120:所長と麻袋
ルザリク市立魔法工学研究所。仰々しい名称から、てっきり、そこそこ大規模な研究施設だと思っていたが、何のことはない。見た目は古びた土蔵を改装したような貧相な建物だし、所属人員も所長ティアック・アンプルただ一人。実質はティアックの個人ラボにすぎないということだ。
ティアック自身が説明するところでは──もともと彼女はエンゲランに才能を見出され、その援助でラボの設立まで漕ぎ付けたという経緯があるらしい。エンゲランの入れ知恵により、市から補助金を受け取るために、名目のみ、公立研究機関という体裁をとりつくろってきたのだとか。
エンゲランは、そうしてティアックを子飼いの学者とし、優遇の見返りとして、様々な魔法アイテムの開発に従事させてきた。銀宝冠もそのひとつ。フィンブルが構築した生体ゴーレムの基礎理論をもとに、ティアックが工夫を凝らし、エンゲランの注文どおりの実用アイテムに仕上げたものという。
俺にしてみれば、研究所の規模なんぞはどうでもいいことだ。ようはティアックの知識と技術。これが確かであれば問題ない。
ティアックの案内で廊下を抜け、奥の部屋へ入ると、とたんに錆っぽい金属臭が鼻についた。
「ここが研究室です。あ、そちらのソファにおかけください。すぐお茶を入れますので……」
タイルの床のあちらこちら、ハンマーだのノミだのペンチだのいった工具類が乱雑に散らばり、部屋のど真ん中には、何かの材料でも入ってるのか、大きく膨らんだ麻袋がいくつも積み上げられている。木製の作業台の上には、これも何やらよくわからん野球ボールくらいの金属の塊がごろごろと転がっている。部屋の奥には一対の応接ソファー。その一角の壁際に、でっかい本棚があり、ぱっと見、何百冊というぶ厚い書物が、すべて平積みになっている。なぜ立てて並べないのか。なんのための本棚だ。
かなり大きめの魔力球を照明に使っていて、室内はそこそこ明るいが、どうにも雑然とした印象だ。研究室というより工房というほうが近いな。
俺とサージャは奥のソファに並んで腰掛け、ティアックはいそいそとポットを運んできた。
「あの袋、何が入ってるんでしゅか?」
ティアックがお茶を入れるかたわら、サージャが、床に積みあげられた麻袋をさして訊ねた。
「お米です」
ティアックは短く応えた。
「……おコメ、でしゅか?」
サージャが聞き返す。ティアックは、にっこり微笑んでうなずいた。
「ええ。半年分の備蓄米、私の生命線です」
そんなもん研究室のど真ん中に置くな!
「もとは倉庫に置いてたんですけど。ちょっと前に家宅捜索を受けたとき、他の研究材料やら道具やらと一緒に、全部持っていかれちゃいまして。で、先日、返還してもらったのはいいんですが、また倉庫まで運ぶのも面倒だし、どうせ結局、全部胃袋の中に消えてしまうものなので、ここでいいかと」
ティアックは、おだやかに笑いながら説明した。なるほど、それは至極合理的……いや、やっぱりその理屈はおかしい。おかしいが、そんなことを突っ込みに来たわけではない。
茶を入れ終えたティアックが、俺たちと向かい合うようにソファにつく。カップから立ちのぼる湯気を前に、俺はティアックを見据え、あらためて名乗った。
「すでに知っているだろうが、俺はウメチカの準男爵アンブローズ・アクロイナ・アレステル。アークでいいぞ。こっちは、なんというか……おまけだ」
「おまけじゃないでしゅよー。ちゃんと紹介してくだしゃいでしゅ」
タイミングといい仕草といい、ナイスな突っ込み。サージャもなかなか才能あるな。何の才能かわからんが。
「えっと、中央霊府のサージャでしゅ。ここの研究所のうわさは、わたしも、きいたことあるでしゅよ」
サージャは、そう自己紹介して、ぺこんと頭をさげた。
ティアックは、少々目を丸くして、サージャを見つめた。
「サージャ……! では、あなたが噂の天才魔法少女……! こ、こちらこそ、お噂はかねがね……!」
いきなり緊張の面持ちで姿勢を正すティアック。どうやら、そういう方面ではサージャはかなりの有名人のようだな。そりゃまあ、この歳で魔法の四次元パンツなんて空前絶後の発明をやってのけた天才だ。当然といえば当然か。
ただ、そんな天才の割に、あまり中央の情勢などには詳しくないようだ。サージャが庁舎に来た当初は、俺も色々とそのへん質問してみたんだが、いまいち要領を得ないというか、当人も中央霊府の内情については、あまり把握してないようだ。
長老についても、ずいぶん突っ込んで訊ねてみたんだが、ごく断片的な事柄しか聞き出せなかった。それで明らかになった部分というのも──長老は、ごく若い女で、誰もが惚れ惚れするような絶世の美人、らしい──ということくらい。それはそれで興味深い情報ではあるが、到底、中央を攻略するのに役立つような話ではない。ようするにサージャは、俺が求めるような情報はハナから持っていなかったわけだ。そこは少々残念だが、まだサージャには別の利用価値がある。
「そ、それで……その、お二人は、どういう……」
ティアックが訊いてくる。サージャは「妻でしゅ」と、キッパリ答えた。
一瞬、呆気に取られるティアック。
「いくらなんでも無理があるぞ、その設定は」
俺がたしなめると、サージャは頬をふくらませた。
「しょんなことないでしゅよー。わたしは、そのつもりでルザリクに残ったんでしゅから」
「おまえがそのつもりでも、俺はそんなつもりはない。あくまで、俺の就任式に立ちあってもらうため、客人として、そばに置いてるんだ」
サージャは長老からルザリク市長の印璽を預かってきている。衆人環視の場で正式に俺へ印璽を手渡す役目が彼女にはあるわけだ。それ以上でもそれ以下でもないので、役目が済んだらさっさと帰ってもらうつもりだがな。
「うぅー。勇者しゃまの、いけずー」
「……あ、あのー、アークさん」
さすがに見かねたか、ティアックが横からおずおずと割って入る。
「その……夜の営みとか、どうなさってるんですか?」
オマエも真に受けんな! しかも妙にノリノリ。いかん、これではちっとも話が進まん。
「……ノーコメントだ。本題に入っていいか? ティアック所長」
強引に話題を転換する。ここには明確な用事があって訪れたんで、こんなアホな会話をしにきたわけじゃない。
俺はおもむろに懐に手を突っ込み、小さな巾着袋を取り出して、テーブルに置いた。
「まずは、こいつの中身を見てくれ。これが何か、あんたにわかるか?」
「中身……? では、失礼して……」
ティアックは、テーブルから巾着袋をつまみあげ、口を開いて中身を取り出した。
しばし、様々な角度からそれを観察し──やがて素っ頓狂な声をあげる。
「こ──これ、まさか?」
それは、ちょうどピンポン玉くらいの大きさの、青く透きとおる宝玉。かつてダスクの地下にエナーリアを封印した、完全物質エリクサーのエルフ版デッドコピー。
「ほ、封神玉……! まさか、まだ現存してたなんて!」
ティアックは興奮気味に目を輝かせた。さすがは魔法工学のエキスパート。こうも早く判別できるとはな。これなら問題なさそうだ。
俺がわざわざこんな場所まで出向いたのは、銀宝冠を作り上げたティアックの魔法工学技術を見込んで、この封神玉の解析とカスタマイズを依頼するため。さっそく仕事にかかってもらうとしよう。




