128:つぶらな瞳が見つめてる
エルフの森は周囲を対魔族の結界に守られ、その領域は、およそ方二千里という。大陸全体に占める面積の割合としては、南方の片隅、ほんの一割ほどに過ぎない。それでも生身の人間が徒歩で旅をするとなると、さすがに大変な広さだ。
だが俺には魔剣アエリアがある。こいつの飛行能力さえあれば、半日もかからず結界内のどこにでも軽々飛んで行ける。行けるんだが。
そのアエリアが。
──フニャー……。モキュキュゥゥ……。ムヒャヒヘヘーィ……。
もう寝言だかなんだかよくわからん。
ルザリクの北門を出て、中央霊府へ続く道を、一人ぽくぽく歩くこと一時間ほど。
アエリアは、相変わらず爆睡したまま、いまだ目を覚まさない。
辺りはのどかな田園の風景。おだやかな陽光の下、見渡す限り黄金色の秋の平原、それを東北方へと一筋伸びゆく赤土色の街道。はるか前方に横たわるのは、これも日の光をうけてキラキラ輝く広い河の流れ。それをまたいで頑丈そうな橋が架かっているのも見てとれる。
街道に徒歩の人影はないが、馬車はけっこうな数が走っている。ルザリクはどちらかといえば、消費型の商業都市。それだけに旅商人の往来も多いのだろう。前方に見えてる河も、実はビワー湖から中央霊府にまで続く運河の一部で、ルザリクの東側に、運河に面した商業港が設けられている。例のアメンダ産ビワーマスなどは、この運河を使って輸送されてくるそうだ。
しばし街道を進み、葦の茂る河原へとさしかかる。まだアエリアは目覚めない。仕方ないので、このへんでいったん小休止だ。
街道脇から河原へ出て、土手の斜面にちょいと腰をおろし、荷物から携帯食糧を取り出す。棒状の干し肉だ。そういえば、こういう粗末な食事も、なんだか久しぶりだ。最近はルザリクの食堂で、高級食材を惜しげもなく使った、やたら贅沢なメニューばっかりだったからな。たまには、こういうのも悪くない。
うららかな河の流れを眺めつつ、干し肉をガジガジ齧る。ちょっと侘しい。
ふと、少し離れた一角、葦の茂みがガサガサ揺れているのが目に入った。誰かいるようだ。
そこから、なんとなく、見知った気配を感じる。えーと、誰だっけな、これ……。
突如、脳内に声が響き渡った。
──ピューラ! ピューラァー!
うぉビックリしたぁ! いきなりお目覚めかアエリア!
──オハヨーオハヨー、ワタシ、キューチャン。
なんで九官鳥の物真似か。そんなことより、いま、ピューラつったか?
──ン。ソコ、イルヨ。ピューラ。
アエリアがそう応えるのとほぼ同時に、葦の茂みから、何者かが、ぴょこんっと顔を出す。
妙に人懐こい雰囲気の、つぶらな瞳の犬──じゃない、狼。正しくは低級魔族の一種、人狼だ。
確かにこの顔には見覚えがある。グレイセス率いる黒狼部隊の紅一点、金狼のピューラ。
「くぅぅーん! ひゃううんっ、くぅぅーん!」
葦をかきわけ、ピューラが四つ足でこちらへ歩み寄ってくる。なにやら嬉々とした様子で俺に話しかけてくるが、相変わらず、何言ってるかサッパリわからん。
そもそも、なんでこんなとこにコイツがいるんだ? 黒狼部隊には、リリカとジーナを介して、中央霊府のほうへ向かうよう指示しておいたはずだが。
──ヨビニキター。ダッテ。
アエリアがピューラの声を翻訳する。呼びに来た? どういうことだ。
ピューラは、俺の手にある干し肉を、そのつぶらな目で、じっと見つめている。最初のうちは、ちょっと耳をぴこぴこ動かしているだけだったが、その匂いに心惹かれるのか、だんだん口もとが緩み、息は荒くなり、いまにもヨダレ垂らさんばかり物欲しげな顔つきになってゆく。
俺は、つと手を伸ばし、ピューラの鼻先に干し肉を突きつけた。
「欲しいか?」
「きゅうぅん!」
「よし、では三回まわってニャンと鳴け」
ピューラは、ためらうことなくその場で三回、ばたばたと回り、──クキャウン! と奇声を発した。さすがにニャンは無理だったか。しょせんイヌ科よな。
「ほれ、食っていいぞ」
ピューラの口に干し肉を突っ込んでやる。ピューラは嬉しそうに夢中で咀嚼し、尻尾をパタパタ振りながら、全部食ってしまった。可愛い奴め。
「くぅん、くぅーん!」
きれいに干し肉を片付けると、ピューラは、鳴き声をあげつつ、満足げな様子で俺を見つめた。
──アイシテマス。ダッテ。
本当かよ。いくらエサ貰ったからって、現金な奴だ。
「そんなことより。俺を呼びに来たって、どういうことだ?」
俺が言うと、ピューラは、ひと声鳴いて、くるりと背を向け、尻尾をふりふり、四つ足で歩き始めた。本来、こいつら人狼は二足で立って歩くのが普通だが、カモフラージュのため四つ足で行動することも多い。この状態なら、ちょっと大きめの普通の狼、もしくは大型犬くらいに見える。あまり人目を気にせず動き回れるわけだ。
──ツイテキテー。ダッテ。
ほう、ついて来いとな。なんだか事情がさっぱりわからんが……こんなとこで、いつまでボサッとしてても仕方ない。何か用事があるようだし、ついて行ってみよう。




