102:北の国から
里山を抜けると、そこは竜の巣だった。
早朝。雑木林から街道へ出るなり、いきなりルミエルが驚声をあげて馬車を止めた。何事かと見やれば──。
街道からやや外れた草原に、大きめの泉だか沼だかがあって、その周囲一帯に、十数匹の竜が、のんびりとたむろしていた。
ルミエルもフルルも目を丸くして、その光景を呆然と眺めている。アエリアまでが、俺の腰でカキンカキンと剣環を鳴らす。おまえら驚きすぎだ。いや俺も内心、違う意味で驚いてはいるが──まず二人を落ち着けないと。
「よく見ろ。あれは確かに竜だが、おまえたちの知ってるものじゃない」
それぞれ体高は四、五メートルほど。背に翼はあるが、灰褐色のボディは全体に丸っこいフォルムで、むしろ愛嬌のある姿をしている。竜は竜でも、人里を襲撃したり口から火を噴いたりするトンデモ凶悪生物とは似て非なるもの。あそこにいるのは単なる野生動物。本来、この世界で竜と呼ばれてきた、でっかいトカゲたちだ。
「あ……本当ですね。以前見たのより、だいぶ小さい……」
「……たしかに、よく見たら、全然違うね」
二人は首をかしげた。
そもそも、本物の竜は従来、北方の旧魔王城付近にしか生息していなかった。フルルやルミエルは、こいつらの実物を見たことはないはずだ。ではなぜ、そんな北国産のトカゲどもが、このような場所にいるのか。俺が驚いたのは、そっちの意味だ。
おそらく、ここ近年、大陸を席捲しているという異常低温現象のせいで、北方に棲めなくなり、ここまで渡ってきたんじゃないか。まだエルフの森にまでは天変の影響も及んでいないからな。
「……あれも、竜なんですか?」
ルミエルが訊いてくる。俺はうなずいて応えた。
「むしろ、あれが本来の竜だ。知能は低いが、性格はおとなしい。襲ってきたりはせんから、心配するな」
「は、はあ……よくご存知なんですね」
ルミエルは、心底不思議そうに、俺の顔をまじまじと見つめた。
こいつは俺が魔王の転生であることを知らない。ルミエルの主観では、なんのかのと言っても、俺はまだまだ、地下育ちで世間知らずのお坊ちゃんという認識のはず。その俺が唐突に、竜についての知識なんぞを披露したことに、違和感を抱いたんだろう。だがいちいちそのへん説明するのは面倒だ。ほっとこう。
そんなことより。竜はもともと寒さに弱いとはいえ、ずっと北方に定住していた種族だ。それが故地を捨ててまで、こんな南のかたまで避難して来るなど、よほどの異常事態といわねばならん。いま北方はどういう状況なのか。旧魔王城付近はむろん、現在の魔王城あたりにまでも、すでに異常低温の影響が及んでいると聞く。食糧事情も悪化していると、スーさんは言っていた。
魔族は強いて食事を取らずとも、大気中の魔力を取り込んで、最低限、肉体を維持することができる。だが魔王城やその近辺には、魔族だけでなく、多くの人間や翼人の奴隷たちが住んでいる。ハーレムにも一万人からの女どもがいる。こいつらを養うには、むろん応分の食糧やその他の物資が必要だ。魔族にしても、必須ではないにせよ食欲はあるし、やはり何かしら食ってエネルギーに変えないと、充分な力を発揮できない。
スーさんには、南方に展開していた魔王軍を引き上げさせ、貯蔵物資もすべて北方に移動させるよう指示している。だから、まだ当面は、魔王城の物資が底をつくようなことはないだろうが、このまま事態が推移するなら、そう何年ももたないだろう。一刻も早くエルフの森を制圧し、魔王城へ帰還して、対策を講じる必要がありそうだ。場合によっては、最悪、南方への遷都も考慮しなければならないだろう。むろん、それ以前に異常低温の原因究明に着手する必要がある。あの凶暴なほうの竜の正体も、できれば突き止めて、適切な対応をしなければならない。ただそれらも、俺一人でどうにかできるものじゃない。スーさんやチーといった智嚢がどうしても必要になる。そのあたりの事情からしても、今はさっさと目的を達して、その後は、とにかくすみやかに城へ戻ることを最優先にすべきかもしれん。
ついつい、ここまでノンビリと旅を続けてきたが、いっそ、ルザリクあたりで一旦馬車を待たせて、俺ひとりで中央霊府へ飛んで行こうか。そのほうがよっぽど手っ取り早いし、アエリアの魔力があれば、充分可能だろう。
ただ、中央には、あの何を考えてるか得体の知れないフィンブルが待ち受けている。長老も、いまのところ正体不明の不気味な存在だ。無闇に突撃しても、思わぬところで足もとをすくわれる可能性が充分ある。
ルザリクまではあと丸一昼夜というところ。そこでリリカとジーナから、フィンブルや長老に関する情報を聞く手筈になっている。それを踏まえたうえで、慎重に今後の方針を考えるとしよう。焦りは禁物だ。
俺がああだこうだと考えに沈んでいる間──ルミエルとフルルは、竜たちの観察に余念がなかったようだ。動作や仕草がちょっとユーモラスで、意外に見ていて飽きない連中だからな。こういうところからしても、あの凶暴な謎生物どもとは根本的に別物だ。
「あっ、あれ、子供かなぁ? 前足で顔をすりすりしてる! かっわいいー!」
フルルが嬌声をあげる。確かに、いくつか幼生が混じってるようだな。目がくりんっとしてて、なんとも愛らしい姿をしている。
「あら……あれって、草を食べるんですね。本当にのんびりとしてて、移民街を襲ってたのとは、全然違う……」
ルミエルも、ちょっと楽しそうだ。
「ねぇ、あの子供、一匹連れていけないかなぁ?」
フルルがいきなり無茶なことを言いだす。遠目には小さいように見えるが、幼生でも体高は二メートル超。体重も百キロを超える。そんなもの馬車に積めるか。それに。
「……あんなに仲のいい親子を、無理に引き離す気か?」
そう俺がたしなめると、フルルはハッと気付いたように目を見開いた。
「あ……。そっか。そんなの、可哀想だね」
納得したようだ。素直でよろしい。
「さて。珍しい景色だが、いつまで見てるわけにもいかん。出発しよう」
俺はルミエルを促し、馬車を再出発させた。
竜のことも無論気になるが、今は急いでルザリクを目指さないと。
あの竜たちを見て、あらためて事態の逼迫を実感した。世界の危機とやらは、こう身近な場所にまで影響を及ぼしはじめている。
今後、俺は何をすべきか。どう行動し、周囲をどのように動かせば、より望ましい状況へと持っていけるか。よくよく考えて行動せねば。
まずは、ルザリクに辿り着くことだ。