108:ルザリク大根
フィンブルの日常は、基本的に研究所と長老の居館を往復するだけで、たまにロックアームのテストと称して霊府を出てゆく以外、とくに不審な行動は見られないという。
「ロックアームの他に、なにか研究している物はないのか? 色々と役に立たないガラクタを作っている、と聞いたことはあるが」
訊ねると、リリカが、ちょっと考えるような顔しながら答えた。
「以前は、確かにそんな感じだったみたいですね。超大型雷撃砲とか、背負い式浮揚固定翼とか」
「なんだそりゃ」
「雷撃砲のほうは、避雷針と大きな筒を組み合わせ、落雷のエネルギーを束ねて空中に撃ち返す、というものです。かなり威力はあるんですが、雷が落ちてこないと使えません。それに、結局はフィンブル様ご本人の雷撃魔法の方が強いので……」
「……固定翼というのは?」
「大きな翼を背負って、高いところから飛び降り、風に乗って空を飛ぶ、というものらしいです。多くの試作型をつくって、さんざんビワー湖の湖畔で実験を繰り返したものの、まだ成功した試しはないようです」
鳥人間コンテストかよ! 本当にろくなもの作っとらんな。そもそも魔法関係ねえし。
「ただ、ロックアームの開発に着手してからは、他の研究はすべて放り出して、それに没頭しているようですね」
こうジーナが補足してきた。
おや。だとすると?
「他には、まったく何もやってないのか? たとえばこう、魔法の烙印で他人の正気を奪うとか操るとか、そういう研究は……」
ここに到着する少し前に出会った、謎の翼人奴隷たち。額に深々と奴隷の烙印を押され、それが強烈な魔力を発揮して、連中の正気を奪っているように見えた。てっきりあれはフィンブルのイタズラだと思ったが。
俺がそのあたりの事情を語ると、二人は、ふと、同時に顔を見合わせた。少々驚いた様子で。
「なんだ? 思い当たることがあるのか」
ジーナが応える。
「え、ええ。おそらく、間違いないと思います。まさか、もう実際に使っていたなんて……」
「どういうことだ。説明してくれ」
「はい。……リリカ、お願い」
そうジーナに促され、リリカは語りはじめた。
「実は、フィンブル様の私室を、ちょっと漁ってみたんです。長老の身辺とは大違いで、まるで警備や秘密保持に気を遣わない方なので、調べ放題だったんですよ。研究に没頭すると、他の事なんかどうでもよくなるんでしょうね」
「ほうほう。んで?」
「机の中から、何通か手紙が出てきたんですが、それによると一時期、ロックアームの開発と並行して、外部からの依頼で、生体ゴーレムというものの研究をしていたらしいんです。翼人に使う強制魔法を発展させて、特殊な魔法を他人の肉体に刻みつけ、意のままに操るとかいう」
「おお、それだ!」
俺は大いにうなずいた。ほぼ間違いないだろう。生体ゴーレムか。確かに、あの翼人奴隷たちにはピッタリくる言葉だ。やっぱりアイツの仕業だったのか。
「一応、生体ゴーレムの基礎理論は完成し、具体的な術法を依頼主に送って、そこで研究は終了したみたいです。ただ、フィンブル様ご自身は、ロックアームのほうに集中したかったのか、たいして乗り気ではなかったみたいですね。完成までかなり時間が掛かったようで、机の中は、依頼主からの催促の手紙でほぼ埋まってましたよ」
「ほほう……。で、その依頼主というのは?」
「依頼主は……」
ジーナは、一呼吸おいてから、ちょっと声をひそめて答えた。
「ルザリク市長──エンゲラン・シュイジー様です」
翌朝。
俺とフルル、ルミエルの三人は、役人どもの案内で庁舎食堂へ出向き、そこで待ち受けていたエンゲランとともに、軽めの朝食をとった。
リリカとジーナは、出て来たときと同様、床下からこっそり部屋を抜け出ている。俺が与えた新たな命令に従って、すでに行動を開始しているはずだ。
食堂は貸切り状態。広くはないが、老舗の割烹を思わせる渋くて落ち着いた和風の内装だ。
卓上に並ぶメニューは、銀シャリ、大根の味噌汁、ビワーマスの塩焼き、だし巻き、沢庵。シンプルなように見えるが、どれも最高級の食材だという。特に大根は地元の名産品とか。
「南のほうは芋の栽培が盛んだそうですが、このあたりは大根がよく取れるのですよ。わがルザリク近郊の大根は、長老御用達の最高級ブランドとして有名なのです」
まだ浴衣姿のエンゲランが、金髪を揺らしながら得々と説明する。長老御用達とは、またずいぶん大仰な。たしかに旨いけど。ビワーマスの皿にも大根おろしが添えられていて、これがまた、ピリッとくる辛さと、ほわっと広がる甘みのバランスが絶妙だ。味噌汁も風味がいい。旨みがじんわり染み出してる感じ。それはいいが、エンゲランはなんでまだ浴衣なのか。俺たちはもう普段の服装に戻ってるんだが。もしかして浴衣好きなのか?
フルルは例によってビワーマスに夢中だ。ルミエルは、だし巻きが気に入ったみたいだな。これと大根おろしってのが、またよく合うんだよなぁ。
「今日はこの後、ホールで皆様の歓迎式典を催します。時間になりましたらお呼びいたしますので、まだしばらく、お部屋のほうでご待機ください」
穏やかな微笑とともにエンゲランが言う。顔つきは相変わらず涼しげだが、その目は俺をしっかと見据え、熱っぽい視線を送ってきている。いまにもジュッテームとかベサメムーチョとか口走りかねない気配がなんとも気色悪い。ええい見つめるな変態め。
歓迎式典といっても、しょせん俺をダシにした政治パフォーマンスにすぎんだろう。正直、そんな茶番に付き合ってやる義理はないんだが──こいつは、何か腹に一物持っている。それが具体的にどういうものか、いまリリカとジーナを動かして探らせているところだ。もうしばらくは、ここにとどまって、そのへんを見極めねば。
エンゲランは果たして、俺にとって敵か味方か。あと少しで白黒ハッキリするだろう。




