015:覚醒
闇の底から、ずっと抑え付けられていた古い記憶が泡のように浮かび上がって、それまでの記憶と重なり、溶け合って、ひとつになってゆく。
何かが弾けた――。
おお。
そうそう。やっと思い出したわ。
トラックに轢かれて、こんな身体に転生してるとはな。
どうもこの、聖痕ってやつが、俺の記憶と意識を封印する役目を果たしていたようだ。多分、副作用だろう。
聖痕ってのは、勇者として天に選ばれた子供に宿って、その肉体と精神がある程度成長するまで、勇者の資質を封じ込めておくものらしい。それがあのダイヤモンド・アイとかで、魔王の記憶ごと一気に解除されたと。
アークの記憶や人格も、すでに俺の意識の中で違和感なく統合されている。俺はもと魔王であり、アークでもあるわけだ。ただ、アークとしての経験はわずか十六年。魔王としての七十年近い記憶に比べれば薄っぺらいものだ。人格や意識というのは、記憶をベースとして形成されるらしいからな。結局、もと魔王としての意識のほうが、より強く前面に出ることになったわけだ。
いま俺の中では、途方もなく巨大な資質が目覚めつつある。聖痕に封じられていた、勇者の資質――人の身で魔王討伐すら可能とする天然インチキパワー――が俺の肉体を満たしてゆく。
なるほどなぁ。十六歳まであえて勇者を覚醒させないってのは、こういうことか。それくらいまで成長してないと、肉体のほうが勇者の資質に耐えられないんだな。それほど強大な素養が、聖痕という形で封じ込められていたんだ。
意識が完全に戻った。いま、俺は王の前でひざまずき、頭を垂れ、目を閉じている。
とりあえず――ざっと現状をチェックしておこう。
魔力はほぼ皆無に近い。まったくゼロではないが、こんな回復魔法いっぺん使えるかどうかなんて状態じゃ、無いも同じだ。かつて地上最大の魔力を誇った俺ともあろう者が、なんたることか。
身体能力も、これまた貧相な。少しは鍛えられてるようだが、魔王時代の頑健さには遠く及ばん。これじゃ胸に釘一本刺さっただけで死にかねんぞ。なんとも頼りない。
しかし――素質。ことに身体能力について、ほとんど天井知らずといっていいほど特大のキャパシティを感じる。今はまだまだ貧弱だが、鍛えれば鍛えるほど、無限に強くなっていくような。そういう常人にはない特別な素質が今の自分には備わっているようだ。それが勇者ということか。
動体視力や気配察知能力はきわめて高い。このへんについては、魔王だった頃より優れてるかもしれん。感覚は鋭く研ぎ澄まされてるし、どんな素早い動体も確実に捕捉できるだろう。それこそ超音速の物体ですら。ただ今の時点では、自分の身体能力がそれに連動できない。例えば戦闘時、いくら敵の動きが見えていても、体が思うように動かせなくて、結局適切に対処できない。今の俺は、だいたいそんな状態のようだ。
さて、チェックは終わり。
目を開けて、顔をあげてみる。王は玉座の前に仁王立ちして、こちらの様子を見守っていた。
「勇者よ。汝の使命は何か?」
おもむろに王が問いかけてくる。まだ儀式は続いてるようだな。
「世界の救済。平衡の守護。それこそわが使命なり」
いきなり、思ってもいない言葉が、自分の口から流れ出た。なんだ、これは……?
再び王が問う。
「勇者よ。世界の救済のため、立ち上がってくれるか?」
「我が力と智恵のすべてを挙げて」
またも俺の口から勝手に返答が流れる。こら、なに格好つけてんだボケ。
このとき、俺は自分の意識の片隅に、何やら妙な異物が入り込んでいるのを感じた。勇者の使命感とか、大義とか、善性とか、人類愛とか、そういうものが俺の意識をせっついてるようなのだ。良心回路とでもいえばいいのか。思ってもいない台詞が出てきたのは、こいつのせいだ。
聖痕は、勇者の力だけでなく、勇者にふさわしい、いわば正義の味方としての意識をも、その内側に封じ込めていたようだ。封印解放と同時に、当人の性格を善人一辺倒に塗りつぶし、正義の勇者いっちょうあがり。そういう仕組みのようだ。しゃらくさい。
俺が前世魔王でなければ、今頃は完全に良い子ちゃんになってただろう。だが魔王の記憶と、そこから形成される意識がすでに逆襲を開始している。良心回路は意識の隅に追いやられて必死に抵抗中というわけだ。もっとも、それも時間の問題だろう。俺の脳内では、いまなお膨れあがっていく魔王としての意識が、良心回路を容赦なく責めまくって、ひぎぃぃーとか、んっほおおおーとかいわせまくってるのがわかる。ダブルピースまであと少しってとこだ。
「……どうやら、完全に覚醒したようだな。これにて儀式は済んだぞ。勇者よ、気分はどうかな」
王が笑顔でたずねてくる。正直、あまり良い気分じゃないが……。ここは、無難に振舞っておいたほうがよさそうだ。
いきなりここで暴れても、何もメリットはない。なにより、今の俺は魔王時代とは比較にならないほど弱いのだ。おそらくアクシードやケーフィルにすら勝てないだろう。経験を積み、鍛えあげなければならないようだ。面倒くさい話だな。
「陛下のおかげをもちまして、気分すこぶる爽やかでございます」
俺は少々たどたどしく答えた。今は様子見だ。表面だけでも、せいぜいそれっぽく見せかけておかんと。
王は「うむ」と、満足げにうなずいた。
「いまこのときをもって、汝を正式に勇者と認定し、準男爵の称号を授けるものとする」
一代貴族か。しょぼいな。準男爵って、領地もない名目だけの貴族じゃねーか。
「身に余る光栄。有難き幸せでございます」
鹿爪らしい顔で、一応そう答えておく。もと魔王として、こんなゴミ爵位が有難いわけないが、一庶民よりはマシか。少しは何か特権があるだろうし。
侍従が、大きな盆をかかげて、王のもとへ歩み寄った。盆の上には、金色の鞘に収まった長剣。王はそれを掴んで、俺のほうへ向き直り、仰々しい声で告げた。
「さあ、戦士の剣を受け取るがよい。近う寄れ。勇者AAAよ」
おい。




