115:小さな生贄
竜を全滅させよ──というが、それが中央霊府の付近限定なのか、あるいはエルフの森全域か、もしくは竜の完全根絶をさすのか。そのへんを先にハッキリさせておかないと交渉にならん。実に興味深い提案ではあるんだが。
サージャがいうには。
「いまぁ、竜は、北と中央にあつまってて、他にはみあたらないんでしゅ。西の大群は、もう勇者しゃまが、ぜんめつさせてくだしゃいましたからぁ。だから、あとは北と中央のを全部ころせば、しばらく、だいじょーぶだろうって、長老しゃまはゆってました」
あああもう本当に歯痒いなその口調。慣れるしかないのか。
「大群というが、その数は」
「んーと……五十ぴき……くらい」
その程度か。俺が移民街の手前で退治したのは十三匹。それも、たいして苦戦などはしていない。五十匹やそこらなら楽勝だな。凡人どもには脅威かもしれんが、俺にとって、あんな連中はでっかい藁束が空を飛んでるようなもんだ。
「では、その五十匹……中央と北の竜どもをすべて斬ってしまえば、長老は俺の求めに応じるんだな?」
「はいっ」
サージャは、こっくりとうなずいた。あ、なんかちょっとその仕草、可愛いと思ってしまった。小動物的な意味でだが。
「どんな願いごとでもおっけー、って、長老しゃま、ゆってました」
本当に長老がおっけーとか言ったのかよ。どんだけフランクな長老だよ。
それはともかく。俺がエルフの森を掌握するにあたって、これは絶好の契機となるかもしれん。竜を全滅させた後、長老に譲位を迫り、素直に承諾すれば、そのまま俺がエルフの森の支配者となれる。もし譲位を拒めば、それは約束を反故にしたということで、長老を誅殺する口実とできる。どう転んでも結果は同じだが、一応、最低限の筋は通しているから、誰もおいそれと俺を非難できまい。
べつに、いますぐ問答無用で中央に飛んで行って長老をぶち殺して支配権を宣言する、というやりかたでもいいんだが、それは下策だ。そういう強引な方法だと、何かこう、後でいちいち反発する奴とかわんさか出てきて面倒だろうからな。オーガンあたりはそれでも俺を支持するだろうが、もともと長老派のハルバンとかは歯向かってくるだろう。それを鎮めるのに、またどれほどの時間と手間がかかるか、想像するだけでウンザリしてくる。ここは長老の提案に乗ってやるのが上策だろう。強引な力技は、最後の策として取っておくべきだ。
「……もう少し、詳しく聞かせてもらおう」
俺は三人に対し、おごそかに交渉開始を告げた。
日暮れ頃──俺は、庁舎に戻ってきたルミエルとフルルをともなって食堂へ行き、一緒に晩飯をとった。
メニューは、お好みうどん定食。きつねうどん、かやくごはん、お好み焼きと、見事に炭水化物のトリプル競演。いやなんとなく、うどんが食いたくなったので。ここ数日、贅沢なメニューばっかりだったから、たまにはこういうのもいいかと。
「お好み焼きって、下に焼きそばが敷いてあるんじゃないの?」
フルルが訊いてくる。そりゃモダン焼きだ。ここのメニューには無いようだな。広島焼きはあるのに。ということは、この世界のどこかに、広島という地名があるんだろうか。この世界には奈良漬けも存在してるくらいだから、多分あるんだろうな。
「アイドル業のほうは、どうだ。儲かってるか?」
訊ねると、フルルは満開の笑顔でうなずいた。
「そりゃもう! 毎日、超満員だもん! ね、勇者さまも、一度観にきてよ! 特別観覧席、あけておくから!」
「ああ。近いうちにな」
本当に充実してるようだ。このままアイドルとして全国区を狙うというのも、あるいはアリかもしれん。
一方ルミエルは、にこにこ微笑みながら、うどんを啜っている。
「おいしいですね。麺もコシがあっていいですけど、おダシがよくきいてて。これ、昆布のおダシですね」
「ほう、よくわかるな。南霊府直送の高級昆布を使った、一番ダシだそうだ」
見ためは庶民的メニューでも、材料は無駄に豪華だったりする。たかが市庁舎の食堂に、採算度外視の高級食材を惜しげもなくつぎ込ませてきたのは、他でもないエンゲランの趣味。ちょいと無駄遣いが過ぎる気もするが、旨いから別にいいか。板前も腕のいいのが揃ってるようだしな。この割烹風の渋い内装とかも、俺の好みにぴったり合っている。
「そういえば、今日は中央霊府からの使者がおいでなんでしょう? ご一緒なさらなくていいんですか?」
ルミエルが尋ねてきた。
「……どうも、面倒くさい連中でな」
俺は軽く溜息をついてみせた。
いまごろ、庁舎の別棟では晩餐会の真っ最中のはずだ。主賓は中央霊府の使者正副三名。ついでに随員二十名。全員まとめて宴会場に放り込み、市長代理ら高級役人どもに接待させている。どうもあの連中は話しづらい。調子が狂うというか。
正直面倒なので、もう明日にも俺の返答──竜退治の件を承諾し、さらに条件を詰めるため交渉継続を望む──という書簡を持たせ、中央へ追い返すつもりだ。
つもりだったが。
翌朝。使者三人は連れだって市長公室の俺のもとを訪れてきた。書簡を渡してやろうとすると、唐突に、サージャがこう切り出してきた。
「わたしはぁ、勇者しゃまのおそばに、のこりますっ」
きりりっと稚い頬を引き締めて、決然と宣言する。その双眸にも、なにやら力強い覚悟をみなぎらせて。
「……どういうことだ?」
「はあ。いや実は……」
ムザーラが説明した。副使二人は、他の随員とともに勇者の返書を携えて中央へ戻るが、正使サージャだけは、俺のもとにとどめておくというのだ。長老の指図で、当初からそうする予定であったらしい。
「ようするに、人質ですな。交渉締結まで、勇者さまをけっして裏切らない、という長老の誠意でございますよ」
誠意ねえ。別にそんなもんいらんから、さっさと持って帰ってくれんかね。
だが、サージャ自身は、まったく斜め上の方向に自分の役割を解釈しているようだ。
「わたしはっ、勇者しゃまへの、ミツギモノなんでしゅ。イケニエでしゅ。だから勇者しゃまの、お嫁さんにならなくちゃいけないんでしっ」
でしっ、じゃねえよ。どんな理屈だそれは。




