114:たとえ勇者の望みでも
長老の正使サージャ。ややふっくらした、あどけない顔立ちと、くりんとした大きな青い瞳が印象的な童女。聞けば、実年齢は十五歳だという。といってもエルフの肉体と知能の成長スピードは人間の四分の一程度。そのぶん寿命は四倍以上になるが。ようするに、サージャは人間換算でわずか四歳そこらの子供ということになる。なんでこんなのが正使なんだ。
サージャの左右には副使二人が付き従っている。かたや若い男、かたや老人。若いほうはサージャのお守り役という感じで、美形ではあるが、なんとも頼りない雰囲気を漂わせている。老人のほうは、白い髭が顔の下半分をふっさりと覆い、広い額に幾重もの皺が深々刻まれた、いかにも飄々とした風情のじいさん。仙人という表現がぴったりくる。
「あ、私は、副使のアガシーと申します。ど、どうぞ、よろしくお願いいたします……」
若いほうが自己紹介。本当に頼りないな。続いて、老人のほうも口を開いた。
「副使のムザーラでございます。見ての通り、ちょいとお茶目なボケ老人ですが、割と空気は読めるほうですのでご心配なく」
その発言がすでに空気読んでねえよ!
「……ともかく、席につくがいい」
俺は内心の動揺やらツッコミやらその他諸々を懸命に覆い隠し、あえて尊大に振舞いつつ、三人に着席をすすめた。
横長ソファの真ん中にサージャがぴょこんっと飛び乗って座り、その左右に若いのとじじいが、よっこらしょと腰をおろす。サージャのパンツ見えた。ふわふわのかぼちゃパンツ。
「一応、確認しておくが……本当に、その子が正使で間違いないのか?」
これは当然の質問だろう。むしろ何かの間違いであってほしいとすら思うが、三人揃って「間違いありません」「間違いないですじゃ」「まちがいないでしゅ」と全力で肯定してきた。どうやら本当に間違いないらしい。
こんな子供を使者に差し向けてくるとか、正直長老の悪ふざけとしか思えん。少々ムッときたが、ともかく、言い分だけは聞くとしよう。どう対応するかは、後で考えればいいことだ。
「まずは、エンゲランの無礼を謝罪いたします。まさか、あの者が勇者さまに狼藉を働くなどとは……」
じじいのムザーラが、開口一番、そう切り出してきた。
「そして、謀反人エンゲランを誅されたこと、長老にかわって、われら一同、心より、御礼申し上げまする」
三人同時に頭を下げる。多分このへん、あらかじめ打ち合せて、練習してたんだろうなぁ。だがこっちも相当危険な目にあわされたんだ。口頭だけで済まされてはかなわんぞ。誠意を見せんか、誠意を。
「つ、つきましては……その」
続いて若いアガシーにバトンタッチ。どもるな。
「わが長老は、この件を大いに嘉され、ほ、褒賞として、勇者アレステル卿へ、ルザリク市長の称号を贈り、ルザリクの統治権を委ねられるとのことにござ、ございます」
えー。そんなもんいらんぞ。
俺があからさまにガッカリしてみせると、ムザーラが横から補足してきた。
「統治権の委譲は、実質、長老がルザリクの独立をお認めになられたということです。エンゲランは中央から任命された地方官にすぎず、税収の半ばを中央へ納めておりましたが、あなたにはその義務もありませぬ。ルザリクの民も財産もすべて、アレステル卿の自由になるわけです。税金取り放題ですな」
ほほう。それはようするに、俺を一国の王に封じるってことか。税金がっぽりとくれば、ルミエルあたりは大喜びするかもしれん。そういうことなら、貰えるものは貰っておくとしよう。ただ、ルザリクはそこそこ規模は大きいが、所詮は一都市。俺が欲しているのは、こんなちっぽけなものじゃない。この程度で俺を懐柔できると思うなよ。
「謝罪は受け入れよう。市長がどうとかの話は、後回しだ。……諸君らは、そもそも俺が何を求めてここまでやって来たか、およそ知っているはず。それについて、長老は何か言わなかったか」
「黒死病……でしゅね」
舌っ足らずにもほどがある口調で、サージャが返事をした。一応、そのへんはわかってるみたいだな。俺は翼人の国への黒死病蔓延という暴挙を阻止するため、早い段階で反長老の旗幟を明確にしている。半ばは建前で、俺が中央を攻撃して長老をぶち殺すための口実という意味あいのほうが強い。とはいえ実際、翼人どもを黒死病から守るというのは宗主としての義務でもある。あの脳筋お笑い種族を根絶するなど俺様が許さん。
「その件はぁ、長老しゃまから、きいてましゅ」
サージャの稚い目に、ほんの少しだけ、きりっと鋭い光が差した。
「いまも、準備はすすんでましゅ。長老しゃまだけじゃなくて、ハルバンしゃまも、さんせーしてましゅのでぇ」
その口調、なんとかならんのか。ところどころ発音が怪しくなるので、聞いてて調子が狂う。
「たとえ勇者しゃまのお望みでも、これだけはきけないって、長老しゃま、ゆっておられましたぁ」
ところでハルバンて誰だっけ……あ、思い出した。確か北霊府の長で、徹底した翼人嫌いとかいう。リリカとジーナのもとの雇い主だったな。
「交渉の余地はない、と?」
俺が訊ねると、サージャは、ちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、こっくりとうなずいた。
やはり、そうなるか。ならば力ずくでいくしかないな。
俺のそんな内心を読み取ったものかどうか。またムザーラが横から言う。
「ひとつばかし……長老から提案がございまして」
「提案?」
「さよう。ほれ、アガシー、説明してさしあげよ」
「は、はっ」
アガシーは、へこっと頭を下げ、提案とやらについて述べはじめた。
「長老が申されますことには……現在、わがエルフの森を脅かしている存在は、おもに、ふたつ。ひ、ひとつは、翼人の国。いまひと、ひとつが、その……竜の、襲来でございまして」
「ふんふん。で?」
「そ、それで……近々、未曾有の竜の大群が、中央霊府と北霊府へ、い、一斉に襲いかかってくるという、予測がございまして」
えーいもう。いちいちどもるな。
要約すると。そもそも長老やハルバンが翼人への黒死病流布という手段を思いついたのは、竜の大規模襲来という異常事態が背景にあるそうだ。ただでさえ竜の対応に神経を尖らせているところへ、北の国境からは、翼人どもが本格的な軍事行動を起こしつつあるとの情報がもたらされ、いま中央霊府は戦々兢々らしい。で、竜の迎撃に本腰を入れるためには、どうしても翼人どもを手っ取り早く黙らせる必要があるのだと。
「……それで、黒死病か」
アガシーはうなずいた。確かに、そういう手段を用いれば、貴重な兵力を割くことなく、労せずすみやかに翼人どもを退けることができる。アガシーの主張するところでは──長老も、決して翼人憎しの感情からオーバーキルを図っているわけではなく、あくまでエルフの森を守り抜くための苦肉の一策であって、竜の襲来という事態さえなければ、こんな非道はしないというのだ。一応、長老自身も、その行為が道を踏み外すやりくちだとは自覚しているらしい。ただし翼人嫌いのハルバンには、また別の思惑があるようだが。
「それで、ですね……提案と申しますのは、その」
アガシーのさらなる説明を聞くうち、俺は少々唖然として、三人の顔を眺めやった。
──勇者ひとりで竜を全滅させてみせよ。されば、いかなる望みにも応ぜん、と。
それが長老の提案だという。
いかなる望みにも──か。それはそれは。




