127:暁天孤影
式典の翌朝。まだ日の出から間もない頃合、俺は庁舎を出た。
そう長旅をするつもりもないので、比較的軽装だ。麻の平服に革の外套をまとい、腰にはアエリアをさげ、あと荷物はちょい大きめのザックひとつ。こいつに竜の目玉を詰め込み、証拠品として持ち帰らねばならん。いまの時点では、携帯食糧と水と、あと例の魔法工学研究所の所長ティアックに依頼して作らせておいた、改造版封神玉が入っている。これはまだ当面、特に役に立つものではないが、今後、必ず用いる機会があるだろう。俺の切り札ともいうべきものだ。
真っ赤な朝焼けに染まる空の下、見送りに立つルミエル、フルル、サージャ、ムザーラ、アガシーの五人。
サージャはまだ当面、ルザリクにとどまるそうだ。式典が終わったら、中央へ帰らせるつもりだったんだが。
「お忘れかもしれませんが……サージャ様は、長老から勇者さまへと差し出された人質でございます。勇者さまが長老との話し合いを終えられるその日まで、サージャ様は立場上、中央霊府へは戻れませぬ」
とムザーラは説明した。そういやそうだった。で、結局、街の北側区画──いわゆる冬通りに面した屋敷をひとつ買い上げ、ムザーラ、アガシーほか、三十人の扈従とともに、しばらくそこで生活するつもりらしい。そういう事情なら、俺がどうこう言うべき話じゃないしな。好きなようにやってもらおう。
ルミエルとフルルは、庁舎内にそれぞれ私室を設け、当面そこで起居するようだ。
昨晩は、二人とも、それはもう暴風のごとく、俺様の秘術を尽くして徹底的に(自主規制)(自主規制)してやった。そのせいか、二人とも、俺の前に並びながら、ちょっと内股気味にモジモジしてる。ちょっと激しく(自主規制)しすぎたかね。
「アークさま……。お務め、しっかりと果たしてくださいませ。後のことは、何もご心配なさらず……」
ルミエルがモジモジしながら言う。
フルルも、まるでトイレを我慢してるような顔つきで、ちょっぴり恥ずかしげに言った。
「勇者さま。わたし、頑張るから……! だから、帰ってきたら、また……いっぱい(自主規制)してね?」
人気絶頂アイドル美少女の口から、そんな言葉が出てくるなんてな。ファンが聞いたら泣くぞ。まあそれ以前に、こいつは俺の奴隷なわけだけど。
サージャは、しばらく何か言いたげに、じっと俺の顔を見つめていたが、やがて意を決したように、こうささやいてきた。
「また……一緒に遊んでくだしゃいね。わたし、待ってましゅから……」
なんだか妙なフラグが立ちそうな物言いだ。何を深刻そうな顔をしてるんだ、こいつは。
俺は、ちょっと手を伸ばして、サージャの頭に、ぽんっと掌をのせた。
「勇者しゃま……」
「俺がいないと寂しいか?」
「……うん」
サージャは、こっくりとうなずいた。最初に会った頃より、ずいぶん反応が素直になってる。いいことだ。
「すぐに帰って来る。いい子にして待っていろ」
俺は、そう笑って、サージャの髪をもふもふっと撫でてやった。
「は、はいっ! いい子にしてましゅっ!」
ようやく嬉しそうな笑顔を浮かべるサージャ。いい返事だ。
さて──あと問題は。
腰に佩いてるアエリアが、まだ寝てることだ。
よっぽど熟睡してるのか、いくら呼びかけても返事もしやがらねえ。そのくせ。
──ンホォォー。ハニィィ、モットォ、モット、ハゲシクゥゥ……。
どんな夢見てんだよコイツは! 困った奴だ。
見送りの奴らの前で、パッと空へ浮かんで、そのままカッコよく飛び去っていこうと思ってたのに。これじゃ、てくてく歩いて街を出なきゃならんじゃないか。どうも、しばらく室内に置きっぱなしで、戦闘と無縁の状態が続いたせいで、ダレきってしまってるようだ。ぶら下げて歩いてりゃ、そのうち勝手に目を覚ますだろう。
俺は見送りの連中に背を向け、朝焼けの下、ひとり庁舎の敷地を出て、街の中心へと歩きはじめた。せめて街門まで見送りたい──とルミエルは言ってたが、ちょっと出掛けるくらいのことに、いちいち大袈裟なんだよな。面倒なので、ついて来ないように言い含めてある。
まだ早暁だけあって、大路にも、ほとんど人影はない。静かなものだ。
──と思ったら、息せききって、前のほうから、ばかばか足音を響かせて走ってくる奴がいる。
「……アークさまー! よ、よかった、まだここにおられたんですねー!」
パンツルックに白衣の金髪エルフ女、すなわちティアック・アンプル。俺のもとへ勢いよく駆け寄ってきて、ぜいぜいと肩で息しながら、なにやら必死の形相。
「所長? どうした。封神玉の代金なら、もう全額払っただろう?」
「ぜへー。ぜへー。はひぃ……そ、そんなことじゃ、ありません……」
「落ち着け。そら、深呼吸だ。吸ってー。……吐いてー……」
「すひー。はふぅー……」
素直に深呼吸するティアック。ようやくちょっと落ち着いたようだ。
「で? 何の用だ」
「あ、えーと、その。ぜひお持ちいただきたいアイテムがありまして……」
ティアックは、手に持っていた小さな皮袋を、俺に差し出してきた。
「これ、まだ試作品なんですが、理論上は問題なく動作するはずです。きっとお役に立ちますよ」
皮袋の中身は、銀細工と水晶を組み合わせた、ぱっと見は懐中時計か何かのような物体。
「竜が周囲に発散する、特有の魔力を検知し、比較的離れた場所からでも竜の所在を探ることができます。つまり、竜群探知機というわけです」
おお。竜群探知機とな。いわゆるひとつのドラゴンレーダー。それは凄い。
「つい、今しがた完成したところでして……ぜひぜひ、持って行ってください!」
ティアックは、そう言いつつ、まるで飼い主に褒めて貰うのを待ってる犬みたいな顔で、俺を見つめてきた。むむ。これはなかなか魅力的な……。だが、その目もとには、やや怜悧な光も、かすかながら見てとれる。
「いいだろう。ちゃんと動いて役に立ったら、帰ってから相応の代金を支払ってやろう」
俺はドラゴンレーダーを受け取って、無造作に外套のポケットに放り込んだ。
こいつの思惑は大体想像がつく。もしこのドラゴンレーダーがうまく実用化まで漕ぎ付ければ、それを欲しがる奴は多いはず。霊府や集落の防衛などにも役立つだろうが、なにより竜肉など竜関連の商品を扱う商人どもにとって、これは垂涎の逸品のはず。つまり、ティアックにしてみれば、ドラゴンレーダーは今後、莫大な財貨を生む、金の──いやエルフだから銀かな──の卵となる可能性があるわけだ。その実地テストを、俺にやらせる魂胆だろう。
だがティアックの思惑なぞ、今はどうでもいいことだ。こいつがうまく機能すれば、俺もずいぶん楽になるだろうしな。
「けっこう繊細な構造ですから、大事に扱ってくださいね! では、ご武運を!」
ティアックは満足げにうなずき、来たときと同じように、急いで走り去っていった。慌しい奴だ。
だがさっきの顔つきは、ちょっと可愛かった。帰ってきたら、あいつもくすぐって、ダブルピースさせてやろうか。あいつはどんな声で鳴くだろう。今から楽しみだ。そのためにも、さっさと面倒事は片付けてしまわんとな。
暁天、白々と明けそめて、街も次第に人影が目につきはじめている。だがアエリアはまだ眠ったまま。
仕方ない。このまま歩いて出発するとしよう。




