖いってその顔。
「アタシとしては、なるべく早めに、アンタにこの大陸を統一してもらいたいのさ。こんな状況じゃ、いつまでもエルフだ魔族だ翼人だなんて小さいことは言っていられないよ。たとえ強引な手段を用いてでも、四種族をひとつに束ね、その知恵と力を結集させて、世界の終末を食い止める。アンタならそれができるとアタシは見込んだ。だから手を貸してやるのさ」
「……ようするに、この俺に、世界を救えってか?」
「ホホホ、最終的には、そういうことになるねぇ」
えー。そんな理由で世界制覇しろってのかよ。なんか面倒くせえ。




