011:神魂覚醒の秘儀
畑中さんに頼んで、調理場から金の漬物石を持ってきてもらった。
食堂の床に置いて、ノミとハンマーでガンガン切り削っていく。中心部あたりから、直径十五センチくらいの丸く平べったい石が出てきた。異様に赤黒く、なんとも不気味で禍々しい色だ。手にとってみると、表面はツルツルとして、ガラスのような触感。
「これが、賢者の石か……?」
俺が呟くと、チーが顔を寄せて、石をしげしげ眺めながら応えた。
「色も大きさも、だいたい文献の記述と一致してるねー。間違いないと思うよ」
……むう。まさか、そんな貴重品が漬物石にされていたとは。
翼人どもは当然、このことを知らなかったんだろう。知ってたら献上しにくるはずがない。
「ようするに、大昔、誰かがこいつに金をかぶせてカモフラージュしたんだろうねー。それがいつの間にか、翼人の手に渡って、重いからって、漬物石に使われるようになったと。んで、おいしくなーれ、って呪文をかけることで、おいしい漬物を練成しちゃってたんだねー、あっはっは」
チーがおかしそうに笑う。いや、笑うわそりゃ。翼人ってのは天然バカの集団か。
しかしおかげで、素晴らしい物が手に入った。単体でも貴重だが、こいつが例の水晶球を本格起動させる鍵になるのだから、なおさら有難い。
「ああ……せっかくの漬物石が……」
畑中さんが無念そうに嘆く。いやいや、これ漬物だけに使うの勿体無いから! 他にも色々応用できるはずだし。燻製とか。
「チー、例の秘儀とやらは、すぐできるのか?」
「んー。すぐは無理。魔法陣を用意しないといけないから」
魔法陣は、魔力増幅効果を持つフィールドだ。力のある術者が、丸一昼夜かけて、特殊な塗料で丹念に描かなければならない。魔王召喚など、いわゆる秘儀と呼ばれるものは、たいていこの魔法陣の中で行われる。
「ぬう。ならば急いで手配せんとな」
ふと顔をあげると、ちょっと離れたテーブルにいるミーノくんと目があった。どうやら共食いは終わったようで、ひとり呑気に茶などすすっている。
「おう、ミーノくん。すまんが、ちょっとスーさん呼んできてくれんか」
「ブモッ」
ミーノくんは、こっくりうなずいて立ちあがり、食堂から出ていった。
しばらくして、ふと気付いた。ミーノくんは赤い物を見ると興奮する性質がある。少しくらいなら問題ないが、あまりどぎついのを間近で見たりすると、我を失って暴走しかねない。で、スーさんの執務室って、どぎつい赤絨毯だ……。すっかり忘れてた。
俺は慌ててミーノくんの後を追ったが、時すでに遅し。メチャクチャに荒らされた執務室のなかで、スーさんはバラバラの骨の山になっていた。これ組み立て直すの大変なんだよなぁ……。
二日後、神魂覚醒の秘儀の準備が全て調い、王宮の大広間で実施の運びとなった。
深夜一時。広間の床に描かれた大魔法陣の周囲に、何十匹かの部下どもが見物に集まっている。スーさんや畑中さん、ハネリンも野次馬に来ていた。
ミーノくんは援軍七千を率いて翼人の国へ出発したため、この場にはいない。あの後、復活したスーさんからこっぴどく叱られて泣いてたが、半分は俺のせいでもあるんで、なんとかとりなして、ミーノくんの処罰は勘弁してもらった。そのかわり、スーさんとデートの約束をする羽目になってしまったが。いや別にいいけど、骸骨とデートって、具体的に何をどうすればいいのかサッパリわからんぞ。
チーが魔法陣の中央へ寄って、そっと水晶球を置いた。俺は賢者の石を手に、魔法陣の中に入る。
「まず、アタシが封印を解除するからねー。みんな、静かにしててよ」
チーは両手を水晶球へとかざして、なにやらぶつぶつと呪文を唱えはじめた。
ぼやーっとした光が水晶球の表面に浮かび、不意にそれが四方へ弾け飛んで消えた。これが、大昔の勇者が施したという封印だったらしい。よほど強力な魔術師でないと解除できないそうだが、チーはそれを事もなげに外してみせた。さすが、とっくに人間やめてる六百歳。伊達に長生きはしてないな。
「よしっと」
チーは、額に滲む汗を軽く拭いながら、とてとて歩いて魔法陣の外へ出た。
「んじゃ、魔王ちゃん、こっからが本番だよ。まず、その賢者の石に、魔王ちゃんの魔力を注いで。呪文はさっき教えたとおりにねー。そしたら、賢者の石から練成された精神エネルギーと、魔王ちゃんの魔力が、同時に水晶球へ注がれて、神魂が覚醒定着するって手筈だよ」
「うむ」
俺は魔法陣の中央寄りに立ち、両手を伸ばして、水晶球の真上に賢者の石を掲げた。
チーに教わった複雑な呪文を唱えつつ、念を集中し、魔力を賢者の石へと注ぎ込みはじめる。次第に、魔法陣全体が、青白く輝き始めた。これには俺の魔力を増幅する効果がある。
ただでさえ魔王は地上最大の魔力キャパシティを擁する存在。その巨大な魔力を、魔法陣でさらにブーストし、一気に叩き込むという途方もない荒療治を経て、ようやく神魂は目覚めるという。どんだけ大喰らいだよ。しかも、俺の魔力はあくまで覚醒のためのトリガー。
神魂を覚醒させると同時に、賢者の石で練成した精神エネルギーを依り代として、神魂を水晶内に定着させねばならない。この手順を踏まなければ、覚醒した神魂はこの世界に拠り所を持てず、すぐさま別次元へと消え去ってしまうのだとか。我儘な奴だ。
俺の魔力を受けて、賢者の石が真っ赤に光り輝きはじめる。俺が言うのもなんだが、こんな兇々しい輝き、今まで見たこともないぞ。たぶん俺の眼光より不気味で不吉な感じだ。
その賢者の石から、直下の水晶球へ、赤いレーザーっぽい感じの光線がシュビッ! と照射されはじめた。俺の魔力と、呪文によって練成された精神エネルギーとが、一体となって水晶球へ注入されているようだ。
石を持つ両手が灼けるように熱い。いかん、耐えねば。
俺はなおも、呪文を唱えながら、ありったけの魔力を送り続ける。周囲の連中は、ただひたすら息を呑んで、成り行きを見守るばかり。
……それから、どれほどの時間が経ったのか。
俺は急激に魔力を消耗していた。もう、あまり長くは保ちそうにない。さすがに限界近い――と感じたとき。
どこからか、不思議な声が響いてきた。いや、それは俺の脳に、直接語りかけてきているようだった。明確な言語ではなく、何者かが、意思そのものを直接ぶつけてきているような感じだ。何を言っているのか、何を伝えたいのか。どうにもよくわからない。ただ、ギリギリ、かろうじて理解できたのは。
――何を望むか。
そうたずねている。俺に。つまり、願いごとを言えと。
おお、やっとこの瞬間が来たようだな! よし。言ってやるぞ。
俺の願い――それは、この世界の完全制覇。あのエルフの森をとことん蹂躙して、世界のすべてを我が手に収め、そして美人ぞろいと噂のエルフのねーちゃんたちをまとめて押し倒し……っと、いかん、雑念が入った。ともかく、世界制覇だ。それが俺の望みだ。
数瞬の間を置いて、再び、今度ははっきりとした言葉で、俺の脳内に声が響いた。
――承認。
やけに力強い返事だ。
これで……願いが叶うのか?




