170:歌姫受難
庁舎の窓から一気に飛び出し、蒼い月光を浴びて、夜空を駆ける──目指すは野外音楽堂。
位置は街の中央やや北寄り。少々距離はあるが、徒歩でも庁舎から十数分ほど。空を飛んでいけば一瞬だ。上空から眺めおろす暗い市街に、もう赤々と火の手があがっているのが見える。
紅蓮の炎と煙のなか、躍るように手足を振り回す巨大な人型の影。例のロックアームだろう。以前見たものより、ずっと大きい。二十メートルくらいあるんじゃないか? フィンブルの野郎、無駄に技術を進化させているようだな。
「アエリア、突っ込むぞ」
──チョーイイネ! サイコー!
なんか色々引っかかりそうだから、それはやめれ。
──エラー。
やかましいわ。
ロックアーム相手なら、アエリアを抜くまでもない。加速し、風を巻いて一直線に突進する。
眼前迫る巨影めがけ、ぐっと拳を握りしめ、振り上げ──叩き込む。
ばごんっ! と、けたたましい破砕音が響き、ロックアームの頭部は粉々に砕け散った。この一撃でバランスを崩したか、ロックアームは、ぐらりと巨体を傾け、その場に土煙をあげて倒れ込んだ。
終わったか──と思いきや、首無しロックアームは、太い両腕をブンと振って地面をぶっ叩き、その反動を利用して、素早く飛び起きた。なんたる運動性。そういえば、こいつの構造上、頭部はたんなる飾りでしかない。それを砕いたところで、あまり意味はないんだった。こいつを止めるには、胴体を打ち砕くか、コアになっている謎の宝玉を抜き取らねばならない。
ふと、周囲を見渡してみる。酷い有様だ。いまロックアームが立っているのは野外音楽堂のステージの位置だが、木造のステージはもう滅茶苦茶に踏み砕かれて原型をとどめていない。客席は轟々たる激しい炎に包まれ、地面には瓦礫が散乱し、逃げ遅れた観客とおぼしき死体がいくつも転がっている。外周の壁もすっかり破壊されて、跡形もなく崩れ落ちている。いまなお四方慌てふためき悲鳴をあげつつ逃げ惑う人々の姿も見える。俺の姿を見て歓声をあげてる奴らもいるが、ほとんどの市民はまだ逃げるのに必死だ。
よくもまあ、ここまで徹底的にぶっ壊してくれたもんだな。再建にどれだけカネがかかることやら。ルミエルがブチ切れる姿がいまから目に浮かぶ。それはそうと、フルルは無事なんだろうか。一応、いま見えてる死体のなかには、それらしいものはないようだ。うまく逃げてるといいんだが。
それにしても、この巨体が、いったいどこからどうやって、この場に出現したのか。フィンブルの瞬間移動魔法とやらは、これほどの質量をも転移させられるものなのか。そのへんも含め、フィンブルには是非とも説明を求めたい。おそらく近くにいるだろう。まずはロックアームをぶっ壊し、アイツが出てくるよう仕向けねば。
ロックアームの胴体、とくに胸のあたりが、なにやら、ぼう……っと、青白く光りはじめた。両腕を振り上げ、ひたと制止する。
何事か──と見ていると、いきなり、二十メートルになんなんたる岩石の巨人、その両足が、ゆっくり地面を離れ、スゥーッと、音もなく宙に浮いていく。
なんと。この巨体で空中浮揚。これは凄い。凄い技術だ。フィンブルめ、ちょっと見ない間に、こんなとんでもないものを作ってやがったのか。
なるほど。このロックアームは、転移してきたんじゃない。この能力で、ここまで飛んで来たんだ。
灰色の岩巨人が、泳ぐように宙を進み、こちらへ太い腕をブォンッと振り回してくる。この一撃がまた、驚くほど鋭く、速い。まるで重力の束縛というものを感じさせない軽捷な動作で、風を切り裂き突進する殴りかかる蹴りつける。こりゃ、ますます凄い。いったいどんな技術なんだ。
ただ、その技術と性能には感心するものの、敵としては、脅威というほどでもない。超音速の動体視力を持つ俺様が、こんな程度の攻撃に当たるわけもなし。当たったところで痛くも痒くもないが。
──ハニー。アエリア、ツカウー? ブッタギルー?
アエリアが訊いてくる。アエリアなりに、このロックアームのパワーは少々侮れぬと判断したんだろう。いや、まだまだ俺は余裕だ。ここはあえて素手で。
轟音とともに迫りくるロックアームの左腕を、右アッパーカットで一撃粉砕。続けざま、繰り出される回し蹴りを、こちらが逆に蹴とばし、蹴り砕く。ロックアームは瞬時に左腕と右脚を喪失した。これが地上での戦いなら、コイツはもうぶっ倒れているはず。だが相変わらず宙に浮いたまま、なお軽々と攻撃を繰り出してくる。面倒くさい奴だ。
俺は軽く身構え、ロックアームの胴体めがけて突っ込んだ。その胸元へ迅雷一閃、飛び蹴りをぶちかます。
ばがん! と派手な音をたてて、岩の巨体は、あっけなく割れ砕けた。原型をとどめぬバラバラの岩塊と化して、がらんごげんと地面へ落っこちてゆく。後に残ったのは、スイカくらいの大きさの、青く輝く不思議な球体。これがコアだな。ボディーを失ってもなお、その魔力で、ふよふよと空中に浮かんでいる。俺がそれへ近付く素振りをみせると、たちまち、パァン! と盛大な破裂音を響かせ、青い球体は跡形も無く消滅した。またか。
「いっやー、参った参った。今回のは、ふんだんに新機軸を盛り込んだ自信作だったんだけどねえ。やはり防御力が問題かな?」
どこからか聴こえる、とぼけた声。
折り重なる音楽堂の瓦礫の上に、ぽつねんと立つ人影。白衣を肩にひっかけ、眼鏡の下にへらへらと薄ら笑いを浮かべる若い──いや若く見えるだけで、中身は割といいトシこいた中年らしいが──学者風のエルフ。フィンブルだ。
だが今回は、少々様子がおかしい。その両腕で、何かを──誰かを抱え込んでいる。お姫様だっこ?
燃える炎に皓々照り映える、その姿、その顔。いまフィンブルが抱えているのは──。
「何のつもりだ、フィンブル」
俺の問いかけに、フィンブルは、あくまで涼やかな笑みで答えた。
「いやあ、ちょっと人質にね。囚われの歌姫、それを救うべく奮闘する勇者……なんて、なかなか盛り上がるシチュエーションだと思わないかい?」
フィンブルの腕の中にいるのは、フリフリアイドル衣装をまとったフルル。気を失っているようだ。
「そういうわけで、この歌姫ちゃんは、僕が預かっておくからね。取り戻したければ、中央霊府の僕の研究所まで訪ねておいで」
何がそういうわけだ。さっぱり意味がわからんわ。
「あ、もちろん、色々と妨害はさせてもらうけどね。健闘を祈ってるよ」
「ちょっと待て。おまえ一体、何を──」
「待たないよ。では、また」
フィンブルは、早口に呪文を唱え、その場から消え去った。フルルごと。また瞬間移動か。
あの野郎、どういうつもりだ?
──ひょっとして。あいつ、わざわざフルルをさらうために、ここまで乗り込んできたのか? もしそうだとしたら、あのロックアームは、俺や市民の注意を惹き付けるための、単なる陽動に過ぎなかったってことか。やってくれるじゃねえか。変態のくせに生意気だ。
なんにせよ、これは宣戦布告と見るべきだろう。俺様の女にちょっかい出した以上、ただでは済まさん。
中央霊府か。次は南霊府へ向かうつもりだったんだが、これは予定変更せざるをえんか。
すぐに行ってやるから首を洗って待ってろよ、変態メガネ!




