136:神の啓示
ライル・エルグラードは、色々残念な要素の持ち主ではあるが、少なくとも騎士としては、ひとかどの評価を得ていたようだ。その名は現在でもウメチカや移民街の記録に刻まれている。栄光ある旧王国騎士の最後の誇りとして。魔王に堂々たる決戦を挑み、ついに力及ばず散った悲劇の英雄として。実際、魔王城まで攻めてきた時も態度だけは立派だったな。一撃で死んだけど。残念な奴だ。
いっぽう、その弟カイムはどうであったか。
移民街で兄弟が袂を分かったとき、カイムの身分はまだ騎士見習いに過ぎなかった。他の難民たちとともにビワー湖南岸へ移動した後、新たな教会の建設に積極的に関与し、その功績によって、カイムは教会から叙任を受け、騎士と修道士を兼ねる、いわゆる修道騎士となった。ここに至って、ようやく見習いから一人前の騎士になれたわけだ。
といっても、所詮は百数十人という小規模なコミュニティー。それも、エルフの森の中にありながら五大霊府のいずれにも属さず、王なく国もなく、ただ教会のみを拠り所とする遺民集落での、形ばかりの騎士叙任。同じ騎士といっても、ウメチカ王からじきじきに聖騎士の称号を授かった兄ライルとは比すべくもない、肩書きだけの修道騎士だ。実質はせいぜい、集落の自警団幹部といったところだろう。
同じ騎士家の兄弟でありながら、なぜ二人に、こうも差がついてしまったのか。栄光の表舞台を歩む兄に対し、薄暗い森のなかに逼塞せざるをえなかった弟の胸中いかばかり──って、それはパッサの態度を見れば、嫌でも想像はつくが。
叙任前、カイムは集落で結婚し、一子をもうけていた。それがパスリーンことパッサ。
聞けば、パッサは生まれつき体弱く、線は細く、とうてい騎士家の跡取りには向かない子供だったが、ただ魔術の方面に優れた才能を示し、教会では早くから宗派伝来の神学を修め、六歳で経典全文を諳んじ、史書を精読して、古今の地理天文にも通じていたという。その頭脳と才能ゆえに、周囲からは騎士ではなく学者もしくは聖職者として将来を期待されていた──とか。このへん、パッサの自己申告というか半ば自慢話なんで、全部鵜呑みにしていいものかどうかわからん。
「神童ってのは、僕のためにある言葉さ」
そう得意気に胸を張るパッサ。普通は感心すべきところなんだろうが、こっちはすでにサージャっていう化物を見てるからなあ。そう驚くほどのこととは感じんな。
パッサ八歳の頃──いまからちょうど二年ほど前。集落はエルフの盗賊集団の襲撃を受けた。それ以前にも盗賊の襲撃は時折あったらしいが、この二年前の襲撃は相当な激戦になったようだ。攻防数日、かろうじて盗賊は撃退できたものの、防戦の先頭に立っていたカイム・エルグラードは流れ矢を受けて死亡。他にも多くの犠牲者が出た。この一件以来、集落の人々は周囲のエルフをも全て敵と見なすようになり、急速に重武装化を進めていったという。当初はあくまで自衛のためであったろうが、次第に「殺られる前に殺れ」という方向へ傾倒していったのは、事情を考えれば、無理からぬ流れといえるかもしれない。パッサが、広域破壊兵器として使用可能な魔法アイテムの研究をはじめたのも、この時期からだそうだ。
──そして、一ヶ月前。教会で魔法研究に明け暮れ、ついにオリジナル魔法兵器たる黒熱焦核爆炎球の製作が大詰めを迎えていた時期。月のない闇夜、パッサは突如、神の啓示を受けたという。
「……神の啓示?」
「そうさ。窓から光がさして、声が聴こえたんだ」
「どんな?」
「──汝、真なる神の子よ。神の民を牧し、立ち上がれ。神の民を救え──ってね」
「……それを真に受けたのか」
ちょっと呆れ気味に問うてみる。神の啓示って。ジャンヌダルクかナイチンゲールか。
パッサは、肩をすくめて苦笑いした。
「まさか。すぐにピンときたさ。大人たちが、僕をかつぎあげようとしてる、ってね」
要するに、教会の司祭だの司教だのいう連中が共謀し、何らかのトリックで神の啓示をでっち上げた、と。さらに、それを喧伝することで、もとより神童の誉れ高いパッサを「啓示を受けた救世主」にかつぎあげ、パッサをダシに集落の団結を高め、組織を整備し、あらためて周辺制圧に打って出る。そんな思惑だったようだ。
パッサは、即座にそのあたりの事情を看破したものの、あえてそれに乗ってやることにした、という。
「大人たちが、急にそんなことをやりだした理由はね。勇者──アンタの存在さ」
「俺の? どういうこった」
パッサは、やや険しい目つきで、俺をじろりと眺めた。
「伝説の勇者っていうのは、魔王を討つべく、神が地上へ遣わした英雄だっていうじゃないか。僕らはそんなの知らなかったけど。でも、そんなのがウメチカから出てきたんなら、こっちもそれに対抗する存在を出さなきゃいけない、ってね」
ああ、なるほど。近頃、伝説の勇者がウメチカで覚醒して地上へ出てきた、という噂が、エルフの森全体に広まった──というか俺がサントメールを介して意図的に広めさせた──ことで、集落側の教会宗派の正統性が揺らぐ事態になっていたわけか。これを座視していたら、伝説の勇者を輩出したウメチカ・移民街側の宗派こそ神に認められた正統宗派で、自分達は異端宗派だということになってしまう。で、慌てて、自前の救世主を用意せねばならなくなったと。そこで白羽の矢を立てられたのが、他ならぬパッサということか。
「とりあえず、ダスクを焼き払って、そこに新たにわが宗派の教会を建てる。そうすれば、必ずアンタがケチをつけにやってくるだろうから、みんなで力をあわせて返り討ちにして、場合によっては僕の黒熱焦核爆炎球でトドメを刺す。そこから、さらに移民街まで攻め込んで占領し、あそこの教会を破壊する。そういう手筈だったんだ。結局、見ての通り、失敗したけど。まさか、黒熱焦核爆炎球が通じないなんて。誤算もいいところだよ。勇者は魔王より強いって、噂には聞いてたけど、僕はそんなの信じてなかったんだ」
「それは残念だったな。勇者の伝承や、その詳細は、長いこと王家が独占して秘密にしていたものだ。おまえたちが知らんのも無理はない」
「……そうだったの? でもさ、いくらなんでも強すぎるよ。アンタ本当に人間なの?」
さあ、どうなんだろう。あらためてそう聞かれると、自分でもよくわからん。勇者覚醒前、ウメチカで暮らしてた頃は、確かに人間の肉体だったがな。
今はまだ、正直、あまり深く考える気になれん。そんなことより、話を進めないと。
「……で? 移民街の教会を破壊して、その後は、どうするつもりだったんだ」
「白紙さ。ただ、移民街は豊かな都市だから、そこを占領すれば、より安全で、いい暮らしができる。少なくとも、森の中で細々と自給自足しているよりはね。みんな、それを最終目標として行動を起こしたんだ。僕にはまた別の考えがあったけどね」
「考え?」
「せっかく救世主にかつぎ上げられたんだ。移民街の人心を掌握し、民を糾合して、僕が新たな王になるつもりだった。地下へ工作員を送り込み、ウメチカを丸ごと爆破した後でね。もともと、黒熱焦核爆炎球は、そのために作り上げた魔法兵器だったのさ」
なんつう物騒なガキだ……。その話が本当なら、こいつは八歳の頃から、いずれウメチカを滅ぼすことを想定して、広域破壊魔法兵器の開発に着手していたことになる。かわいい顔して、俺より発想が過激じゃねえか。
とりあえず、およその事情はわかったが、さて、この悪ガキ、いったいどうしたもんかね。放っといたら、何をしでかすやら、わかったもんじゃない。といって、殺すのは簡単だが、こいつの才能は何かの役に立ちそうで、ちと惜しい気もする。
そういやこいつ、なんで女装してるんだろう?




