144:ドラゴン・ヒステリー
晴れた空の一角から、白い鱗を陽光にキラキラ乱反射させながら、新手の竜が、大急ぎでこちらへ突っ込んでくる。
俺はアエリアをつがえ、軽く身構えた。さっきの黒竜は、ほとんど無抵抗で、戦いというにはあまりに一方的な展開だった。こいつは、少しは楽しませてくれるだろうか──。
ふと、白竜は、大きく翼をはばたかせて、俺の前に急停止した。
見れば、鱗の色は違うが、大きさや外観は黒竜とほぼ同じ。顔つきは、こっちのほうが若干スッキリしていて、凶暴な印象も薄らぎ、ちょっとだけ、おとなしげな雰囲気がある。ただ、俺を睨みつける金色の双瞳は燃えるように輝いていて、なにやら凄まじく険呑な気配をたたえていた。
巨大な顎から無数の牙を剥き出しつつ、喉の奥から、ギュルルルルゥ……と、かすかな唸り声を発している。よくわからんが、えらく腹を立ててるようだ。仲間が殺されて頭に来てるってとこか。
またも脳内に、例の砂嵐っぽいノイズが響きはじめた。こいつも黒竜と同じ能力を持ってるのか。ガーガーザリザリビービーと、やかましくてかなわん。
(……なんで)
雑音とともに、かすかに、甲高い声が聴こえてくる。なんだなんだ?
ノイズがどんどん強まっていく。次第に、激しい砂嵐の向こうから何者かが懸命に呼びかけてくるような、不思議な思念の声が、ぽつぽつと聴き取れるようになっていった。
(……殺した)
(なんで)
(──ひどい)
(殺すなんて)
(なんで──)
最初はあまりに雑音が酷くて、何を言ってるのかわからなかったが、だんだんクリアになってきた。なんとなく、女っぽい声だ。女の怒声というか罵声というか、そう聴こえる。
(──ひどいよ。なんで殺したの)
ノイズがおさまっていく。そのぶん、声のほうは、より明確に聴こえるようになった。ちょうどラジオのチューニングが合ってきたように。
(ただ話を聞いてほしかっただけなのに。殺すなんて。許せない、許せない……!)
はぁ?
話を聞いてほしかった……だけ?
何を言ってるんだ。こいつは。
わけがわからんが、この白竜が、俺が黒竜を斬り殺したことを激しく嘆き悲しみ、かつ怒ってるということだけは、一応わかる。
(ああ! 何の罪もないクラスカが殺されるなんて! こんなのひどい! あなた、絶対許さないから!)
そう声が響くと同時に、白竜は、より厳しい目つきで、ギンッと俺を睨みつけてきた。
(クラスカ! クラスカぁ! ああっ、こんなことになるなんて! 許せない! 許せない! 許せなぃぃぃーっ!)
いきなり翼や尻尾をばったばったと振りながら、白竜は俺の眼前でごつい四肢をぶんぶん振りまわし、激しく身悶えしはじめた。
うわ、ひょっとしてこれ、ヒステリー起こしてる? 何なんだこいつは。クラスカってのは、あの黒竜のことだろうか。
ふと気付いたが──もしかして、今ならチューニングが合ってて、会話が通じたりするんだろうか。
試しに、こちらからも、心で言葉を念じてみよう。──おい、おまえ。と、呼びかけてみた。
しかし、反応はない。相変わらず駄々っ子のようにジタバタしながら、許さない許さない許さないと思念の声を連呼している。ならばと、今度は直接、話しかけてみた。
「おい。何なんだ、おまえは」
ぴたっ、と白竜は動きを止めた。次いで、俺へ向け、クワッと巨大な顎を開き、キョォォォォ……と、甲高い咆哮をあげる。同時に、再び思念の声が俺の脳内に響いた。
(何なんだ、ですってぇ? 見てわかんないの、このデコスケ!)
「誰がデコスケだァ!」
いきなりの意味不明な罵倒に、俺もついつい反応してしまった。というかデコスケって何だ。俺そんなにデコ広くないと思うんだけど。
(あなたなんかデコスケで充分よ! クラスカを返せ!)
どうやら一応、意思の疎通は可能らしいな。相手は念話、こっちは直接会話でしか通じないようだが。しかしまさか、竜と会話ができるとは驚きだ。少なくとも人間と同等くらいの知能は持ち合わせてるってことか。それに、猛烈に腹を立ててはいるが、ただちに襲いかかってくるような気配はない。ずいぶん理性的な竜のようだ。
ちょっとばかし、こいつに興味が湧いて来た。少し探りを入れてみるか。殺すのはいつでもできるしな。
俺はぐっと表情を引き締め、こう問いかけてみた。
「……おまえたち、人間やエルフをしょっちゅう襲って殺してるじゃないか。それを今更、話を聞けだと? いったい何のつもりだ、貴様」
(違う!)
「何が違う?」
(わたしたちは、この世界の原住民を襲ったりしない! それって全部ナーガの仕業でしょ! あなた、もしかしてバハムートとナーガの見分けもつかないの? 目ん玉腐ってんの? お馬鹿なの? 死ぬの? いやもう死んで! あなたいますぐ死ぬべきよ!)
またも興奮状態でジタバタ暴れだす白竜。なんで俺様がここまで罵倒されにゃならんのだ。というかナーガとかバハムートとか、いきなり言われても、わけがわからんわ。
ただ、今の言動には、少々聞き流せない部分が含まれている。
──自分たちは「この世界の」原住民を襲わない──こいつは、確かにそう言った。
ということは、こいつ、ひょっとして……。
「おい。ちょっと落ち着け。もう少し詳しく事情を──」
(ああもう信じられない! じゃあ何、あなたの勘違いでクラスカは殺されたっていうの? こんなのってあんまりよぉ!)
まだやってる。いい加減にせんか。
「やかましい! 話を聞かんかッ!」
くわっと大喝一声、腹の底から叱声を叩きつける。
(……!)
再び、白竜は、ひたと動きを止めた。
「事情を説明しろ。ナーガとかバハムートとか、いったい何のことだ」
そう俺が睨みつけると、白竜は、ぐぅぅぅ……と、小さく唸り声を発し、こっちを睨み返してきた。
(いまさら遅いよ! もうクラスカは戻ってこない……!)
白竜の両眼から、嘆きと悲しみの波動というか、念波というか、そういうのが、ひしひしと伝わってくる。まったく面倒な奴だ。ならば。
「そんなに言うなら、生き返らせてやろうか? 事情を説明する気があるなら、だが」
(……は?)
俺の提案に、白竜は、きょとんと金色の眼を見開いた。




