112:万雷拍手
銀宝冠に施された細工は、事前にリリカとジーナがもたらした情報によって、俺の知るところとなった。例の魔法工学研究所とやらの書簡に、その詳細が記されていたのだ。それによって、エンゲランの真意も明確になった。
エンゲランの手の込んだ仕掛けと、そのタチの悪さに、さすがの俺も少々驚かされたが、むしろこれは好機。うまく逆用すれば、よりスムーズにルザリクを掌握できるはずだ。本来、ルザリクはただの通過点で、そんな予定はなかったんだが、中央霊府と事を構える前に、ここの市民の支持を取り付けておけば、後々の手間が省ける。
まず、ジーナを銀宝冠の保管場所に潜入させ、強制魔法が発動しないよう、内側の烙印をキレイに削り落とさせた。これで俺が生体ゴーレムにされる危険はなくなったわけだ。
ジーナはそのまま、コンパニオンとして銀宝冠をステージまで運んできている。白い盆をささげ持ってステージに現れた、ちょっときわどい服装の女は、実はジーナの変装だ。あとは、俺がその銀宝冠をかぶり、強制魔法が「暴走」したフリをしてエンゲランをビビらせ、迫真の演技でもって一気に貴公子のメッキを引っぺがす、という寸法。
一方、リリカは客席へ移動している。エンゲランも客席に多数のサクラを置いていたようだが、リリカは俺側のサクラとして観衆に紛れ込み、周囲を宥め落ち着かせるため、いまも忙しく立ち働いている。
ステージ上では、いままさに、へたりこんだエンゲランの喉元へ、俺がアエリアの切っ先を突きつけたところだ。周囲は警備兵らの死骸で埋め尽くされ、もう足の踏み場もない。
「こおおおおおぉぉ……!」
俺は、いかにも狂気にとらわれたように、顔面の筋肉をヒクヒクと歪めながら、ぎらつく眼光でエンゲランを見おろし、唸り声を発する。むろん演技だ。
「アークさまー! どうか、どうかおやめになってー」
ルミエルもわざとらしい演技で側面から援護する。
「…………!」
エンゲランは、もはや完全に怯えきって、声も出ない様子だ。
一瞬、このまま生かしておいて、何かの役に立ててみようか──とも思ったが、こうもタチの悪い輩が、簡単に改心するはずもない。しかも真性の変態ときてる。ひょっとすると、こいつは俺を生体ゴーレムと化した後、アッー! な行為に及ぶつもりだったんじゃないか。そう思うと、どうあっても生かしておくべきじゃないという気がする。後くされのないよう、この場でばっさり始末しておいたほうがいいだろう。
俺はためらうことなくアエリアを振るった。剣光ひとすじ斜めに駆けて、エンゲランの素っ首を斬り落とす。ステージに新たな鮮血の華が咲き、たちまち観客席は騒然となった。
普段の俺ならば、こういう場合、──騒ぐなっ! と一喝するところだが、今日は一味違う趣向を用意してある。
「う、う、ううっ……! おおおおおー!」
俺はなおも狂気の芝居を続けた。血塗れたアエリアを片手に、今度は顔を観客席に向け、いかにも獣性剥き出しの雄叫びをあげてみせる。観衆の間に悲鳴があがった。怯える声、混乱のざわめき、人々はいまや恐慌寸前に陥っている。
「ああっ、そんな! 術者を倒しても、まだ魔法がとけないなんて! いったいどうすれば、アークさまを、もとに戻せるのでしょう!」
ルミエル渾身の棒読み。いかん、また笑いがこみあげてくる。耐えろ、耐えねば!
「くぅっ、くぅぅぅぅ……!」
全身をわなわな震わせつつ、かろうじて踏みとどまる。これは演技じゃなく、全身全霊で笑いをこらえてるだけだ。
「勇者さまー!」
どこからか声が響く。ふと、ステージの一隅に、新たなスポットライトが当たる。
そこに端然と佇んでいるのは、いったん舞台袖へ移動して姿を消していたフルル。いつの間にか裏方へ回っていたジーナがスポットライトを操作している。途端、観衆の目が、一斉にフルルへ集中した。
「勇者さま……どうか、お怒りを、お鎮めくださいぃ……」
なんか発音が怪しい。感情を込めようとして失敗したようだ。
フルルは、そっと胸もとに両手を組んで、目を閉じ、一呼吸入れてから、おもむろに唄いはじめた。祈りを捧げるように。
あなたはいつもこう言うの
みんなで支えあっていこう
おカネなんていらないよ
富める者は許さない
富はみんなでわかちあおう
独占なんて許さない
そして唱える魔法の呪文
ゲバルトゲバルトジコヒハン・シュクセイタイホで収容所送りになぁーれ
わたしは、そんなあなたについていけない
それでも、なんだかほっとけないの
わたしのわたしのカレは、左寄り
フルルの澄んだ歌声は、たちまちホールを満たし、ざわめく観衆を鎮め、おだやかに、人々の心にまで染み入るように殷々と響き渡った。歌の内容は、もはやどこから突っ込むべきかわからないレベルだが、誰もあまりそのへんは気にしてないようだ。それほどフルルの歌唱力が圧倒的だということだろう。
俺は、アエリアを床に取り落とし、その場にガクリと膝をついた。フルルの歌は二曲目に突入。その乙女の美しい歌声が、勇者への祈りとなって、次第に勇者の狂気を打ち払ってゆく──というシナリオだ。
ある日、森の中
栗さんに出会った
これはきっと運命ね
そうよきっと運命よ
だって私は森のリス
ふたりあわせて、栗とリス
栗栗で、リスリス
ふたりは、栗とリス……
歌声がやんだ。観衆はいまや固唾を呑んで、ステージ上の俺とフルルを全力で注視している。
「ううっ……、これは、いったい……」
俺は、ゆっくり立ち上がりながら、わざとらしく呟いた。
祈りのポーズのまま、フルルがわざとらしく声をかけてくる。
「勇者さま……!」
ルミエルもわざとらしく言う。
「アークさま……正気に、もどられたのですね」
「……うむ。乙女の歌声が、魔法の呪縛を打ち消してくれたのだ。もう心配はいらぬ」
我ながら凄まじい棒読み。まあいいじゃないか。
「ああっ、勇者さまー!」
「アークさまああ!」
フルルとルミエルが、左右から俺のもとへ駆け寄り、ひしと抱きついてきた。同時に、観客席全体が大きな溜息につつまれた。心底ホッとした空気が、ステージにまで伝わってくる。ここからが肝心だ。有無をいわさず、一気に締めまで畳み掛けねばならない。
「市民諸君……!」
俺は、アエリアを拾いあげつつ、大仰な声と仕草でもって、観衆に語りかけた。
「エンゲラン市長は、己が野望を果たさんがため、私に魔法をかけ、意のまま操ろうとしていた! だが、乙女の祈りの歌声が、悪しき魔法を打ち破り、悪人エンゲランもここに誅された! 悪行の報い、かくのごとし! 我はここに健在なり!」
アエリアを天へ掲げつつ、朗々と宣言してみせる。
「諸君、讃えよ! 祈りの歌声を捧げし乙女を! 讃えよ──正義の勝利をッ!」
観客席を覆う一瞬の沈黙。
次いで──。
津波のごとく湧き上がる歓呼の声、声、声。たちまち異様な興奮がホール内に沸騰し、観衆はステージ上の俺たちへ、熱狂的な賞賛を浴びせはじめた。
いつの間にか、バックステージにはそれまでの出演者たちが勢ぞろいしている。漫談家がウクレレをかき鳴らし、少年少女合唱隊が声を揃えて唄いだし、ダンサーたちがタップを踏んで踊りだす。俺はここまで手の込んだ指図はしてないんだが、たぶんジーナが手を回したんだろう。おかげで満場一気にヒートアップ。フルルが歌い、ルミエルが踊り、ついでに俺も踊った。観客も大喜びで総立ち喝采の波また波。
なんだかんだでステージは最高潮の盛り上がりをみせ、鳴り止まぬ万雷の拍手のうちに、するすると幕が下りてゆく。
これにて大団円。めでたしめでたし、と。カーテンコールは無しで。
きわどい茶番劇だったが、なんとか勢いで押し切れたな。これで、エンゲランを始末しつつルザリクの人心を掌握するという俺のシナリオ通りに事は運んだ。それはいいが、この後は、誰か新たな市長を立てねばならん。さて。




