145:白と黒
俺の蘇生魔法が、人間、エルフ、魔族、翼人、この四種族すべてに有効であることは、すでに証明済み。もっとも、地下通路で聞いた、あのミラと二代目勇者の事例から、アンデッド化した人間を元に戻すことはできないようだ。
はたして竜に勇者の蘇生魔法が通じるかどうか。俺は、白竜をその場にとどめておいて、一人で森へ降り立ち、そこらの地面に散らばり落っこちていた黒竜の肉片の一塊へ、蘇生魔法をかけてみた。
途端、まばゆい白濁光が俺の両掌から四方へと、物凄い勢いでぐんぐん広がってゆき──。
光がおさまると、俺の眼前、木漏れ日の下、地面に腰を据えて静かに佇む黒竜の姿。
案ずるより生むが易しというが、ずいぶんあっさり生き返ってしまった。あれほど丁寧に情け容赦なく徹底的にばらんばらんに切り刻んでおいたにも関わらず、傷ひとつない元通りの姿に戻っている。
ただ、やはりこれだけのデカブツを蘇生させるとなると、俺自身、かなり膨大な魔力とか気力とかを消耗するようだ。肩のあたりにズッシリと疲れがある。足元もちょっとおぼつかない感じだ。勇者として覚醒して以来、これほど強烈な疲労をおぼえたのは初めてかもしれない。
──ハニー。ダイジョウブー? ヤスメー。ネレ。
アエリアが珍しくそんな警告を出してきた。俺の魔力とスタミナが極端に低下していると感じたんだろう。いやさすがに、ここで寝るわけにはいかん。後で緑林の砦へ行って休ませてもらうか。
いまは、それより。
黒竜は、やや戸惑っているように、まばたきを繰り返しつつ俺を眺めおろしている。またもあの砂嵐ノイズが俺の脳内に響きはじめた。
金色の双瞳が、まだ落ち着かなげな眼差しを俺に向けてくる。
(……ぬ……か……)
激しいノイズに混じり、ぽつぽつと、こいつの思念が届きはじめた。
(……どうなっ……れ……)
もうそろそろ、話が通じるかな? 試しに声をかけてみよう。
「おい。気分はどうだ?」
黒竜は、ちょっと驚いたように鼻のあたりをひくつかせた。
(……悪くない)
おお、通じた。では改めて話を──というところで、上からバッサバッサと慌しい羽ばたきが聴こえてきた。白竜が降りてきたようだな。待ってろって言ったのに。
(クラスカ! クラスカ! クラスカァー!)
たちまち脳内響く甲高い白竜の思念。やかましいわ。
(生きてる? 生きてるの? 本当に生き返ったの?)
喚きつつ、翼を畳んで地面めがけ飛び降りてくる。ちょうどそこらはブナが密生してるあたりだが、白竜はかまわず直下の木々をへし折り薙ぎ倒し、けたたましい地響きをたてながら強引に着地した。どうも頭に血が上ると、他のことが見えなくなるタイプのようだな。
(ああ、クラスカ! 本当に生き返った! 痛いところはない? 傷は残ってない?)
(う、うむ。問題ない……。だが、いったい何が何やら)
白竜の思念に、黒竜の低い声が応える。ずいぶんクリアに聴こえるようになった。
(あなた、このデコスケ野郎に殺されちゃったのよ。それで、わたしが文句を言って、そしたらデコスケ野郎があなたを魔法で生き返らせてくれたってわけ)
白竜は後肢で直立し、ズンズンと足音を轟かせて黒竜のそばへ歩み寄った。ほう。こいつら二足歩行できるのか。それはいいがデコスケ言うな。野郎まで付けやがって。
白竜は黒竜と並んで、俺のほうへ向き直った。
(あなた、意外に凄いのね。本当に死者を生き返らせるなんて。あ、でもお礼はいわないからね。もとはといえば、あなたが勘違いでクラスカを殺したんだから)
白竜が嫌味ったらしく俺の意識へ囁きかけてくる。いかに俺様があの青空のごとく広大無辺の寛容な心の持ち主といえど、限度ってもんがある。さすがに少々ムッときて、こう言い返した。
「勘違いといわれてもな。こっちは何も事情を知らんのだぞ。蘇生させてやっただけでも有難いと思え。でもって、さっさと事情を説明しろ。事と次第によっちゃ、今度は二匹まとめて斬り殺すぞ」
(ふん、できるもんならやってみなさい)
俺の煽りに、白竜がまた興奮気味に金色の瞳を輝かせる。単純な奴め。
(よさんか、イレーネ)
黒竜の思念が割って入ってくる。こちらはずいぶん落ち着いてる感じだな。顔つきは凶暴そのものだが。
(確認しておきたい。きみの名はアンブローズ・アクロイナ・アレステル……通称アーク。そうだな?)
こいつ、俺の名前を知ってやがるのか。どういうことだ。
「確かに、それで間違いないが……なぜ知っている。何者だ、おまえたち」
(それに答える前に……異界の王よ。私を生き返らせてくれたこと、まず礼を述べておく)
黒竜の何げない呼びかけに、俺はちょいと首をかしげた。異界の王って、俺のことか?
先程の白竜との会話でも感じたが、やはりこいつら、この世界とは違う、どこか別の世界なり次元なりからの来訪者のようだ。でなきゃ異界なんて言葉は出てこないだろう。さらにこいつら、俺がこの世界の王だと認識しているらしい。こいつら、本当に何者なんだ。こりゃ是が非でも詳しく説明してもらわんと。
(こちらからも、少しばかり、お返しをしておこう)
突如、黒竜の双瞳がキラッと輝いた。たちまち俺の全身が薄い金色の燐光に包み込まれる。おお、なんだ?
不思議な輝きのなかで、ぐんぐんと身体から疲れが抜け、急速に癒されていく。えもいわれぬ心地よさだ。なんというか、腕のいい指圧師に丁寧に全身マッサージしてもらってるような感覚。これは何かの魔法だろうか。だとしても、この世界の治療魔法などとは根本から理屈が違うようだ。
燐光が収まったとき、あれほど俺の肩にのしかかっていた重々しい疲労感はさっぱり消えて無くなっていた。かわって、全身に力がみなぎっている。気分も爽やかだ。
(ずいぶん消耗しているように見えたのでな。どうかな、気分は)
黒竜が訊いてくる。
「……たいしたもんだ。すっかりよくなった。だが、どういう理屈なんだ、今のは」
(きみの中に眠る回復力を刺激し、呼び起こしただけだ。我々バハムートは、生命体が持つ気の流れを、ある程度まで操作することができる。きみのように死者を甦らせるような芸当は、さすがにできないが)
気の流れ……ようするにあれか、気功とか、そんな感じか。それなら、なんとなく納得できる。やはり魔法ではないってことか。
「で? そのバハムートってのは、種族の名前か? そろそろ、説明してもらいたいな」
俺が言うと、横から白竜が思念を投げかけてきた。
(言われなくても聞かせてやるわよ。あなた、いまがどういう状況か、全然わかってないんでしょ。それでよくも、この世界の王なんてつとまるもんよね)
なんでこう、こいつはいちいち突っかかってくるのか。そもそも、俺はまだこの世界の王ってほど昇りつめていない。一応、魔王として、世界の大半を掌握済みではあるが、まだ全てを手に入れたわけじゃないからな。だからこそ、今もこうしてエルフの森を飛び回ってるんだし。
(イレーネ、いい加減にせんか)
黒竜がたしなめると、白竜は、喉の奥から、くぅぅぅ……と、小さな唸り声を発した。
(はいはい。わたしはもう黙っとくから、さっさと説明してあげて)
(何をそんなに怒ってるんだ)
(べっつにー)
白竜は、不機嫌そうに、ぷいと横を向いてしまった。
なんなんだこいつらは。痴話喧嘩ならどっかよそでやれ。ていうか、はよ説明せんかい。