017:母よ!
家に入ると、色とりどりのご馳走がテーブル狭しと並んで俺を待っていた。
羊肉のシチュー。鴨肉のロースト。真鯛の塩焼き。オマールのテルミドール。牛肉のパイ包み焼き。上等な白パンもどっさりと。
アークとして生きてきた十六年の記憶のなかで、これほど豪勢な食卓は見たことがない。
「昼間に、王宮の役人さんたちが訪ねてきてね。お祝いの下賜品だから、って、たくさん食べ物を置いていってくれたのよ」
母親が浮き浮きした様子で説明する。なるほど、これで勇者の門出を家族で祝え、と。
こんな地下でどうやって鯛だのオマールだの調達したんだろうな。あの王にしては、なかなか心憎い演出。ネーミングの件は絶対許さないが。
「それにしても……今朝、ケーフィル卿から、あらかじめ心の準備はしておくように、と聞かされてはいたけど」
二人で食卓につき、俺が無邪気にシチューなど啜ってると、母親がちょっと気遣わしげにつぶやいた。
「勇者になると、本当にずいぶんと変わるものなのね。顔つきもそうだし、雰囲気とかも……すっかり大人っぽくなって。いったい王宮で何があったの?」
息子の変貌に戸惑っている様子だ。無理もないな。アークは、少々歪んでるところもあったが、どっちかといえば、まだまだ子供っぽくて、性格もおとなしめだったし。顔つきも優しげで、おっとりしてたからな。
今の俺はといえば、さきほど鏡で確認したところ、目つきは無駄に険しく、頬や口もとはキリッと厳しく引き締まって、自分で言うのもなんだが、けっこう精悍な印象に変わっている。悪くいえば、少々老けた感じではある。十六歳にしては、変におっさんくさいというか。
「儀式さ。大人になるためのね」
俺は鴨肉をガフガフかじりながら、短く答えた。正直、いちいちキチンと説明するのは面倒くさい。メシ旨いし。
「そう……」
母親は一瞬、心配そうな表情を見せたが、すぐに気を取り直した様子で、優しく微笑んでみせた。
「だったら、大人になったお祝いに、ちゃんとした誕生日プレゼントをあげなくちゃね」
ううむ。この母親、こうして見ると、なかなかの美人だ。ちょっと生活に疲れて、くたびれてる感じが、またなんとも。
……プレゼントか。大人のプレゼントといったら、そりゃもう、あれだろう。
夕食を済ませ、洗い場に立つ母親に、背後から忍び寄り――そっと抱きすくめてみた。
「アーク? どうしたの……?」
「プレゼントが欲しいんだ」
耳元でささやいてみる。
「それなら、後で……あっ?」
手をわさわさ動かしながら、さらに、ささやいてみる。
「違うよ。僕が欲しいのは……」
「えっ、ちょっと、や、やめ……」
「母さん……」
やや強引に押し倒してみる。
「やめなさっ……! アーク、あなた、あっ、そんなっ……! ひっ……!」
(以下自主規制につきお見せできません)
……事を終え、眠る母親の顔。じつに満足げ。心なしか、お肌までツヤツヤと。
なんだかんだ言っても、長年寂しい思いをしてたんだろう。これも親孝行だよ。
アークの意識も、わずかながら俺の中にはある。当然、罪悪感のようなものがないわけではないが――母親を喜ばせてあげた、という満足感のほうが強いようだ。アークもどっかナチュラルに歪んでるとこがあったからなぁ。幼馴染への仕打ちとか。なんで俺はこんな奴に転生したんだ。
と、そこまで考えてから、俺はあらためて今の状況を整理する必要を感じた。今日、覚醒してから、どうも周囲の動きに流されっぱなしで、あまり深く考える暇がなかったのだ。
俺がこの身体に、つまり勇者に転生したのは、偶然ではないはずだ。俺はあのとき、世界制覇を願い、神魂はそれを承諾した。そして俺はトラックに轢かれ、勇者になった。チーの言葉では、俺の願いを叶えるために、神魂が判断し、実行した結果だという。それは逆に言うなら、俺が魔王のままでは世界制覇できないと神魂が判断した、という意味にもなる。
――なるほど。俺がいくら強くても、魔王である限り、いつか勇者が現れれば、それでお終いだ。結局、初代や先代と同じ末路を辿ることになるだろう。だから神魂は俺を勇者にしたんだ。
確かに、自分が勇者になってしまえば、もう誰にも討たれる心配はないからな。しかも、魔王を凌駕する無限の成長力をはじめ、数々の天然由来インチキパワーがこの身に宿っている。これでもう、何も恐れることなく、じっくりと世界制覇に乗り出せるというわけだ。それが神魂の判断だと。
ただ、これはこれで、新たな問題が出てくる。ひとつには、人間に転生してしまったことで、魔王としてそれまで築いてきた地盤をすべて失っていること。
あのときチーは、他の連中に、俺が帰ってくるのを待とう、みたいことを言ってたが。まさか俺が勇者になってるなんて知らないだろうし。下手すりゃ魔族を敵に回す羽目になりかねん。もと魔王としては、むろんそんな事態は避けたいところだ。なんとか連絡が取れりゃいいが、それでも信用してくれるかどうか。難しいところだな。
あとひとつ。さっきも感じたが、さすがにこの身体、貧弱にもほどがある。そりゃ一般人より少しはマシなんだろうが、魔王だった頃と比べるとな。世界制覇がどうとか以前に、まずこれを鍛えないことには、どうにもならん。といって、いまさら地道に鍛錬ってのもなぁ。
何かこう、手っ取り早く強くなる方法って、ないもんかね。




