130:音速を超えて
事態は急を要する──。
アエリアの魔力で飛んでいけば、ダスクまでは、ほんの小一時間ほど。ただ、グレイセスたちが情報を掴んでから、もう一週間は経過しているという話だ。手遅れになっていなければいいが。
「それはまだ大丈夫だと思います。奴らの根城は南岸の森の中で、ダスクからはけっこう距離がありますんで。五十人なんて大所帯じゃあ、どう急いでも辿りつくまで十日はかかるでしょう」
グレイセスの説明に、俺は少々ホッとした。ならば、これから向かえばじゅうぶん間に合うな。
「連中の目的は何だ?」
訊くと、グレイセスは、ちょっと首をかしげた。
「さ、さあ、そこまでは……私が直接見聞きした範囲だと、連中、自分たちが本物の救世主の軍勢だ、とかなんとか言ってたような……」
本物の救世主……の軍勢? 何のこっちゃ。
「どうやら、連中のボスが、自分で、救世主だとか名乗ってるらしいんでさ。だから自分らは救世主に従う正義の軍隊だ、とか喚いてるのを聞きましてね。盗賊にしか見えませんでしたが」
ははあ。新興宗教みたいなもんか。ルミエルも似た様なことやってるが、それより悪質な手合いのようだ。救世主を名乗って人数を集めて悪行三昧。いかにもセコい奴が考えそうなことだ。ダスクを襲うってのも、それと関係があるのかもな。あそこは俺──つまり本物の救世主たる勇者によって救われた、いわば勇者ゆかりの土地。そこを襲撃して潰し、あらためて自分たちの正当性を主張する、とか。そういう狙いがあるのかもしれん。まだハッキリ断定はできないが。
「そのボスとやらについては、何かわかってるのか?」
「いえ、残念ながら……」
申し訳なさげに首を振るグレイセス。さすがのこいつらも、そこまでは探れなかったか。だが、これだけ情報が揃えば充分だ。どうせ全員、アエリアの錆になるだけだからな。特に自称救世主とやら。俺の逆鱗に触れて、ただで済むと思うなよ。この世に生まれてきたことを心底後悔するほど、じっくり痛めつけて嬲り殺してくれるわ。
「状況はわかった。俺はすぐにダスクへ向かう。おまえたち、よくわざわざ知らせに来てくれたな。後で、きっちり恩賞をはずんでやるぞ」
「へ、へい。お褒めにあずかり、恐縮のきわみでございます!」
グレイセスは、嬉しそうに尻尾をパタパタ振って応えた。わかりやすい奴だ。
恩賞は何がいいだろう。やっぱりドッグフードとかかな。いや狼だから、もっとこう何か……狼用の餌なんてペットショップで売ってないよなあ。また後で考えるか。
「ところで、エナーリアはどうした」
「へい。水魔将軍閣下は、まだダスクの近くにとどまっておられます。事態が事態、万一ってこともありますんで、場合によっちゃ自分が迎撃する、ってことでして」
なるほど。あいつはミレドアとずいぶん仲良くなってたからな。放ってはおけんというわけか。俺もすぐに駆けつけよう。
小屋を出て、腰のアエリアに呼びかける。
「出番だ。力を貸せ」
──ハフゥン。
えーい、変な声出すな。さっさとやらんかい。
──イッ、イッチャウゥー!
だからやめれというに。
アエリアの魔力が解放され、すぅっと体が軽くなる。
俺は黒狼部隊の見送りを受け、地を蹴って、一気に空中へ躍りあがった。
グレイセスたちには、そのまま、かねての予定どおり、中央霊府の近辺へ向かうよう指示しておいた。そこでは、すでにリリカとジーナが中央攻略の下準備を始めているはずだ。
今後、長老との「話し合い」が首尾よくいけば、これらの準備は無駄になるかもしれない。だが、今のうちに、打てる手はすべて打っておくべきだ。この先、何が起こるかわからないのだから。
視界一面、見渡す限り青雲縹渺たる秋空。高度は──三百メートルくらいか。西風が強い。ちょいと向かい風になるが、じゅうぶん突っ切れる。
思えば、こんなふうに空を飛ぶのも久々だな。いつぞや、ダスクを出た後、湖畔の駅亭の手前でロックアームを蹴とばしたとき以来か。
──ハニー、イソグ?
アエリアが訊いてくる。こいつとしては、エナーリアが心配なんだろうな。むろん大急ぎで行こう。
──ン。ガンバル。
加速。向かい風のなか、俺はかつて馬車でとことこ進んできた方角へと戻ってゆく。
ルザリク市街を飛び越え、赤土色の街道を見はるかして。
異形ではない、この世界本来の竜たちが屯する沼地。
栗を拾った、あの里山。
ルミエルとフルルが壊滅させた追い剥ぎどもの要塞。
それらの上空を駆け抜け、そしてビワー湖へ──。
陽光にきらめく湖面を見下ろしながら、西岸めがけ、飛び続ける。
やがて視界の先、かすかに見えてくる、たちのぼる幾筋もの黒煙。狼煙のたぐいではない。明らかに火災だ。
まさか──すでに襲撃が始まっているのか?
「アエリア! 全速力だ!」
──アイヨ、オマイサン。
誰がおまいさんだ。江戸のおっかさんか貴様は。
アエリアがさらなる魔力を解放する。たちまち猛烈な風圧が俺の全身を打ち叩いた。どうやら音速を超えたようだ。
アエリアを鞘から抜き放つ。そのまま風を巻いて、全速力でダスクめがけ突進してゆく──。




