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リセットは出来ない

作者:
掲載日:2026/06/16


人生にはリセットボタンがない。

「やっぱ無し」

「もう1回最初から」

そんなことは出来ない。

私は、こう生きてきた。

そして、これからもそう生きていく。




「男の子になりたい」

「やり直したい」

「生まれ変わりたい」


何度も、何度も同じことを思って考えて、

無理だとわかっているからこそ、苦しくなる。


「死んでしまいたい」

「捨ててくれたら良かった」

「勝手に産んで育てたくせに」


自分で自分を嫌い、傷つけ、他人に責任を擦り付けて自分は悪くないと言い聞かせてはまた自分を嫌いになっていく。


負の連鎖から抜け出せなくなったのは、いつからだったろう。そして何より、こんな考えが浮かび始めたのはいつからだったのだろう。



たった一言、何気ない会話の節々に、否定を意味する言葉を感じて、望まれていない、要らない存在だと言われた気になってしまうことがある。

それがいつしか、自ら己を否定し、奈落の底へ陥れるような考えで苦しめるようになった。


名前の由来を、3回ほど聞いたことがある。

1回目は、小学校低学年の頃。宿題で聞いてくるようにと言われたからだった。

大層な意味を込められているわけではないと知った。


2回目は、中学に上がる前。何となく、聞きたいと思ったからだった。

男の子に生まれるものだと思っていたがために、女の子だとわかっても新たにしっかりと意味を込めて付けようと思わなかったと言われ、名を聞かれ、名を呼ばれることを嫌だと思うようになった。


3回目は、高校生になったあと。

あるはずがないと分かっていながら、違う答えを聞きたかったからだった。

結果はやはり、大して変わらなかった。

ただ、「男の子だったらこうだった」と。

習い事も、住む場所も、やらせたい事もあったと、違う選択をしていただろうと。

名前以外でも、女でなければもう少し手をかけて育てていたと言われた。


そこで、今まで考えてこなかった、考えないようにしていたことが頭の中に駆け巡った。


父のことだ。


私の両親は離婚をしている。私がまだ物心の着く前に。

父はある意味面白い結婚歴をしている人で、母の前に結婚していた女性と離婚した後、母とも結婚・離婚をしている。

ここまではまぁ、聞かなくはないだろう。

だが父は、その前妻である女性と再婚をして今の今まで続いている。


なぜ一度別れたのか、なんなら母を経由した理由も母と離婚した理由も、父からも母からも聞くに聞けないためによく分からないまま、不思議で分からない人だという印象だけが胸に残っていた。


そんな父から見た私は、定期的な交流もあれば、幼い頃には父の家に泊まりに行くこともあったくらいだ。

嫌っていたりはしなかったのだろう。

好意的に思われたり、大切な娘だと思われているとも考え難いのだが。


私は一人っ子ではあるものの、父からすれば4人いる子供のうちの末っ子にあたる。

そう、父には私の他に3人の子供がいるのだ。

上から男・女・男の順で、1番上とは9つ、下とは5つ離れている。


歳が少し離れていることもあり、会えば可愛がってくれていた記憶があるが、何となく、差を感じたり普段は片親一人っ子として過ごしている分、父親や兄弟の勝手を知らない私は、あちらの家庭とのギャップから距離を置いた。

怖い、分からない、難しいと思ったからだった。

まぁ、私からしてみれば気まずいことこの上ない場所だったということだ。


兄弟同士の、家族のいつも通りの会話も、あの家の家庭の味も、生活音も、寝室の静けさも。

全てが別の世界で過ごしているようで、疎外感と居づらさが心の端や奥底を蝕んでいった。

全くもって知らない世界に、もしかしたらここに馴染んでいた世界線があったかもしれないということに気付いてしまえば、耐えられるはずがなかった。


そんな父が、物心のつかない娘がいながら離婚をし、養育費もあまり十分には払わずに高校に上がることになるまで大した連絡も取らず、誕生日やクリスマスのプレゼントもまちまちだったこと、高校のイベントに呼んでも、1年前から呼んだとしても「予定が分からないから」と優先はしてくれなかったこと、プレゼントすら無くなっていったこと、他の兄弟と、やはり差があるのではないかと、そう思ってしまうこと。


父もやはり、母と同じように望んだ子供でなかったから、私が私であるから、だから父親で在りたくなかったのだろうか、そう思ってしまった。

父親というものを知らない私には、分からないことだらけだった。


名前の由来を聞いて、帰ってきた言葉に憂うだけでも面倒だと言うのに、そんなことを考えて自分自身を嫌いになっていくなんてどうかしていると、ただの杞憂だと振り切れてしまえばどれだけ楽に生きれただろうなんて思ったりもする。

多感な時期だったから、というのもあるのだろう。

ふと思い出しては心臓を握りつぶされたような感覚に陥って、なぜ他と違うのだろうかと、なぜ私はこんなにも醜いのだろうかと眠れない日も多くあった。

そして何より、可哀想な子として見られるのが心底不愉快だった。


世間一般的には、やはりまだ片親や、両親が離婚している子というのは「可哀想な子」であると、気を使うべき対象に思えてしまうのだろう。

二者面談の時、家族構成を聞かれたことはないだろうか。

「母と二人暮しです」と答えれば、当然「お父さんは?」と聞かれる。

離婚していることをいえば、必ずと言っていいほど「ごめんね」と言われた。

何に対する謝罪なのだろうかと、最初は分からなかった。


だが、離婚したときに物心が着いていたりすれば両親が離れてしまうことへのショックがあったり、家庭内で何か良くないことがあればそれによる傷を開いてしまったのではないかと考えが巡ったりするのかもしれない。

少しずつ、そうなのかもなと思うようになった。


それでも、根本的に私は父親とはどういう存在で、家庭内でどのような立場の人間なのかを私は知らない。

「可哀想」と思われても、「ごめん」と謝られても、何に対してそう言っているのだろうかと思うしかないのだ。

正直なところ、可哀想なものを見る目や悪いことを聞いたと思われることに憤りを覚えていたくらいだった。


そして今、高校を卒業して工場に務めても心の中の霧は晴れないままでいる。

進学か、就職か。学校を休みがちだったこともあり推薦枠からは普通に外れて進学するにも金がかかるからと就職をしようとなった私だったが、就職先が決まった後に「進学すればよかったのに」と、母からも他の家族からも言われた。


おかしな話である。

就職を勧めてきたのも、進学はさせられないから自分でお金を貯めて行くように促したのも自分たちなのに。

「本気でやりたいと言ってくれればどうにかした」

「別に就職しなくても良かったんじゃないの」

「やりたいこととか無かったわけ?」

脳天を撃ち抜かれたような、首を切り落とされたような、衝撃が酷すぎて何も言えなくなった。

戻りたい。やり直したい。やっぱりこれがやりたい。そんな事も言えない状況下で、そこまで無慈悲で無神経な言葉がよく言えたものだと思った。


自分たちが言ってきた言葉を忘れたのか、はたまた今更やり直しがしたいなんて言えない私に、態とできないことや望めないことを恰も出来るはずだったことかのように言っているのか、壊して、燃やして、塵ひとつ残さずに消し去ってしまいたいとすら思った。


自分が壊れている自覚もあった。

他人と比べてもおかしいくらいに情緒の波が激しいタイプだと、大丈夫だと思っていても、2、3ヶ月に1回は闇に包まれて自室で意味もなく泣き続けたり、過去、現在、未来問わずに不満をぶつぶつと一人で喋り続けたり。

学生時代にもそれが理由で家から出なくなくて学校に行かず母に叱られ、罵声を浴びせられていた。ときには暴力もあった。


社会人2ヶ月目、ゴールデンウィークの後、精神的には大丈夫だったものの単純に風邪を引き3日程休んだ。その後、それが来た。


風邪の後遺症とも重なって食事がまともに取れず、喋る気も何かをやろうとする気も起きず、笑うこともなく、最低限の栄養をゼリーや水分で取っていた。

体調は悪くないのに、元気でいるべきなのに、それが出来ずにいた。


会社からはゆっくり戻していけばいいと言われたが、母はそこまで優しくはない。

何回も、恒例のように引きこもる時期が来るのだ。

わかっているのだから対策すればいいだろう、なんで普通にできないの、何がしたいの、どうして欲しいの、何ができるの、たくさんの言葉で詰められて、生産性がないと言われる始末だった。

同じような言葉を、同じように聞いていた。


そして今回は、手をあげられるだけでも嫌なのに、部屋にあるグッズ類にまで手を出された。

学生時代に母が買い与えてくれたものもあれば、バイト代や初めての給料で買った物までなぎ倒され、破られ、ゴミ箱に捨てられ、踏みつけられた。


傷もついたし、バラバラにもなったし、辞めてくれと言えば脅迫かの如く「普通」になれと、ただの甘えで怠けているだけなのだからと叩かれた。

泣いて謝れば「じゃあやれよ」と怒鳴られ、殴られて震えれば「何ぶってんだよ気持ち悪い」と、「演技だろ」と蹴られた。


それでも数日経てばあの人はあの人の普通になる。

手をあげたことでも、物を壊して部屋を荒らしたことでもなく、「怒鳴ってごめんね」と、ただそれだけ謝ってきた。

何がしたいのか全くわからなかった。


そして何より、あの人は私が18歳だとしても、なんなら何歳であったとしても、お構い無しにハグや接触を要求してくる。機嫌が良かったり、自分に都合のいい時は猫撫で声で話しかけてくる。

傍から見ればただの仲の良い母娘にしか見えないそうだ。

タチが悪いと思った。気持ちが悪いと思った。

家から離れて全部途絶えさせてしまいたいとさえ考えた。


だが、まだこの家からも家族からも逃げられるほど余裕がないのもわかっている。

だからこそ、吐き気と嫌悪感だけが積もっている現在と向き合うしかないと、無理にでも割り切るしかないのだ。


それができるかどうか聞かれてしまえば、「できない」が答えなのだが。


できるかできないかではなく、やるかやらないか、そして「やる」という選択肢しか存在しないのだ。

この現状の地獄から抜け出せたとき、心の霧に晴れ間が見えたとき、私は笑えていたらいいと思う。

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