155:暁の強襲
ビワー湖北岸上空、高度およそ二百メートル。
気流を突っきり、薄雲を蹴散らすように、俺は一直線に、北方めがけ天を駆ける。
時刻は早朝。正直、まだちょっと眠気が残っている。アエリアなんて、まだ半分寝てやがる。だが今はそうも言っていられない。
──ハニィー。モットネタイー。ネムネムー。
情けない声を俺の脳内に響かせるアエリア。ええい、まだそんなことを。とっとと目覚めて、もっとしっかり魔力を解放せい。今の状態じゃ、音速も出せんぞ。
飛行を続けつつ、懐中からドラゴンレーダーを取り出す。水晶に映っているのは、画面上部をびっしりと埋め尽くして移動する、無数の光点。いったいどれくらいになるのか、正確には把握しきれんが、竜──ナーガの大群が、はるか北西から、中央霊府の方角へ向かっていることは、ほぼ間違いない。
ザグロス山脈中腹──あの大洞穴の中で、クラスカたちに三次元シミュレーターを見せられ、バハムートによる異世界植民計画の詳細を知らされてから、一週間が過ぎている。
あの直後、俺は二人と別れて、ひとり緑林の砦へ赴き、ハッジスたち緑林軍の面々と再会している。といっても、ちょっと腰を落ち着ける場所が欲しかっただけで、とくにハッジスに用事があったわけじゃないが。当然、バハムートの件もハッジスには言っていない。そもそも現状、人間やエルフにわざわざこんな事態を告げる意味もない。無用の混乱を招きかねないしな。
以前ハッジスに命じておいた、塩賊との提携交渉の推移については、かなり順調だという。「勇者の肩入れ」という金看板は、俺自身が想像していた以上に塩賊たちを震えあがらせ、交渉はハッジスたちに有利な方向で纏まりつつあるらしい。これがうまくいけば、この付近の賊どもの世話は、すべてハッジスに任せておけるようになるだろう。もちろん、こいつらのアガリは最終的には俺の懐にがっぽり収まるわけだがな。
この一週間、俺は緑林の砦に腰を落ち着け、あのベギスたちを使って、付近の竜の目撃情報を集めさせていた。ナーガどもの動向を探り、今後の行動の指針を立てるために。とりあえず、本格的なバハムート対策は後回しとして、先にナーガを可能な限り狩っておくべきというのが、現時点での俺の判断。これまで、散発的な目撃情報をもとに西へ東へ飛び回ったが、ことごとく空振りに終わっている。どうも動きが読みづらい連中だ。
バハムートについても一応、最低限の手は打っておいた。俺自身がスーさん宛ての勅書をしたため、それをクラスカたちに持たせて、魔王城へ赴いてもらっている。今頃はもう城に到着して、スーさんに勅書を渡しているだろう。応急処置的な手段ではあるが、スーさんたちに、ある方法で時間稼ぎをやってもらい、その間に俺はさっさとエルフの森の支配権を確立してしまう。しかる後、本腰を据えてバハムートを迎え撃つ、もしくは食い止める手段を講じようという順序だ。
エルフの森を掌握するには、まず長老の依頼をこなさねばならない。それで、緑林の砦でナーガの情報を集めさせていたわけだが──つい今朝がた、たまたま営舎のベッドで目をさますと、ドラゴンレーダーにいきなり大量の光点が感知されているのに気付いた。それで慌ててベッドから跳ね起き、ハッジスを叩き起こして出発を告げ、取るものも取りあえずという状態で飛び出してきたわけだ。
ぐずるアエリアを急かして、緑林の砦から北を目指して飛ぶ。いま眼下に見えるは、あの栗を拾った里山。その彼方にのぞむ平原、赤土色の街道が伸びる先に、茶褐色のかたまりのようなルザリクの街のたたずまい。
まだ竜退治に出立して十日ほどしか経ってないが、今頃ルミエルやフルルはどうしているだろう。あいつらのことだから、元気に歌ったり踊ったり市民を洗脳したり搾取したり酷使したり、それなりに楽しくやってるだろうとは思うが。
ナーガどもを片付けたら、いったんルザリクへ戻って、あの庁舎食堂で、おでんでも食うか。もちろんメインはルザリク名物の大根で。
ルザリクの直上を通過し、あらためてレーダーの示す方角を仰ぎ見ると──いた。まだかなり距離はあるが、秋空の一角を覆い、蠢く黒い影。雲のようにかたまって、ゆっくりと移動している。あれに間違いないな。
正確な数は、まだわからん。だが以前、サージャは、中央霊府へ次第に竜の大群が向かいつつあること、その数およそ五十匹くらい──という情報を俺に語っている。もしそれが、こいつらのことだとすれば、ここで一気に長老の依頼をクリアできるだろう。
というわけで、アエリア。ちょっと気合入れていくぞ。
──フニャン。
寝起きの子猫みたいな声出すな! ちょっと可愛いとか思っちまったじゃねーか。ちょっとだけな。
──エー、カワイイ? エーマジマジ? マジデー? オォウラッシャオラァー! イッタレヤオラァー! ヒャーハーッ!
いきなり、ズギュン! とアエリアの魔力が増大するのを感じた。ようやく本格的にお目覚めのようだ。まったく手間のかかる奴め。しかも相変わらず頭悪そうだ。
──コロセーコロセーミナゴロセー。ブッコロセー。ブッコロリー。ロリロリー。
あ、なんか久々に聞いた気がするぞコロセコール。ロリは関係ねえだろ。ロリは。
俺はアエリアを鞘から抜き放ち、彼方の黒影めがけ、突進を開始した。同時に、アエリアの特技──形状変化が発動し、刃渡り八尺はあろうかという特大剣へと変貌する。その巨大な刀身を振り上げ振りおろし、まずは超音速の衝撃波を前方へ叩き込む。
たちまち、悠々と手前を飛んでいた一匹に、俺の見えざる一発が直撃した。手ごたえは充分だ。両翼がバラバラに砕け、首はありえない方向へボキンとへし折れ、断末魔すらあげることなく、まっすぐ落っこちていく。まずは一匹。
ここにきて、ぼちぼちナーガどもが異変に気付いたようだ。数匹が驚いたように鋭い咆哮をあげ、それによって、先行していた連中も、後についていた連中も、一斉にぐるりと向きを変えた。こっち見んな。どいつもこいつも無駄に凶悪そうな面相しおって。なんかすごいガンとばしてきてるし。
こいつらが充分な体勢を整える前に、勝負をつけてやろう。
俺はぐっとアエリアを振り上げるや、雲霞のごとき竜の大群めがけ、そのど真ん中へと、まっすぐ飛び込んでいった──。




