018:外道勇者、暁に死す
翌朝、目覚めると、ベッドに母親はいなかった。
部屋を出ると、母親が洗い場から声をかけてきた。やけに弾んだ、明るい声で。
「おはよっ、アーク。朝食できてるよ」
キラキラ輝く幸せそうな笑顔。そうか。そんなに満たされちゃったか。いい事をすると気分がいいな。
で、その朝食が、これまた異様に豪勢な。朝っぱらからスッポン鍋とか豚のレバー煮とかうなぎの蒲焼きとか。どういうことだ。いや、そういうことか。
やたらこってりした朝食を済ませ、街に出てみる。エルフの森へのお使いは出立三日以内。その準備をしておかんと。いや、こんなお使い、どうにも気乗りしないが……今の時点では、他にやることも思いつかないんでなぁ。
とりあえずは、武器だろう。昨日王宮で貰った戦士の剣なんてのは、儀杖用のハリボテだ。到底実戦に使えるもんじゃない。
聞いた話じゃ、エルフの森へ通じる地下通路はけっこう複雑な構造になってるそうだ。往来する商人、旅行者を狙って、盗賊、追い剥ぎのたぐいも潜んでいるとか。魔王だった頃なら、人間の盗賊なんぞ塵芥みたいなもんだが、今の俺では、そんな連中相手ですら、まともに渡り合えるかどうか怪しい。せめてちゃんとした剣の一本くらいは持っておきたいところだ。
街のメインストリートに出た。王宮から街はずれへ一直線に広い石畳の道路が伸びていて、その両脇に商店が並んでいる。朝は市場の露店なんかも出ている。人通りはかなり多く、馬車の往来も頻繁だ。商店の掛け声、ガタガタいう車輪の響き、雑踏のざわめき。賑やかを通り越してうっとおしいくらいだ。市場の熱気が肌にまとわりついてくる。
武器屋って、どこにあったっけな。アークとしての記憶を辿りながら、俺は雑踏の中を歩き続けた。武器屋はメインストリート沿いではなく、脇道のほうに入口があるはず。
その脇道に入ったところで、背後に剣呑な気配を感じた。明確な敵意と憎悪。それこそ背筋が凍るような。勇者としての気配察知能力が、俺に警告している――生命の危険がある、と。
慌てて振り向くと、ナイフを手にした女が、物凄い勢いで突っ込んでくるところだった。
「アァークゥゥ! ここで会ったがァ、百年目ェェェー!」
あ。幼馴染の娘じゃないか。学生の頃、アークにナチュラルにイジメ抜かれて、いまや病的なレベルでアークを恨んでるという。うわもう、鬼みたいな形相。殺る気満々だなおい。
いかん。速い。まずいぞこれ。動きは見えてるのに、俺の体が反応できん。
少し前にも、アークは同様のシチュエーションで刺されかけてるんだが、幼馴染の動きも速さも、そのときとは段違いだ。どうも身体強化の魔法を使ってるらしい。アークも一般人よりは鍛えられてるとはいえ、さすがにこれをさばくのは無理だ。
幼馴染が体ごと俺の懐へ飛び込み、両手でしっかと握ったナイフを突き出す。閃く白刃が見事に俺の心臓を貫いた。胸が熱い。たちまち鮮血がほとばしり、俺はその場に倒れ伏した。
幼馴染は血塗れたナイフを握りしめたまま、俺を見下ろし、立ちつくしている。くそ。もと魔王ともあろう者が、こんな小娘に刺されて死ぬとか、そんな馬鹿な。
薄れゆく意識の中、俺は幼馴染の声を聞いた――。
「あ、あんたが……いけないのよ……! あ、あたしを、ほっといて……あんな、ルミエルなんてオバンと……い、イチャイチャして……あ、あ、あんなことまで……!」
え? 恨んでるポイント、そこ? イジメとかでなく。
これって、あれか。いわゆる、ヤンデレってやつか。それは気付かなかった……とかいってる場合じゃない。やばい。死にそう。もう死ぬ。
死んだ。
瞼を開けると、極彩色のステンドグラスが視界にとびこんできた。
見覚えがある。これは教会の天井だ。
俺はいつのまにやら、ここの大聖堂の祭壇の上に身を横たえていた。
ゆっくり半身を起こしてみる。とくに痛みはない。胸を刺されたはずだが――その傷跡もない。服に血もついていない。どういうことだ。これは。
足音が響いた。俺がそちらへ顔を向けると、大聖堂のシャンデリアの輝きのもと、尼僧服の女がひとり、歩み寄ってくる。なんだ、シスターのルミエルじゃないか。
「おお、勇者AAAよ。しんでしまうとはなさけない」
死んだのかよ俺!
いやでも、こうやってピンピンしてるが……あ、そうか。これが噂に聞く勇者の天然インチキ能力のひとつ、死んでも即復活、ってやつか。
俺は祭壇から降りて、自分の身体状態を確かめてみた。どこにも異常はないようだ。
ルミエルが声をかけてくる。
「アーク……。ううん、勇者AAAとお呼びすべきかしら」
いや、お呼びしないでください。
「……アークでいい」
短く応えておく。せめてアークの名を知ってる連中には、そう呼んでもらいたいもんだ。エーエーエーなんて間抜けにもほどがあるし。
「ね、アーク。いくら勇者になったからといっても、用心を怠っちゃダメですよ。街は危険がいっぱいなんですからね」
いや、あんたとの関係がアレなせいで刺されたんで、街がどうとかは関係ない気がするけど。
「今後は気を付ける。それより、少し尋ねたいことが」
「その前に」
ルミエルは俺の言葉をさえぎって、にっこり笑った。
「所持金の半分を引き渡していただきます。わが教会への寄進として」
「え、なんで?」
「死亡と復活にともなうペナルティーですよ。古来、そういうしきたりになっているのです」
どういうしきたりだそりゃ。
「でもぉ、今回だけは、特別に……」
ふと、ルミエルの顔つきが変わった。ちょっぴり恥ずかしそうに、上目遣いで言う。
「別の方法で……払ってくださるのも、アリ……ですよ?」
モジモジと腰をくねらせる。黒い尼僧服の胸もと、豊かすぎる膨らみが、ふるるるんっと揺れている。
おおう。そういうことなら、喜んで払いましょう。だが今の俺は、もう以前のアークじゃないぞ。魔王の力と技、骨の髄まで思い知らせてくれるわ。
俺はがっしとルミエルを抱きしめ、押し倒した。
(以下自主規制につきお見せできないのが残念です。ええ、残念ですとも!)
「わ、私……もう、シスターやめて、アーク……ううん、アーク様に……お仕え、します……!」
……ルミエルは俺の腕の中で、うっとりと服従を宣言し、やがて失神してしまった。いや別にシスターやめなくていいけどな。
あ、そういえば、質問しようと思ってたのに。
この教会で売られてる、黄金聖水っていう商品の詳細をだな……。聞きそびれてしまったか。まあいいや。




