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167:ルザリク帰還


 夜陰にまぎれ、密かに、静かに、ルザリクへと帰還する──。

 まず俺が市庁舎の前庭へと降り立ち、続いてトブリンが降下してきた。両翼をいっぱいに広げ、巨大な黒い影が、空から音もなく舞い降りてくる。トブリンは、ほぼ無音で前庭の芝を踏みしめ着地した。この巨体で、こうも静かに降りられるとは、器用なもんだ。


 ただ、それでも巨体ゆえに、どうしても目立つのは仕方ない。周囲は薄暗いが、まったくの闇というわけでもない。おそらく庁舎の連中は、この異変に気付いただろうが、ようは庁舎外の一般市民どもにさえ目撃されていなければそれでいい。余計な騒ぎを起こされたくないからな。


「よっ、と。ここが庁舎?」


 ハネリンがトブリンの背からひょいっと飛び降りる。

 俺はハネリンの肩に、ちょいと厚めのコートをひっかけてやった。背中の羽を隠すために。


 ハネリンは嬉しそうに微笑んだ。


「えへへ、魔王さま、やっさしー。前はこんなこと、絶対してくれなかったのに」

「何を言う。俺はいつでも優しいぞ」


 自分の女にだけは、だがな。


「あと、魔王じゃなくて、勇者と呼べといったろうが」

「はーい、ゆうしゃ、さまっ」


 まだなんか、発音がたどたどしいというか、棒読みっぽいというか。別にいいか。


「トブリンはここで待っていろ。すぐに飼葉を持ってきてやるから」


 そう声をかけると、トブリンはこっくりとうなずいた。素直でよろしい。

 俺はハネリンを連れ、前庭から庁舎へと向かった。ちょうど玄関へさしかかったあたりで、複数の役人エルフどもが、中からばたばた駆け出してきた。やはり気付いていたようだな。


「いたぞ! 侵入者だ!」

「貴様ら! そこで何を──」


 暗がりのなか、こちらへ誰何の声を投げかけてくる。ずいぶん慌てているようだ。無理もないが。

 俺は、鋭い叱咤を役人どもへ浴びせた。


「控えよ! 汝ら、この顔を見忘れたか」


 言いつつ、掌に小さな魔力球をつくりだし、高々とかざしてみせる。役人どもは一瞬身構えたが、魔力の蒼い輝きに照り映える俺の顔を見て、たちまち仰天した。


「ゆ、ゆゆゆゆ、勇者さま?」

「ご、ご帰還なさったのですか!」

「これは、ご、ご無礼を」


 驚き慌てる役人どもを、さらに叱りつける。


「愚かもの! 汝らは卑しくもルザリクの吏ではないか。勇者ではなく市長と呼ばんかッ」


 たっぷりハッタリを効かせながら、ぴしゃりと言い放つ。フルルとルミエルに一切を任せているとはいえ、一応、俺はここの市長でもあるからな。ケジメはつけさせんと。

 役人どもは「へへぇー!」と声を揃えつつ、なぜかその場で一斉に平伏してしまった。いや時代劇じゃないし、そこまでやらんでも。





 役人どもがいうには、現在、フルルは不在だが、ルミエルが助役室で執務中だという。

 そのルミエルが、役人どもの急報を受けて、玄関まで大慌てで迎えに出てきた。


「アークさま! よくご無事で……!」

「おう。今戻ったぞ」

「ご首尾はいかがでしたか?」

「むろん問題ない。竜の目玉百個、きっちり持って帰ってきたぞ。そっちはどうだ、変わりないか?」

「ええ、いたって平穏無事です。……最近、税制を改めましたが、そのときに少々揉めたくらいですね」

「揉めた?」

「ええ。税金を払えない貧乏な方々が、ここまで陳情に来られたんですが、皆さんとじっくり話し合って、納得していただきました。いまでは皆さん、喜んで払ってくださってます。さいわい、死者は数人で済みました」


 死人が出る話し合いって何だ。詳しく聞きたいような、いや聞かないほうがいいような。相変わらず貧乏人には情け容赦ない奴だ。


「フルルはライブか?」

「ええ、もうじき帰ってくると思いますよ。ところで、そちらの方は……」


 ルミエルは、ちらとハネリンへ視線を送った。


「ちょいと訳ありでな。ここでは説明できん。ともあれ、中へ入れてくれ」


 いま、周囲の役人どもにハネリンの名をきかせるわけにはいかない。ハネリンもそうだが、他にもピータンだのペータンだのハバタンだのと、翼人にはなにやら特有のネーミングセンスがあって、名前だけで翼人だとわかってしまう可能性がある。


「はい、わかりました。それと、もうひとつ、お尋ねしたいのですが」

「ん?」

「……あれは、いったいなんでしょうか?」


 そう言って、ルミエルは、つと俺たちの背後を指差した。振り返ってみると、巨大な黒い影が、俺とハネリンのすぐ真後ろに佇んでいる。トブリンだ。待ってろって言ったのに。ハネリンを慕ってか、結局玄関先までついてきてしまったようだ。

 周囲の役人どもが、その巨体に気付いて、一様に表情を凍りつかせた。暗がりのせいで、いっそう不気味な怪物か何かに見えてるんだろう。


「心配するな、こいつは味方だ。おまえらを取って喰ったりはせん」


 俺が言うと、そのとおり──とでも言わんばかり、トブリンはコクコクとうなずき、後肢を折りたたんで、いわゆる「おすわり」のポーズを取った。その仕草がまた、なんとも愛嬌たっぷり。


「まあ……!」


 たちまちルミエルが目を輝かせた。

 さらにトブリンは、前肢で顔をすりすりっとこすってみせた。あれだ、猫がよくやるような。


「か、かわいいですね……!」


 溜息まじりにトブリンの仕草に見とれるルミエル。役人たちも、その愛らしい姿に、さきほどの驚きも吹っ飛び、たちまち和んでしまった様子だ。

 これは凄い。トブリンめ、一瞬でルミエルたちのハートをわし掴みにしやがった。想像以上の愛されキャラっぷりだ。


 この様子なら、役人たちも、もう無闇にトブリンを怖れたり警戒したりはするまい。放っといてよさそうだな。

 あとでフルルともご対面させてやるか。きっとフルルも喜ぶはずだ。



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