169:カレーライスと白玉
ちょうどルミエルとハネリンが風呂から戻ってきた頃、今夜のライブ会場となっている野外音楽堂から、連絡役の職員が訪れてきた。
フルルが庁舎へ戻るには、まだ時間がかかりそうだという。
仕方ないので、俺たちは三人で夕食をとることに。
ルミエルとハネリンを連れて庁舎食堂へ入る。途端、鼻腔をくすぐるスパイシーな香り。
厨房でカレーを作ってるようだ。
このとき、食堂内に客は六人ほど。その全員が申し合わせたようにカレーライスを夢中でかきこんでいる。見ためは渋い割烹風の庁舎食堂が、まるでカレー専門店のごとき様相に。そういえば、俺がレシピを渡したあの板前さん、絶対に名物料理にする、とかいって張り切ってたしな。
今夜は和食で……と思ってたが、気が変わった。ふと、ルミエルと目があう。ルミエルは、やけに真剣な眼差しで、こくりとうなずいた。こいつも俺と同じことを考えたようだ。もうメニューは決まりだな。
一方ハネリンは、やや興奮気味に周囲を見回している。
「うわーうわー! すっごい、いい匂いがするよー! ねぇねぇ、あれなにー?」
「すぐにわかるさ。ほれ、座った座った」
俺たちは端っこのテーブルにつき、迷わずカレーライスを注文した。
待つほどのこともなく、店員たちが皿を運んでくる。たちまちハネリンが目を輝かせた。
深皿に盛られた白いライスに、具だくさんのルーがたっぷたぷ。ハネリンならずとも、これはテンション上がるな。
おや、この香り……。それに色も。俺のオリジナルとは微妙に違うようだ。
「おいしそぉーっ! いっただきまーす!」
「いただきます」
ハネリンとルミエルが同時にスプーンを口に運んだ。
途端、ハネリンの口から「むぎゃ」と奇声が漏れる。
「お……お……」
頬をかぁぁっと上気させながら、ハネリンは嬌声をあげた。
「おっいしーっ! す、すっごい! こんなの初めてだよー!」
一方、ルミエルは、うっとりしっとり瞳を潤ませつつ、ほうっと溜息をついている。
「はああ……すごい、おいしいです……!」
二人とも、すっかり夢中の様子。そんなに旨いのか。では、俺も──と、ひと匙、ライスとルーのバランスを取りつつ掬いあげ、口に運び──。
ぐぬふぅぅ!
まず口のなかに、ほんわりじんわり広がる甘みと深いコク。続いて、地の底からずんずんと湧きたつような、力強い辛味。しかし辛すぎるということはない。ぶっとい棘のように舌を突き上げたかと思うと、ぱぁぁっと爽やかに四方に散って、後味は糸を引くようなまろやかさ──。
これはまた──なんちゅう……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……!
旨さのあまり、つい、そんな台詞がごく自然に脳内から染み出してきた。しかも、どことなく懐かしい感じの味わいに仕上がっている。いったい何が入ってるんだろう?
思わず感動に浸っているところへ、ふと横から声をかけてくる者がいる。
「勇……いえ、市長。お味は、いかがでしょうか」
以前、俺がカレーのレシピを渡した、あの板前さんだ。たいそう充実しきった顔つきだが、その表情のなかに、一抹の不安も感じとれる。味には自信があるが、この世界における「カレーオリジナル」であるところの俺様が、どう反応するか──そんなところか。
「旨い」
俺は、きっぱりと答えてやった。
「おお……! それはなにより。実は、今日完成したばかりの試作品でして」
板前さんは、ほっとしたように笑みを浮かべた。よほど苦労して試行錯誤を重ねてきたのだろう。
「完璧に俺のレシピ以上のものに仕上がってるな。いったい、どんなスパイスを追加したんだ?」
「いえ、スパイスのほうは、唐辛子の種類を、より辛味の強いものに変えたくらいです。それ以外に、ちょっとした材料を加えまして……」
「ほほう、何を」
板前さんは、「私独自の工夫なので、どうかご内密に……」と、ちょっと声をひそめつつ、俺の耳にささやいた。
「……林檎と蜂蜜です」
ああ。そうきたか。
林檎と蜂蜜が恋をして、このカレーが生まれたわけだ。なんというバーモント健康法。
妙に懐かしみを憶えたのは、そのせいか。
「ところで、サージャたちはどうしてる?」
食後のひととき。俺はデザートの白玉アンミツをつつきながら、ルミエルに訊ねた。この白玉も、ふんわり、もちもちっと、これまた絶品。辛さに疲れた舌が、優しい甘さでほんわかと癒されていく。
ハネリンは、すっかり満足しきった様子で、「もーうごけなーい」とかいいながら、椅子にもたれかかって腹をさすっている。ひとりで四皿も平らげてたからな。旨いからって調子に乗って食い過ぎだ。
「それが……」
ルミエルは、わずかに瞼を伏せて応えた。
「三日ほど前から、ムザーラさん、アガシーさんともども、行方がわからなくなっているんです。お屋敷には扈従の方々が残っていますが、お三方の行き先などは、何も聞かされていないと」
「ほう……?」
俺はちょいと首をかしげた。つい半日前、俺はアガシーと会っている。アガシーは、いったん中央霊府に戻って、長老から使者の役目を拝命し、俺のもとを訪れた、と言っていた。となると、サージャとムザーラも中央へ戻っている可能性が高いな。
だがあいつら、特にサージャは、長老が俺へ差し出した人質だから、ルザリクへとどまっていなければならないはずだが。それが勝手に戻っていったんでは、人質の意味があるまい。あいつら、いったいどういうつもりだ?
あれこれ推測する間に、廊下のほうから複数、慌しい靴音が響いてきた。
エルフの役人どもが二人、息せききって食堂へ飛び込んでくる。
「おお、し、市長閣下ッ! こちらにおられましたか!」
「なんだ、何事だ?」
「や、野外音楽堂に──」
「ん? あそこはいま、フルルがライブをやってるんだろう?」
「は、はい! そのライブ会場に──いま、怪物が出現して、暴れているんです!」
怪物だと? なんだそりゃ。
「暗くて、詳しいことまでは、よくわかりませんが──その、岩の、巨人──というか、とにかく、巨大な岩の怪物です!」
岩の巨人だとぉ?
……またあいつか。他に考えられんな。
「ルミエル、市民の誘導を頼む」
「はいっ」
ルミエルは、キリッと表情を引き締め、立ち上がった。
「ハネリン!」
「あー、ご、ごめんにゃしゃいぃ……ハネリン、まだちょっと動けない……」
ええい、仕方ない奴だ。
「では、ハネリンは後で来い。ルミエル、そっちは任せるぞ」
「ええ、お任せください。お気をつけて」
俺は立ち上がり、アエリアの柄を叩いた。ほれほれ、出番だぞ。
──ウェーイ。
いきなり腑抜けた声出すな!
──オンドゥルルラギッタンディスカァー!
なぜ今更オンドゥル語。
アエリアの魔力がスゥーッと解放される。俺は食堂の窓を開けるや、床を蹴って、そのまま外へ飛び出した。朧雲漂う月夜の空へと一気に舞い上がる。
フィンブルの野郎。まさか、いきなり仕掛けてきやがるとはな。何のつもりか知らんが、ルザリクはいまや俺様の所有物。それを荒らされたとあっちゃあ、こっちも黙ってはいられん。あの変態メガネめ、問答無用で叩っ殺してくれるわ。




