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神様と居候  作者: 透水
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第四話

「もしもーし」

 声と共に、ドアがノックされた。ドアと直線状に位置するベッドの上に寝転んでいた俺は、半身を起こして返事する。

「はいよー。その声は実砂か?」

「えへへ、あたりー。入っていい?」

「ああ、いいぞ」

 少し遠慮がちに顔をのぞかせ、俺の顔を確認した途端一気に入ってきたのは、隣人の実砂だ。

「ケイ君は?」

「ああ、あいつなら食料買い出しに行ったぜ」

「そうなんだ」

 実砂の返答が、いささか平坦に聞こえた。

「ねえヒロ、その顔だと、あんたクスリやめたの?」

「ん? ああ……つーよりやめさせられたのかな」

 おそらく、買い物に行ってるあいつに。

「もったいなーい……。ねえ、またやんない?」

「……は?」

 俺はつい呆けた声を出していた。そういう実砂の顔は、見た事がある。あのときの俺みたいに禁断症状とまではいかないが、身体はかなりクスリを欲しがってるときの顔だ。

「ば、馬鹿言え。やめるときひどいことになるって言うだろ? 俺やだもんそんなの」

「じゃあやめなきゃいいんだよ。ずーっとやってれば。だいじょーぶ、クスリは使う量が増えたって言えば、たくさんくれるから」

「ばっ、馬鹿ちょっと待て……でっ!」

 慌てて腰を浮かそうとした俺を、実砂はベッドに押し返した。しかも、俺の胸の上にしっかり腰を下ろして。俺は椅子じゃないぞ。

「おいっ……! 何すんだ実砂!」

「怒んないでよー。あたしはヒロにこれあげようと思って来たんだから」

 ひらりと俺の顔の上に現れたそれは、見慣れた粉薬。その中身は改良されたヤクで、効用は快楽と苦痛のアリ地獄だ。ずっと奥で待ち構えるのは、爪をはがされた後四肢を切断されて、臓物全てと目玉を、焼けたナイフで抉り出される痛みと同等だが別格の、“自分”に直接攻撃してくる怪物だ。身体の痛みは少しずつだがおさまる。だがこの怪物は、少しの治癒も許してはくれない心の傷と、真の暗闇に一人放り出される最高の孤独感、人間として生きていけなくなるような雰囲気、外観を授けてくれる。

 そうだ。俺はそのきれっぱしを味わったんだ。つい、三、四日前に。

「ほーら、今開けたげるからね」

「……っ! やめろ実砂!」

 だめだ。実砂のやつ顔がヤバイ。顔のすぐ上で思いっきり開けられたら、嫌でも吸っちまう。あの寒気が、吐き気が、めまいが、汗が、体の奥からわいてくる、もどかしさのようなむずがゆさのような感覚が。あいつらがすぐそこで待っている。こんな恐怖、味わったことない。

 目の前の女が、この上なく恐ろしい人間に見えてきた。それでも突き飛ばす勇気が出てこなかったのは、心のどこかで、数少ない友としての認識があったからだろうか。

「あっれー? 開かないなあ……」

 切り口からなかなか袋が開かないらしい。でもいつかは開く。どうする……

「ただいま帰りましたー、広直さん。今日の夕食はすき焼きにでもしますか」

 なんで夏にすき焼きなんだ、と一瞬つっこんだが、すぐに我に返った。慶喜のやつが帰ってきた。しかも顔をあげればすぐにこのベッドが見える。

「あれ、誰か来てるんですか? あんまり大人数は連れ込まないでくださいね…………ってあら」

 廊下を半分以上歩いたところで、やっとこちらを向いた。半袖長ジーンズでブレスレットをつけてる男がレジ袋を提げてるのは異様な感じだが、それでも今の俺にとっては救世主だ。いつのまにか実砂も慶喜を見ている。

「あらあ、お帰りケイ君。お邪魔してたよ」

「ええ、それはかまいませんが……。全く広直さん」

「あ?」

 そんな怪訝な顔する前に助けてくれ。

「あなたねえ、仮にも人の家でやっていいことと悪いことってのがあるでしょ? しかもまだ三時ですよ?」

 ……勘違いしてる。こいつは何か勘違いしているぞ!

「ちょっと待てコラ! この状況見て言うのはその台詞か!?」

「それ以外何かあります? んー……。あの、とりあえず私トイレか風呂にでもこもってましょうか?」

「……てっめ…………!」

 頭も顔も熱くなって、思わず半泣きしそうになった。神様だったら俺を助けろ!

「ケイ君、あなたもこれほしい?」

 状況を理解してない実砂が、開けるのに一苦労していた袋を慶喜に見せた。ふと、やつの目がかすかに細くなった。

「やっぱりですか……。広直さん」

 買い物袋を足元に置いて、慶喜は小さく実砂を指した。やつの言いたい事が、なんとなく伝わった気がした。

「すまねえ実砂!」

「えっ……きゃ!」

 腐っても男だ。不利な体勢でも、これぐらいはできる。俺はしっかり座り込んでいた実砂を、床の上に落とした。ベッドはさほど高くはないから、尻が少し痛くなるぐらいだろう。

「広直さん、私の家で何かやるときは、事前にお知らせしてくださいよ。私帰る時間調整しますから」

「てめーなあ! いい加減やめろそれは!」

「わかってませんねえ、あなたは。最初から冗談でしたよ」

 なんだか嫌なやつ。

「さてと、実砂さん。彼は完全にクスリからは足を洗ったんです。他の人を巻き込むのはやめましょうよ」

 まだ座り込んでいる実砂と目線を合わせるように、慶喜は膝をついた。

「や、だ…………。だって周りにあたしと同じ人がいないから、寂しい……」

 実砂はうつむいた顔を赤くし、零れ落ちる涙を必死に手の甲でぬぐいながら、慶喜の問いに答えた。

「だったら、あなたが変わればいいんです。あなたが周りの人と同じになればいい。簡単でしょう? 他の人を自分と同じにするよりは」

「ううん……」

 実砂は大きく首を横に振った。

「だって、そうするときはすっごく苦しい思いをしなきゃならないんでしょ? やだもんそんなの」

「そうですね。でもこのままクスリを続ければ、いずれあなたの身体はぼろぼろになってしまう。そうしたら、ヒロや私にも会えませんよ?」

 あだ名を言われてすこしムカッときたが、それは実砂を少しでも安心させるためのものだと納得させた。

「やめたいよ、あたしも……。でも、怖い……」

「わかります、その気持ち。でも彼は……。ヒロは、自分でやめようとしましたよ?」

「ヒロは勇気があるから……。あたしにはそんなのない。すぐ手を出しちゃいそうで……」

 その時、なぜか慶喜は笑った。嘲笑ではなく、苦労して問題を解いた生徒の一部始終を見ていた、優しい先生のような。ゆっくりと実砂の頭をなでると、その手を肩に置く。

「じゃあ、あなたをクスリから助けてあげます。大丈夫、痛みはほとんどありませんから」

 ……どこかで聞いたような台詞だ。

「広直さん、私これから彼女を助けますが、あなたここにいますか?」

 つっ立っていた俺を見上げて、慶喜が口を開いた。

「へ? いちゃだめなのか?」

「そうじゃないですが……。ほら、前言ったでしょ? 吸血鬼みたいだって」

「……ホントなのか?」

「ええ」

 泣き疲れたのか、ややぐったりしている実砂の背を、慶喜は抱えた。

「人に見せるものでもないですし、見たいと思うようなものでもありませんからね。すぐ終わるんで、どこか見えないとこにでも」

「…………ああ」

 ゆっくりと、だが少しずつ歩調を速めて、俺はキッチンに身を隠した。もし本当なら見て気分がよくなるものではない。だってあれだろ? 詳しいわけじゃないが、吸血鬼って。確か十字架とかにんにくが苦手で……。

 …………やっぱり興味がわく。そっとかげから覗いてみた。

「…………!」

 ちょうどその時、慶喜の顔が実砂の首筋に埋まった。向こう側なので、慶喜の顔は見えない。実砂の首は後ろに倒れ、眠っているようにも見える。

 ただ、それを見ると同時に、あの夜の一番もやがかった記憶が、突然鮮明になった。壁に押さえつけられたときのかすかな首の痛み。首元から聞こえた声。そのあと全身を襲った、小さな痛みと痺れ。いや、その前に鋭い二つの何かが、俺の首に…………

 あれ? もしかして鋭い二つの何かって……まさか……

 埋まっていた慶喜の顔が、ふと上がった。閉じかけた唇の間から、赤く濡れた“鋭い二つの何か”の片割れが、なぜかはっきり見えた。

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