123:カレーの勇者さま
夜の庁舎食堂。時刻は午後八時過ぎというところか。
俺はサージャと一緒に厨房に入り、カレー作りに取り掛かった。まずはカレー粉だ。
カルダモン一割、コリアンダー二割、クミン一割、フェヌグリーク一割、ターメリック四割。あと一割は食塩、ブラックペッパー、唐辛子を適宜適量適当に。
遥か前々世のおぼろげな記憶をもとに、カレー粉の配分を再現してみた。かなりいい加減だが、試行錯誤のすえ、なんとかそれっぽい味と香りに仕上がっている。あとは小麦粉、ニンジン、牛肉、玉葱があれば。あえてジャガイモではなく、マッシュルームを入れてみるか。
「すいません、今日はちょっと牛肉切らしてまして……」
いかにも割烹の大将っぽい雰囲気の板前さんが、申し訳なさそうに言う。なんですと。肉抜きカレーなんて悲しすぎる。
「竜肉ならけっこう余ってるんですが」
それを先に言わんか! ならばそいつを惜しみなく投入してくれるわ。
カレー粉の再現には少々手間取ったものの、あとの作業は割と順調に進んだ。サージャは風の魔法を巧みに操って、俺の指図どおりにニンジンや玉葱を加工した。ニンジンの形がちょっと不細工だが、まあこれくらいは。材料すべて一口大に切り終えたら、まず鍋で肉と野菜を炒めてから、水を追加してそのまま煮込む。じっくりアクを取りのぞき──って、竜肉ってえらいアクが出るんだな。二十分ほど煮込んだら、火を弱めて小麦粉とカレー粉を投入っと。小麦粉はもう目分量で、適度にとろみがつけばよし。あとは弱火で、焦げつかないよう気をつけて、しっかりかき混ぜながら、じっくりコトコト二十分。
「ふぁぁぁー……いいー匂いでしゅう……!」
サージャが、もうヨダレ垂らさんばかりの顔で鍋を覗き込んで鼻をヒクヒクさせている。やっぱりカレーの香りは、どこの世界でも人を強烈に惹きつけるもんだな。そういうスパイスの集合体なんだから当たり前か。俺もさっきから腹が鳴りっぱなしだ。
背後から、ばたばたと足音が聞こえてきた。ルミエルとフルルが厨房に入ってきたようだ。庁舎へ戻って早々、匂いにつられてきたか。
「まあ……! これ、アークさまがお作りに?」
「すっごい、いい匂いー! ねーねー、これ、なんて料理?」
ちょうどいいタイミングだ。二人には、皿とスプーンを出してもらうか。あと、さっきから板前さんが、俺たちの背後で明日の仕込みなどやってるが、あきらかにこっちの匂いが気になってるようだ。ついでに毒見……いや試食させてやろう。
食堂の一隅に卓をかこみ、完成したカレーライスを全員で試食。ちょい深めの皿の半分に、ほかほかのライスを盛って、残るスペースにカレーを流し込んで……ああ、何十年ぶりだろうか。カレーだ。カレーライスだ。
俺と、ルミエル、フルル、サージャ、ついでに板前さんの五人。全員が、匙でそっとすくって、そのまま口へ運び──。
「おおっ」
「ほぅっ」
「はぁぁ」
「ぬふぅ」
「ぺぎゅぅ」
一斉に漏れ出す溜息、あふれる感歎の声。最後の奇声はサージャだ。
「おいしいでしゅううぅー!」
まずそのサージャが、全身で驚嘆を表現しつつ、声をはりあげた。そうか、そんなビックリするほど旨いか。
「す、すごいです! こんなの、食べたことありません!」
「うんっ! 初めての味だよこれ! おいしーっ!」
ルミエルとフルルは、夢中で匙を動かしている。確かに、我ながらよくできてると思う。スパイスや小麦粉の配分も、どうやらうまくハマってたようだ。俺にとっては懐かしい味覚ではあるが、同時に新鮮な感覚でもある。竜肉のじんわりくる独特の旨みが、カレーの新境地ともいうべき領域を切り拓いている。これはカレーでありながら、もはやカレーの限界を越えた存在だ。
「す、素晴らしい……!」
板前さんも興奮ひとかたならぬ様子。
「い、いったいどこで、これほど高度な料理を……さすがは、勇者さま……!」
いや勇者とか関係ないけど。ただ、日本風カレーの配合なんて、知ってなきゃ普通はできないよな。いくら必要なスパイスが簡単に揃えられるといっても、その組み合わせとなると、それこそ無限のバリエーションがあるだろうし。
「で、これ、なんて料理?」
ようやくちょっと落ち着きを取り戻した様子で、フルルが訊いてくる。
「俺のオリジナルだ」
あえてそう応えておく。異世界の料理だとか、真顔でそんな主張しても、信じてもらえるわけがないし。
「名前は、カレー……辛いから、カレーだ」
と、こじつけてみる。この世界には存在しない料理──ということは、好きなように命名して問題ないわけだが、俺にしてみれば、カレーはカレーだ。他にどう呼べというのか。
「そっかぁ。確かに辛いね。でも、この辛さがクセになっちゃう」
フルルが笑って言うと、他の連中も、それに同意するようにうなずきあった。
「本当においしいです……! アークさま、いったい、いつの間に、こんなお料理を」
ルミエルはまだ少々興奮気味だ。いつの間に、とかいわれてもな。
「……勇者ってのは、そういうもんだ」
思わず口から出まかせ。自分でもまったく意味不明な説明だが、当のルミエルは。
「そ、そういうものなのですか? では、これも勇者のお力のうちなのですね。さすがは、アークさま……!」
目を輝かせて、勝手に納得してしまった。さすが俺様を教祖と崇めるだけのことはある。信仰は理屈じゃないってか。
それからしばし、俺たちは今日の出来事について、お互いに語りあった。ルミエルは、フルルの大規模なコンサートイベントの企画のため関係各方面との協議に駈けずり回っていること。俺とサージャは、街へ一緒に出かけ、その帰りにライブ会場へ立ち寄ったこと。そのフルルは、俺たちがライブに来たことを開演直前に知って、いつも以上に気合を入れて歌ったこと──などなど。嵐の前の平和とでもいおうか、とにかく皆、平穏無事な日々を、それぞれのやりかたで満喫しているようだ。ただ、それも、もうぼちぼち終わりに近付いてきているが。
「勇者しゃま、おかわりー」
サージャが、花のような満開の笑顔で皿を差し出してくる。
「お。よく食べるな。ルミエル、よそってやってくれ」
「はい、ただいま」
ルミエルが手際よくサージャの皿に二杯目をよそう。それを横目に、板前さんが俺に、ちょっと声をひそめて話しかけてきた。
「あのー、勇者さま」
「どうした?」
「いえその……よろしければ、この料理、私にもひとつ、伝授していただけないでしょうか」
ほう。それは有意義な提案。多分、この板前さんなら、俺が作るより旨いのができるんじゃないか。
「いいだろう。あとでレシピを書いてやる。きっとここの看板料理になるぞ」
「ほ、ほんとですか! ええ、ぜひ看板料理として、大いに宣伝させていただきます! うちの看板にとどまらず、このルザリクの新しい名物にしてみせますよ!」
板前さんは感激したように一気にまくしたて、何度も頭を下げた。大袈裟な奴だ。
だが、これをキッカケに、いずれ俺のカレーが、このエルフの森、ひいてはこの世界全体に広まったりしたら──俺は勇者としてだけでなく、この世界におけるカレー料理の始祖として、歴史に名を残せるかもしれん。それはそれで面白いな。板前さんには、せいぜい頑張って俺のカレーを宣伝し、広めてもらおう。




