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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: U3


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第71話 色彩の迷宮と新宿の影

 昨日の晴天が嘘のように、東京の空は再び厚い雲に覆われていた。湿度計の針は朝から不快な数値を示している。


 午前9時。俺は、リビングのソファでブラックコーヒーを飲みながら、英字新聞『ジャパン・タイムズ』と国内紙の朝刊を読み比べていた。


 社会面の一角にある記事が、俺の目を留めた。


『広域窃盗団「ファントム」、都内で暗躍か? 高級マンションを狙う犯行手口』


 記事によれば、ここ数週間、港区や渋谷区の富裕層向けマンションを狙った空き巣被害が多発しているという。ピッキングやサムターン回しといった従来の手口に加え、セキュリティシステムの隙を突く高度な技術が使われているらしい。

 被害総額は既に数億円。警察の捜査を嘲笑うかのように、現場には指紋一つ残されていないという。


「……プロの仕事だな」


 俺は呟き、新聞を畳んだ。


『グラン・エターナル麻布』のセキュリティは万全だ。加えて、俺の主要な資産である40キログラムの金地金は銀行の貸金庫へ、将来200億円に化けるポケモンカードの山は温度管理された専用倉庫へと既に退避させてある。


 物理的な資産を自宅に置くという愚は犯していない。


 だが、このペントハウスには、俺の事業計画が詰まったPCや、何より母や姉と過ごす「安息の空間」という、金銭には代えがたい価値がある。

 土足で踏み込まれること自体が、俺にとっては許容し難いリスクだ。


「……念のため、警備システムのアラートレベルを引き上げておくか」


 俺は手帳を取り出し、セキュリティ会社への連絡事項をメモした。

 同時に、この窃盗団の背後にある組織構造についても、少し探りを入れる必要があるかもしれない。


 午前11時。

 俺は新宿駅東口の雑踏の中にいた。

 巨大なアルタのビジョンからは、最新のヒット曲が大音量で流れている。

 この街特有の、欲望と活気が入り混じった混沌とした空気は、洗練された青山や麻布とは全く異なるエネルギーを放っている。


「……遅いな」


 待ち合わせ場所のライオン像前で腕時計を確認した直後、背後から幽霊のような声がした。


「……西園寺。君のその立ち姿、実に『垂直』だ」


 振り返ると、白鳥恒一が立っていた。

 今日の彼は、絵の具の染みがついたダボダボのシャツに、擦り切れたコーデュロイのパンツという、いかにも「貧乏画学生」といった出で立ちだ。だが、その浮世離れした美貌と、陶器のように白い肌が、ボロ着すらも前衛的なファッションに見せているから不思議だ。


「おはよう、白鳥くん。……時間通りですね」


「時間は色彩だ。失えば二度と同じ色は戻らない。……それで、今日は僕をどこへ誘ってくれるんだい? パトロン」


「白鳥くんの武器を調達しに行きます。……あそこです」


 俺が指差したのは、新宿三丁目にある画材の殿堂、『世界堂』だ。


「日本一安く売る店」という看板の通り、文具から専門画材まで、あらゆる道具が揃う聖地である。


 店内に入った瞬間、白鳥の目の色が変わった。


「……あぁ。なんてことだ」


 彼は棚に並ぶ無数の絵の具チューブを前に、恍惚とした表情で立ち尽くした。


「この青……『ウルトラマリン』の深淵。隣にある『コバルトブルー』の静寂。……見える。僕には見えるよ、西園寺。このチューブの中に眠る、無限の宇宙が」


「……詩的な表現は結構ですが、必要なものを選んでください。予算の上限はありません」


「上限がない? ……君は悪魔か? 僕を極彩色の海で溺れさせる気か?」


「投資です。最高の道具を使わなければ、最高のアウトプットは生まれない」


 俺の言葉に、白鳥は震える手でカゴを掴んだ。

 それからの彼は、餓えた猛獣のようだった。

 最高級の油絵具、コリンスキーの筆、張りキャンバス。

 次々とカゴに放り込んでいく。


「……ふふ、ふふふ。これがあれば、あの『光』を描けるかもしれない。……いや、描かねばならない」


 彼の瞳に宿るのは、純粋な狂気だ。

 葛城玄斎という呪縛から解き放たれ、彼は今、真に自分の芸術と向き合っている。

 その情熱を支えるのが、俺の役割だ。


 会計は数十万円に達したが、俺はカード一枚で涼しい顔をして支払った。

 25年後、彼が描く一枚の絵が数億円になることを考えれば、安すぎる先行投資だ。


 大量の画材を配送手配した後、俺は白鳥と別れた。

 彼は「すぐに描きたい! アトリエに戻る!」と叫び、風のように去っていった。


 一人になった俺は、新宿のさらに深淵へと足を踏み入れた。

 目指すは、花園神社の裏手に広がる『新宿ゴールデン街』。

 戦後の闇市の面影を残す、木造長屋が密集する飲み屋街だ。昼間は閑散としているが、夜になれば文化人やアウトローたちが集う、情報の交差点となる。


 俺はある一軒の小さなバーの扉を開けた。

 昼間から営業している、ジャズ喫茶を兼ねた店だ。

 紫煙と、古いレコードのノイズが漂う薄暗い店内。

 カウンターの奥で、無精髭のマスターがグラスを磨いていた。


「……いらっしゃい。見ない顔だね、坊主」


「コーヒーを。……それと、少し昔話を」


 俺はカウンターに座り、1枚の紙幣を滑らせた。

 マスターは眉一つ動かさず、それを受け取った。


「……何が聞きたい?」


「最近、この街で『質の悪い』連中が増えていると聞きました。……例えば、港区辺りのマンションを荒らしている窃盗団とか、あるいはもっと奥にいる組織の話を」


 マスターの手が止まった。

 彼は鋭い視線で俺を値踏みし、やがて低い声で答えた。


「……『ファントム』のことか。ありゃあ、タチが悪い」


「詳しく」


「元々は中国系の組織がバックにいたんだが、最近は日本の半グレ連中を取り込んで巨大化してる。……手口が荒っぽくなってるのは、そのせいだ。統制が取れてねぇ」


 マスターはコーヒーを俺の前に置いた。


「……奴ら、最近は『名簿』を使ってるらしいぜ。不動産屋やデパートの外商から流出した、金持ちのリストだ」


「名簿、ですか」


「ああ。……坊主、お前みたいな高そうな服着たガキが首突っ込む話じゃねぇぞ。……奴らは、ガキだろうが容赦しねぇ」


 忠告と言うよりは、警告。

 だが、収穫はあった。名簿が出回っているということは、ターゲットはランダムではなく、選別されているということだ。

 俺の個人情報が流出している可能性も考慮すべきだろう。

 先日遭遇した神宮寺レイの警告とも符合する。


「……美味しいコーヒーでした。釣りは結構です」


 俺は席を立った。

 店を出ると、湿った風が頬を撫でた。

 この街の闇は深い。だが、見えない敵に怯えるより、敵の正体を知る方が対処は容易だ。


 新宿駅方面へ戻る途中、俺は伊勢丹百貨店の近くで、見覚えのある人物を見かけた。

 大きなサングラスに、つばの広い帽子。

 変装しているつもりだろうが、その華奢なスタイルと洗練されたオーラは、隠しきれていない。

 天童くるみさんだ。


 彼女はショーウィンドウの前に立ち止まり、飾られている新作のバッグをじっと見つめていた。


「……欲しいなら、買えばいいのでは?」


 背後から声をかけると、彼女は「ひゃっ!?」と声を上げて飛び上がった。


「……な、なんだ、レオか……。脅かさないでよ、寿命縮むかと思った」


 彼女は胸を撫で下ろし、サングラスをずらして俺を睨んだ。

 小悪魔的な美貌。だが、先日の一件以来、彼女が俺に向ける視線には、明らかな「甘え」と「信頼」が混じっている。


「奇遇ですね。お買い物ですか?」


「んー、まあね。……次の仕事まで少し時間があったから。でも、これ高くてさー。事務所の借金もなくなったし、贅沢してもいいかなって思ったんだけど……」


 彼女は再びバッグに視線を戻した。

 シャネルの新作。18歳の少女が買うには、確かに勇気のいる値段だ。


「……頑張った自分へのご褒美は必要ですよ。モチベーションの維持費と考えれば、安いものです」


「ふふ、あんたらしい言い方。……でも、今日はやめとく。あんたに見られちゃったし、なんか恥ずかしい」


 くるみさんは笑って、俺の隣に並んだ。


「ねえ、少し時間ある? お茶しない?」


「ええ、構いませんよ」


 俺たちは近くのカフェに入った。

 彼女はアイスティーを、俺はアイスコーヒーを注文する。


「……こないだは、ありがとね。助けてくれて」


 ストローをいじりながら、彼女がぽつりと呟いた。

 先日の路地裏での出来事。俺がSPを引き連れて彼女を救出した一件だ。


「気になさらないでください。……その後、変な連中は近づいてきていませんか?」


「うん、全然。ボディーガードさんも付いてくれてるし、安心して仕事できてる。……あんたのおかげよ」


 彼女は上目遣いで俺を見た。


「……ねえ、レオ。あんたってさ、本当に高校生なの? たまに、すっごく年上の男の人と話してるみたいになるんだけど」


 鋭い。

 女性の勘、特に芸能界という荒波を生きる彼女の直感は侮れない。


「……老成しているとはよく言われますが、ピチピチの15歳ですよ」


「ふーん。……ま、いっか。あんたがあんたであることに変わりはないしね」


 彼女はニカッと笑った。

 その笑顔は、テレビ向けの作り物ではない、等身大の少女のものだった。


「……今度さ、またご飯作ってよ。あんたの料理食べると、なんか元気になるのよね」


「いつでもどうぞ。食材を用意して待っています」


「約束だからね!」


 30分ほどの短い時間だったが、彼女との会話は、新宿の淀んだ空気を浄化してくれるような清涼感があった。


 帰宅後。

 リビングには、母・ソフィアと姉・摩耶がくつろいでいた。

 母はファッション誌をめくり、姉は大学のレポートと格闘している。

 この日常的な光景が、今の俺には何より愛おしい。


「おかえり、Leo。早かったのね」


「ただいま、母さん。……新宿で少し用事を済ませてきました」


「新宿? あら、危ない街よ。気をつけてね」


「ええ。……そういえば、姉さん。レポートは進んでいますか?」


「うっ……聞かないで。経済学概論、意味不明なんだけど」


 姉がテーブルに突っ伏した。

 俺は苦笑しながら、キッチンへと向かった。


「……少し休憩にしましょう。お茶を淹れます」


 最高級の茶葉を使ったアールグレイ。ベルガモットの香りが部屋に広がる。

 お茶請けには、帰りに伊勢丹で買ってきた『ピエール・エルメ』のマカロン。


「わあ! マカロン! さすが玲央、分かってるぅ!」


 姉が復活した。現金なものだ。


「……美味しい。このサクサク感と、中のクリームのバランスが絶妙ね」


 母も満足げに頷く。

 甘いお菓子と温かい紅茶。そして、他愛のない家族の会話。

 窃盗団の噂も、マフィアの影も、この空間には入り込めない。

 俺は、この聖域を守るためなら、どんな手段も辞さないと改めて誓った。


 夜。

 母と姉がそれぞれの部屋に引き上げた後。

 俺は一人、静まり返ったリビングに立っていた。


「……さて。やるか」


 俺はシャツの袖をまくり、掃除用具を取り出した。

 ハウスキーパーを雇う財力はある。だが、俺は自分のテリトリーを他人に触らせるのを好まない。

 何より、掃除という行為は、俺にとって精神統一の儀式なのだ。


 まずは床。

 イタリア製の掃除機で埃を吸い取り、その後、固く絞った雑巾でフローリングを磨き上げる。

 木の目に沿って、無心で手を動かす。

 床の曇りが取れるにつれ、心の中のノイズも消えていく感覚。


 次に窓ガラス。

 専用のクリーナーとスクイージーを使い、一切の曇りを残さず拭き上げる。

 ガラスの向こうに広がる東京の夜景が、クリアに浮かび上がる。

 無数の光。その一つ一つに、人々の営みがある。


 最後に、愛用の革靴を磨く。

 馬毛ブラシで埃を落とし、リムーバーで汚れを拭き取る。

 そして、最高級のシュークリームを指で塗り込み、豚毛ブラシで馴染ませる。

 仕上げに、ワックスで鏡面磨き。

 つま先が鏡のように光を反射するまで、ひたすら磨き続ける。


「……よし」


 1時間後。

 部屋は完璧に整えられ、空気すら澄んで感じられた。

 汗を拭い、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出す。


 一気に飲み干すと、身体の内側から冷やされ、思考が研ぎ澄まされていく。


 窃盗団『ファントム』。

 神宮寺レイの警告。

 そして、未だ見えぬ黒幕。


 盤上の駒は出揃いつつある。

 次は、こちらから仕掛ける番だ。


 俺は磨き上げた窓ガラスに映る自分の顔――15歳の少年でありながら、その瞳に41歳の深淵を宿した顔――を見つめ、静かに不敵な笑みを浮かべた。


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