「誠実」とは
「すまない。僕はアリシア……義妹を愛しているんだ」
「…………」
婚約者(仮)との初めての顔合わせ。
両家の親を交えた挨拶が終わり、「あとはお若い二人で~」なんて言いながら両親たちが去っていった応接室。
今まで一切言葉を発しなかった婚約者(仮)の、開口一言目。
……何て????
ひとまず、変な声を出さなかった自分を褒めたい。
笑顔もまだ貼り付けていられているはず。
――まずは、ちょっと紅茶を失礼して。
姿勢を崩さないように、用意されていた紅茶を一口ゆっくりと飲みながらさり気なく正面に座る男を見ると、両手を握りしめ下を向いている。
……これはいったいどんな状況なのかしら。
カップを静かに下ろし、何も言わずに見つめてみる。
すると、何の反応も返ってこないことを不思議に思ったのか、恐る恐るというように男が顔を上げた。
「……何か、言いたいことはないのか?」
「何か、とは何でしょう?」
すっとぼけたように首を傾げ笑顔で言葉を返すと、今度は怪訝そうな目で見てくる。
なかなか表情豊かな方なのね。貴族という立場上、あまり褒められたことではないのだけれど。
「僕の言葉に対して、だ」
「お言葉とは?」
「……っ、アリシアを愛していると言っただろう!」
あらあら。そんなに大きな声を出さずとも聞こえておりますのに。クールな方かと思っていたけれど違うようね。
「私にどんな言葉をお求めなのですか?」
「……何かあるだろう」
「特にありませんわ」
「何故だ!? 君は僕の婚約者になるのだろう!?」
「ええ。まぁ、婚約者(仮)ですわね」
「だったら!」
……興奮しすぎて肩で息をし始めたわ。とても息が荒いのだけれど大丈夫かしら。
そうそう、まずは紅茶を飲んで落ち着いて。あら、紅茶はそんなに一気に飲むものではありませんよ。とっておきの茶葉でしたのに……ゆっくりと味わう余裕というものも大切な品位ですのね、勉強になりましたわ。
「……僕は、婚約者に対しては誠実でありたいと思っている」
「はぁ」
「だからこそ、僕の正直な気持ちを伝えたんだ」
「はぁ」
「そして、婚約者相手にも誠実さを求める」
「まぁ、それはそうですわね」
あなたが誠実かどうかは置いておいてね。
「僕は君と婚約をし、いずれ婚姻を結ぶことになるだろう。親に決められた不本意な縁だが、君を蔑ろにすることはないと誓うよ」
「はぁ」
「ただ、僕にとっての最優先事項はアリシアだということは覚えておいてくれ。子供を作るのも、アリシアとの子供が生まれてからになる。嫡子は愛するアリシアとの子供がいいからな」
……誠実とは。
私が何も反論をしないからなのか、何だかとても気分が良さそうに未来図を語っている。
そんな未来を受け入れてくれる女性がいると本気で思っているのかしら。
「あら、エヴァレット様はアリシア様を愛しておられるのですから白い結婚になるのでは?」
「君を蔑ろにはしないと言っただろう? もちろんアリシアが一番だが、二番目に君を愛するから安心してくれ。僕は誠実な男だからね。あと、婚約者なんだから気軽にセオドアと呼んでくれてかまわないよ」
……きもっっ……ちわるいですわね。
ウィンクまでつけてきやがりましたわ。一体この方はご自分を何だと思っているのでしょうか。
この方が、この年齢まで婚約者ができなかった理由がよくわかりました。これはもう……無理ですわ。無理寄り、とかではなく普通に無理ですわ。
「私のようなしがない子爵家の娘が、伯爵家嫡男のエヴァレット様をお名前で呼ぶだなんて恐れ多いですもの。遠慮させていただきますわ」
「そんな他人行儀な……僕は君が傷物でも気にしないよ? そんなに自分を卑下しないでいいんだ。僕たちは家族になるんだから」
――これ以上この方と話をしていても、得られるものは何もないわね。
誠実さの欠片も感じられない言葉に貼り付けてある笑顔が歪みそうになり、片手を挙げて後ろに控える侍女を呼ぶ。
「エレノア様、いかがなさいましたか?」
「私たちのお話はもう終わりました、とお父様たちに伝えてもらえるかしら」
「承知いたしました」
「え!? まだ終わっていないだろう? 僕らのこれからについて、もっと話さなければならないことがたくさんあるのに……」
「あら、私たちにはもう対話の必要性はありませんわ」
「え?」
その時、侍女に呼ばれた両家の両親が応接室へと戻ってきた。
「エレノア、もういいのかい?」
「ええ。残念ですがこの婚約のお話はなかったことに」
「は!? どういうことだ!?」
「私たちはご縁に恵まれなかったみたいですわ、エヴァレット様」
「……何を言っている? 父上、義母上、どういうことですか?」
何か様子がおかしいことに気づいたエヴァレット様が、自分の両親へと顔を向けると、問われた二人は悲しそうに目を伏せていた。……お気の毒ですわね。
「伯爵様、伯爵夫人、こちらが控えていた侍女に書かせた会話の記録になります。伯爵家の侍従も共におりましたので、偽りはありませんわ」
「ああ、すまない。……っ、これは……」
「っ、何てこと……っ」
「父上……? 義母上……? おい、エレノア。何を渡したんだ?」
そして一人、状況を理解できていない元婚約者(仮)。
「先ほどの、エヴァレット様と私の会話の内容ですわ。会話、というよりも、大部分がエヴァレット様によるアリシア様への愛の語らいですが」
「なっ、何故それを親に見せるんだ!」
「何故って……そういう約束だからですが」
「どんな約束だ!」
――やかましいですわね。まぁでも今日限り会うことのない元婚約者(仮)様ですからね、説明してさしあげる慈悲を与えましょうか。
「エヴァレット様は半年ほど前、私が長年の婚約者に婚約を破棄されたことはご存知ですね」
「ああ、知っているぞ。傷物でも気にしないと先ほども言っただろう」
「は?」
あら、お父様の方から何やら不穏なお声が。お母様……笑顔が怖いですわ。
「先ほども思いましたが……元婚約者様とは、エスコート以外では手を触れることもないほどに健全な関係。おまけに、相手方の不貞という明らかな理由がある『相手方有責』の破棄です。それをエヴァレット様は『傷物』とおっしゃるのですね?」
「え? いや、それは」
「まぁそれはいいのです。そのような考えを持つ殿方が多数いらっしゃることは、この半年でよくわかりましたので」
そう、本当に多かったわ。
中途半端な憐れみを向けられるだけでも鬱陶しかったのに、そこに混じる好奇な視線。
同年代にはもう良い子息が残っていないだろうと、親切心のように差し出される手は後妻や愛人の誘いか――訳ありの子息ばかり。
「だから私は、隣国へと留学に出ようと思っていたのです。隣国では女性の社会進出も推奨されていますし、煩わしい殿方の手を借りずに生きていこうと思いまして」
だけどそんな時、お父様の旧友だと言うエヴァレット伯爵様から持ち掛けられた縁談。
エヴァレット様は私のひとつ上の十九歳。高等部を上位の成績で卒業し、次期当主としての能力にも不足なく、美形ではないが嫌味のない容姿。
今まで悪い噂を聞いたことはなかったが、これだけのスペックと伯爵家の嫡男という肩書を持ちながら、未だに婚約者がいないという事実には申し訳ないが胡散臭さしか感じられなかった。
「ですが、お父様がなかなか許してくださらなくてね? 最後に一度だけ。エヴァレット様と顔を合わせ、それでも気持ちが変わらなければ留学を認めてくださる、とおっしゃっていたの」
「僕らは婚約者だと言ったじゃないか……!」
「あら、婚約者(仮)ですわ」
「かっこかり……?」
「ええ、あくまでも仮の、ですわね。ご縁がありましたら本当の婚約者になれたかもしれませんが」
そこまで言った時、憤っているような呆けているような、複雑な表情を見せるエヴァレット様の肩を伯爵様が叩いた。
「セオドア。お前は修道院行きだ」
「は!?」
「お前をもう伯爵家に戻すことはできん」
「何故ですか! 僕は嫡男ですよ!?」
「今日で廃嫡とする。伯爵家はルーカスに任せよう」
実の父親から告げられる無慈悲な言葉たちに、エヴァレット様の顔から血の気が引いていく。継母である夫人は、一切エヴァレット様の顔を見ようとはしなかった。
――まぁ、それはそうでしょうね。
義理の息子となった男から自分の娘に向けられた、歪んだ欲望を知ってしまったのだから。
「では、アリシアはどうなるのです!? この婚約がなくなるのなら、僕とアリシアが婚姻を結び伯爵家を継げば何の問題もないではないですか!」
「……アリシアはまだ十三歳だ」
「あと三年くらい僕は待てます!」
……あーあ、気持ち悪い。伯爵は呆れているし夫人は震えている。お父様とお母様は……静かに距離を取っているわね。
「僕とアリシアは愛し合っているんだ! 父親なら祝福してくれても……っ」
「あ、アリシアは、あなたに対して恋愛感情などありません!」
あまりの戯言に伯爵様が拳を握りしめたその時、夫人が叫んだ。体も声も震えている。だけどその瞳には、“怯え”ではなく“憤り”の色が滲んでいた。
「アリシアは、純粋に“義兄として”優しいあなたに懐いていました。それを……っ、こんな、汚らしい……!」
「え!? 何を言っているんですか、義母上。いつもアリシアは『お義兄様大好き』と言ってくれているのに」
「だからそれはっ、“義兄として”です! 恋愛ではありません!」
「何故そんなことが義母上にわかるのですかっ」
「アリシアが恋をしているのは、第二王子殿下だからです……っ」
「……は?」
――音が止まりましたわ。あら、外から小鳥の声が。こんな天気のいい日は少し窓を開けて小鳥の声を聞きながらお昼寝するのが至福なのですけれど。……今日はちょっと無理そうですわね。
「もちろん淡い恋心ですし、王子妃になれるなんて夢は抱いておりません。ですが、金髪碧眼で見目麗しい第二王子殿下がアリシアの理想のお方なのです。決して、セオドアさんではありません」
そこで一度言葉を区切り、夫人は「それに」と続ける。
「アリシアが『最近お義兄様が気持ち悪いの』と。……その意味が、今日はっきりとわかりましたわ」
ぐふっ、……あらやだ、淑女らしからぬ声が出てしまいました。
まさか溺愛するアリシア様にも気持ち悪がられていたなんて、ショックですわよね。やだ、動かなくなってしまいましたわ。ちゃんと息しているのかしら、あれ。
「そんな……」
「そういうことだ。今日の顔合わせはいろんな意味でとても重要なものだった。……まさか、これから婚約者になるかもしれない相手にあのようなことを言うとはさすがに想像できていなかったが」
「はっ、そうだ、エレノア!」
「はい、何でしょうか」
すっかり忘れられていた私の存在を思い出したようですわ。でも、何ですのその縋るような目は。
「先ほどの言葉は撤回する。君を一番に愛すると誓おう。だから、僕と婚約を……」
「お断りしますわ」
ええ、即答でお断りです。でもエヴァレット様、まさか断られると思っていなかったのでしょうか、目がまんまるですわ。
「何故だ! 僕はこんなにも誠実にすべてを話し、君を愛そうと言っているのに!」
「あら、失礼いたしました。エヴァレット様のおっしゃる『誠実』がどのようなものかは理解しかねますが……私も誠実に、お答えしなければなりませんね」
きちんと姿勢を正し、しっかりとエヴァレット様に向き合い、淑女としての笑顔を顔に貼り付けた。
「あなたのような『誠実』が何かも理解していない、身勝手で気持ち悪いロリコンクソ野郎となんて金輪際お会いしたくありませんわ。この度のご縁、謹んでお断りさせていただきます」
最後に渾身のカーテシーを披露し、言葉を締める。そして伯爵様に向き合い、もう一度カーテシーを。
「伯爵様。ご希望に添えることができず、申し訳ございませんでした。厚かましい願いではありますが、今後もぜひ懇意にしていただけますと幸いですわ」
「エレノア嬢、こちらこそ申し訳なかった。君のお陰で息子の本性がわかり、アリシアを守ることができるよ。私の方こそ、ぜひ今後も仲良くしてくれ」
これで一件落着、ですわね。
「では約束通り、私は学園を卒業し次第、隣国へ留学させていただきますわ」
「そうか……寂しくなるが、仕方ないな」
「大丈夫よ、あなた。エレノアはしっかりした子ですもの。それに、馬車で数日の距離だもの、すぐに帰って来られるわ」
「お父様……お母様……」
「いやいやいや! ちょっと待て!」
あら、間抜け面で呆けていたエヴァレット様の意識がこちらに戻ってきてしまいましたわ。
「エヴァレット様、いかがなさいました?」
「いかがなさいました? ではないだろう! この流れでいくと、僕はこのまま修道院に連れて行かれるのだろう? いい感じの空気を出している場合ではないじゃないか!」
「あら、何故ですの?」
「君は、僕のことを気の毒だとは思わないのか!?」
「思いませんわね」
「何故だ! 君は本当に冷たい女だな!? 先ほどの無礼な物言いといい……そんなだから浮気された上に婚約破棄などされてしまうんだ!」
……まぁまぁ。せっかく綺麗に終わらせられそうでしたのに。
「――カーティスよ」
「申し訳ない、エドワード、エレノア嬢、夫人も……セオドア、お前は修道院では足りないようだ。おい、連れて行ってくれ」
「!? 父上……?」
伯爵様の合図で、控えていた護衛たちがエヴァレット様を拘束した。
「お前の行き先は、鉱山での強制労働へと変更する。エレノア嬢へ向けた数々の侮辱行為……己の身で稼ぎ、賠償するんだな。ついでにその腐った性根も叩き直してこい」
「え!? お、おいやめろ! 離せ!」
何かを喚きながら引き摺られて行くエヴァレット様……最後まで無様でしたわね。
「エレノア、すまない。私がお前の気持ちを尊重しなかったせいで、不快な思いをさせてしまった」
「お父様……。いえ、私は何も気にしておりませんわ。それよりも、一人の無垢な少女の安寧を守れたことを喜びましょう」
「……ああ、そうだな」
「――エドワード」
お父様の名を呼ばれた方を見ると、連行されるエヴァレット様を見送った伯爵様と夫人が神妙な表情でこちらを向いていた。
「愚息のあらゆる醜態と暴言の数々、本当に申し訳なかった。奴にはしっかりと償いをさせ、更生するまでは俗世へと戻ってくることがないようにする」
「ああ。この先、大変なこともあると思うがどうか心折れずにな」
「夫人、エレノア様。この度は大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。……貴方様のお陰で、アリシアがあの男の毒牙にかからずに済んだこと、心からお礼を申し上げます」
「いえ、本当にお気になさらず。ぜひ今度、アリシア様と共に遊びにいらしてください」
「エレノアの言う通りですわ。私どもは気にしておりませんので、これからも仲良くしてくださると嬉しいです」
そうして互いに挨拶をし、伯爵家一同は帰っていった。
――とっても不愉快な方ではありましたが、お陰様でひとりで生きていく決意ができましたわ。国を出る前の余興と考えたら、まぁまぁ楽しめましたしね。
「さぁエレノア。そうと決まれば、万全の準備をしないとな」
「そうね、まずは隣国にいるお兄様に手紙を出して――エレノアが快適に過ごせるように根回しをしないと」
両親と離れるのは寂しいが、優秀な兄がいるから子爵家は盤石だろう。
「ふふ。学園を卒業するまでの間に家族で過ごす時間もたくさん作りたいわ」
大好きな家族、大好きなお家。
帰る家がある幸せを、たくさん噛み締めなければ。
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