172:梅干とミルクティー
ルミエル直属の情報部とやらが、中央霊府での情報収集から戻ってくるまで、早めに見積もって四日ほど──という。
むろん、うまくいけばの話だ。もしその連中が何かヘマでもやらかせば、おそらく無事に帰って来られまい。
いずれにせよ、ただ拱手して連中の帰還を待つだけというのも芸がない。今のうちに、俺のほうでも、できることをやっておくべきだ。
最悪のケースとして考えられるのは、フルルがフィンブルに殺害されるか、もしくは生体ゴーレムにされてしまった場合だろう。前者については、あまり可能性はない。そもそも殺してしまったら人質の意味がないし。問題は後者だ。あのフィンブルなら、それくらい平気でやりかねん。
以前、生体ゴーレムと化した翼人どもと遭遇したことがある。問答無用でぶっ殺してから、話を聞こうと蘇生させてみたが、それでも魔力が解除されずに襲いかかってきた。解除方法が存在しない、凶悪きわまる強制魔法だ。もしフルルが、その状態で俺の前に現れたなら、現状では斬り殺す以外に選択肢はない。
──しかし、一縷の望みもないわけではない。あいつならば、なんとかうまい対策を思いつくかもしれない。
というわけで。いま俺は、ルザリク南の商店街、薬草通りの最奥部にひっそりたたずむ、土蔵のような建物の前に、ひとりで立っている。ドア脇の看板には、ルザリク市立魔法工学研究所──と大書きされている。
時刻はちょうど午後三時。所長のティアックは、いまごろ優雅にお茶でも飲んでいる頃だろう……。
と思いきや。ドアノッカーをがんがん叩くと、出てきたのは、例のだらしないパンツルックに、いかにも気怠けな寝ぼけ顔。
「ふひゃい……どなたぁー……」
「どなたもこなたもないわ。この顔を見忘れたか」
「んー……あれ、どこかでぇ……」
って本当に見忘れたのかよ!
「……あ」
ティアックは一瞬、思考停止したように硬直し、コクンとうなずいてから、おもむろに、カッと両目を見開いた。
「あ、あああああアークさま! お、おおお待ちしておりましたぁァァ!」
いきなり奇声をあげ、バンッ! とドアを開くティアック。ようやく思い出したか。学者にあるまじき鶏頭め。
「もしかして、今まで寝てたのか? もう夕方近いぞ」
「あー、いえそのぉ。近頃ちょっと、昼夜逆転しちゃってまして……。あっ、どうぞ、中へ! すぐ着替えてきますので……」
ドアを開け放したまま、ティアックはパタパタと慌しく部屋の奥へ駆け去っていった。相変わらず面白い女だ。
ティアックの研究室は、以前見たときとほとんど変わっていない。部屋の中央には、やはり例の麻袋が、どどんと積みあげられたままだ。ティアックは例によってパンツルックに白衣をひっかけた姿で研究室へ現れた。
部屋の奥のソファに、ふたり向き合って腰掛ける。テーブルには、ほわほわ湯気をたたえるティーカップが二つ。小皿に盛られた、赤い木の実のようなものは……。
「なんだこれは?」
「塩漬けにした梅の実を天日で三日ほど干したものです」
「……つまり、梅干か」
「ああ、世間ではそう呼ばれているそうですね」
世間では、って、じゃあ他にどんな言い方があるってんだよ! ていうかなんでティーカップと一緒に梅干が出てくるんだよ!
ティアックは俺の内心の突っ込みなどまるでおかまいなく、自分のティーカップにバサバサと砂糖をぶちこみ、ミルクをドボドボ注いで、カップを手に取ると、くいっと口をつけた。おもむろに小皿へ手を伸ばし、赤い梅干を口のなかに放り込む。
「んんー! すっぱぁぁい! いい感じに漬かってますよぉ! ささ、アークさまも、ご遠慮なさらず」
楽しそうに勧めてくるティアック。変人だとは思ってたが、ここまでアタマのネジがふっとんでる奴だとは思わなかった。というか、甘いミルクティーに梅干とか、俺はそんなゲテモノにチャレンジするために、わざわざここまで来たわけではない。
「……少し相談したいことがある。昨日の騒ぎに関連したことだが」
俺が話を切り出すと、ティアックは、きょとんとした顔つきで、首をかしげた。
「え、昨日? 昨日、何かあったんですか?」
あんだけ大騒ぎになってたのに知らんのかよ! まずはそこから説明しなきゃならんのか。手間のかかる奴め。
「……ははあ。それはまた、大変でしたねぇ」
俺の必死の説明により、ようやくティアックはルザリクの現状を把握したようだ。
「でも妙ですねぇ。フィンブル先生のことは、私もそれなりに存じてますけど。有名な方ですしね。でもあの方、女性には興味ないはずなのに、なんでそんなことを……」
いや、そもそもフィンブルは、女性というか生身の他人全般に興味がない。リリカとジーナの報告では、あいつは自分が作ったロックアームにしか欲情しない真性の変態らしいからな。
「フィンブルが何を考えてようが、それは俺の知ったことじゃない。だがフルルが連れ去られたのは事実だ。あの変態が、フルルをたちの悪い魔法の実験台にする可能性もある。それでだな……」
俺が最も懸念しているのは、フィンブルがフルルに強制魔法の烙印を施し、生体ゴーレムに仕立ててくる可能性だ。
いっぽう、ティアックは、かつてエンゲランの依頼を受けて、あの銀宝冠に強制魔法の烙印を刻んだ張本人。その知識と特殊技能をもって、逆に強制魔法を打ち消すような術法とか対策とかを、事前に講じることができないか。
そのへんをかいつまんでティアックに説明すると。
「はぁ。そりゃ難しいですねぇ……あれは色々と厄介で、こう……いちおう、術式を反転させれば……うーんでもそれには……」
しばし眉間に皺寄せて、ぶつぶつ何事か呟き続けるティアック。俺がしばらくじっと見守っていると。
「……むぅ」
ティアックは、やおら顔をあげ、こう口走った。
「できるかもしれませんよ。ただし」
「ただし?」
「アークさまには、かなりの苦痛を伴う方法になるかもしれません」
「苦痛? 俺がか?」
「はい。それだけの覚悟はおありですか?」
「そりゃ、少々の苦痛くらい、別にどうってことはないが。しかし、フルルを助けるのに、なぜ俺が?」
「強制魔法を打ち消す……つまりアンチ・マジック効果を持つ、より強力な紋章を、あらかじめ彫り込んでおく必要があるのです。アークさまの肉体に」
肉体に彫り込む……つまり、刺青か?
確かにそりゃ痛そうだ……。




