121:夕空の下で
ティアックに仕事を依頼し、研究所を出ると、もう夕方近かった。
このまま庁舎まで帰るのもいいが──。
「ついでに、寄り道していくか」
「寄り道? どこ行くでしゅか?」
「フルルのコンサートに行ってみないか? 今日はいつものホールじゃなくて、野外音楽堂でやってるそうだぞ」
「わぁ! それ行きたいでしゅ! フルルおねえちゃまのお歌、きいてみたいでしゅよ!」
「なら決まりだな。今日は夕方の部もあるらしいから、今からでもじゅうぶん間に合うだろう」
相変わらず不気味な異臭漂う薬草横丁の雑踏のなか、サージャの手を引いて、もと来た方角へと歩いてゆく。ふと目に付いた屋台では、どこから取り寄せたものか、さまざまなスパイス類が小瓶に詰めて売られている。見てみると。
フェヌグリーク。クミン。コリアンダー。ターメリック。ブラックペッパー。
ほう。これは面白い。
「どしたんでしゅか?」
「そこのやつ、全部買って帰ろう。これでカレーができるぞ」
この世界に転生してきてから数十年。色々な料理にお目にかかったが、まだカレーは一度も見たことがない。日本人だった頃はそこそこ好物だったんだけどな。もうカレーという料理の存在自体を忘れてたわ。
「カレー? ……って、なんでしゅか?」
サージャは、きょとんとした顔で訊いて来た。あれ? もしかしてこの世界、カレーって存在してないのか? 奈良漬けや納豆やお好み焼きまであるくせに。道理で、いままで食べる機会もなかったはずだ。
「よし、そういうことなら……帰ってからのお楽しみだ。これ全部買うぞ」
俺は店主に声をかけ、店頭の小瓶をすべて袋に入れてもらった。帰ったら、さっそく食堂の厨房でカレー作りにチャレンジしてみよう。うまくできるかな。
野外音楽堂はルザリクの中央から、やや北寄りに位置する大型露天イベントスペース。
もう日は暮れかかっているが、ライトアップされたステージは、昼間よりもなお、まばゆく輝き映えている。今夜これからそこに立つのは、いまやルザリクに知らぬ者なき人気絶頂スーパーアイドル、フルル。いやもう目覚しい出世ぶりだな。
演奏はルザリク市立交響楽団。すでに市の事業仕分けによって解散が決定しており、メンバーは今後、フルルのお抱えバックバンドとして再雇用される見通しだ。
バックダンサーには、例の歓迎式典にも出てたタップダンス集団ダンス・ダンス・レザリクション、通称DDR。この名称を巡ってスモールウェーブという団体から訴えられそうな気がして夜も眠れない、と団長がコメントしてるとか、してないとかいう噂だ。
夕暮れの空には、はや星の粒がきらめきはじめている。その下に集ったファンおよそ二千人。夕方の部の開演を今や遅しと待ち受ける人々の熱気が、陽炎のように会場全体を覆っている。
スタンド中央上段、特別観覧席。この音楽堂で唯一の屋根付きの客席だ。フルルが言っていた通り、会場は超満員にも関わらず、この特別観覧席だけは、俺のためにきっちり空けてあった。おかげで俺たちは労せずしてこの特等席に座ることができた。
「はぁー、すっごい盛り上がってましゅね。まだ開演してましぇんのに」
さすがに特別というだけあって、座席からして他の客席とは質がまるで違う。ふっかふかの高級シートに腰かけ、足をぷらんぷらんさせながら、サージャは溜息まじりに呟いた。ポップコーン片手に。
「そういえば、サージャはまだ、フルルの歌を聴いたことがないんだったな」
「はい! すっごい楽しみでしゅ!」
満面笑顔で応えるサージャ。期待で目が輝いてる。
こういう、きちんとしたライブ形式でフルルの歌を聴くのは、俺も初めてだ。フルルのアイドルっぷり、じっくり拝見させてもらうとしようか。いよいよ開演だ。
ステージの照明が落ちて、場内は真っ暗に。それまで、なんとなくざわついていた客席も、しんと静かになった。
ぱっと一筋のスポットライトがステージ中央に当たる。そこには、凛と前を見据えて立つ、キラキラ輝く衣装の美少女。すっと息を吸い、おもむろにステージマイク──っぽい形の魔法拡声器──に向かい、声をはりあげた。
「みんなぁー! 今日はぁ、来てくれて、ありがとぉー!」
澄んだ声が響き渡る。同時に、地の底から湧きあがるような、どよめく歓声。
「フ・ル・ルー! フ・ル・ルー!」
「フ・ル・ルー! フ・ル・ルー!」
一斉に客席総立ち、息のあった掛け声とともに、規則正しく振リ回される無数の光る棒。サイリウム……じゃないな、なんかわからんが、それっぽい何かだ。
大歓声のなか、演奏がスタート。フルオーケストラのはずだが、なぜか音調はズシンと重く激しいメタルっぽい何か。
ズバンっ! と破裂音が響き、ステージ左右に紫の煙がぐわっと上がる。同時に、複数のライトがステージ全体を皓々と照らしあげた。いやー、無駄に演出凝ってるな。
今日はポスターをゲットしてね
明日はチケット買ってよね
食玩、コラボ商品、光る円盤もコンプリート、でもまだまだ物足りないでしょう?
もうすぐ出るの可愛いフィギュア、細かいところまで、ほらリアルでしょ
カードも出ちゃう、はずれは無しよ
でもソーリー、レアカードはそんなに多くないから
並んでお願い、ケンカしないで、だけど急いでゲットして
今を逃せば、レアはもう手に入らないから
全部、全部、いますぐに
HAKOGAI、HAKOGAIせよ
HAKOGAI、HAKOGAIせよ
HAKOGAI、HAKOGAIせよ
HAKOGAI、HAKOGAIせよ
家も土地も思い出も、すべて投げうって、わたしを買って!
響き渡るフルルの歌声。実践で鍛えられたのか、ますます歌唱力に磨きがかかってるな。歌詞も……こう、なんというか。身につまされるというか。
一曲目を終え、客席は一気にヒートアップ。
「しゅっごいでしゅ! こんな上手なお歌、きいたことないでしゅよー!」
サージャもすっかり興奮気味。手も足もぶんぶん振り回して、もうノリノリだな。
「さぁーっ、次の曲ー! いっくよー!」
ステージ上のフルル当人も、しっかりノッている。連日のコンサートで、疲れもたまってるだろうに、よく頑張ってるな。
嵐のように渦巻く歓声、サイリウム的な何かが踊り狂うなか、二曲目へ突入。
日が暮れるにつれ、夕空は次第に繚乱たる星の海へと変わってゆく。その星々の瞬きのもと、いまやライブの熱狂は炎のごとく、月をも焦がさんばかりに燃えあがっている。俺も、サージャも、この熱波に呑みこまれて一体となったように、掛け声にあわせ、手を振っていた。
フルルは俺の奴隷で所有物なのにな。ついつい周囲と一緒に、ファンになりきって、声援なんか送ってしまっていた。場の雰囲気って恐い。




