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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: U3


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第35話 認知の科学者と甘い休戦協定

 一学期中間試験、3日目。

 試験期間の折り返し地点を過ぎ、生徒たちの疲労はピークに達していた。

 特に今日の科目は、理系科目の中でも重量級である『物理』と、文法知識が問われる『古文』が含まれている。


 教室には、鉛筆の音と溜息、そして時折聞こえる絶望的な呻き声が交錯していた。

 1限目、物理。

 力学の応用問題。斜面を滑り落ちる物体の運動方程式、摩擦力、エネルギー保存則。

 抽象的な概念が記号となって襲いかかってくる。


 俺は、問題を淡々と処理していた。

 物理法則は嘘をつかない。

 初期条件と境界条件さえ確定すれば、未来は一意に定まる。

 それは、不確定要素の多いビジネスや人間関係よりも、遥かに安らぎを感じる作業だ。

 俺はペンの走りを止めず、最後の設問まで一気に解き切った。


 続く2限目、古文。

 助動詞の活用、敬語の種類の判別、和歌の修辞法。

 こちらは論理というよりは、コードの解読に近い。

 文脈という暗号鍵を使って、千年前の人々の感情を復元する作業。

 現代のビジネスメールの行間を読むのと、本質的には変わらない。


 終了のチャイムが鳴る。

 その瞬間、教室のあちこちで「終わった……」という声が上がった。

 隣の席の城戸隼人は、燃え尽きたボクサーのように天井を見上げている。


「……なぁ西園寺。『いとあはれ』って、今の言葉で言うと『マジやばい』で合ってるか?」

「感情の強度としては近いかもしれないが、試験の解答としては不適切だ」

「マジかよ……。まあいいや、空欄は埋めたし」


 隼人は力なく笑った。

 まあ、白紙で出していないだけ進歩だ。

 これで前半戦の山場は越えたと言っていいだろう。


 昼休み。

 俺は購買で軽食を買い、教室へ戻る途中だった。

 廊下の窓際で、桜木マナが友人と話しているのを見かけた。

 彼女は俺に気づくと、友人に断ってこちらへ駆け寄ってきた。


「あ、西園寺くん! お疲れ様!」


 弾けるような笑顔。

 ショートボブの黒髪がふわりと揺れ、健康的な頬が桜色に染まっている。

 制服の着こなしは少しラフだが、それが彼女の親しみやすさを強調していた。

 クラスのアイドル的存在である彼女が、こうして特定の男子に親しげに話しかける様子は、周囲の男子生徒たちの視線を集める。


「お疲れ様です、桜木さん。試験の手応えはどうでしたか?」

「うーん、物理は難しかったけど……でも、赤点は回避できたと思う! 古文は結構自信あるよ」


 彼女は嬉しそうに報告してくれた。

 以前のように「翔太のために」ではなく、「自分のために」勉強した結果だ。

 その充実感が、彼女をより魅力的に見せている。


「それは何よりです。……日向の方は?」


 俺が視線を教室の方に向けると、マナは少しだけ表情を曇らせたが、すぐに肩をすくめた。


「知らない。……テスト前なのにまたゲームセンター行ってたみたいだし。もう、あいつのことは放っておくって決めたから」

「賢明な判断です。君が背負う必要はない」

「うん。……ありがとう、西園寺くん。あ、そうだ。テスト終わったら、お店来てね! 新作のオムライス、試食してほしいな」

「ええ。喜んで伺いますよ」


 約束を交わし、彼女は友人の方へ戻っていった。

 その足取りは軽い。

 翔太という重石が取れ、彼女は自由に羽ばたき始めている。

 俺は満足げに頷き、歩き出した。


 午後の自習時間も終わり、放課後となった。

 俺は舞への連絡のため、人のいない場所を探して特別教室棟へと向かった。

 化学室や音楽室があるこの棟は、放課後は静まり返っている。

 廊下の角を曲がろうとした時、ドン、と誰かとぶつかりそうになった。


「おっと、ごめんね。大丈夫?」


 頭上から降ってきたのは、柔らかく、どこか間延びした声だった。

 見上げると、白衣を着た背の高い男性が立っていた。

 30歳前後だろうか。

 茶色がかった髪は少し寝癖がついており、丸眼鏡の奥の垂れ目が優しげに細められている。

 首から下げたIDカードには『スクールカウンセラー』の文字。

 牧遥人だ。

 今年度から非常勤で赴任してきたと聞いている。


「失礼しました。前方不注意でした」

「いやいや、僕こそボーッとしてたから。……君、1年の西園寺くんだよね?」


 彼は俺の顔を見て、人懐っこい笑みを浮かべた。

 初対面のはずだが、俺の名前を知っているのか。

 入学式の挨拶で目立っていたからか、あるいは鷹森の一件で噂になっているのか。


「はい。西園寺玲央です。……先生は、牧先生ですね」

「うん、そうだよ。よく知ってるね。……立ち話もなんだし、少し保健室でお茶でもどう? ちょうど美味しいクッキーがあるんだ」


 彼はポケットから個包装のクッキーを取り出し、ヒラヒラと振ってみせた。

 教師というよりは、近所の親戚のおじさんのような距離感だ。

 警戒心よりも、彼が持つ独特の空気感――他者の心の防壁を無効化するような「緩さ」に興味を惹かれた。

 俺は少し考え、頷いた。


「……では、少しだけ」


 案内されたのは、保健室の奥にあるカウンセリングルームだった。

 殺風景な学校の設備とは違い、座り心地の良さそうなソファや観葉植物が置かれ、落ち着いた雰囲気が作られている。

 コーヒーの香りが漂う。

 牧先生は慣れた手つきでコーヒーを淹れ、テーブルに置いた。

 そして、山盛りのスナック菓子をドンと広げる。


「さ、食べて食べて。糖分は脳のガソリンだからね」

「……いただきます」


 俺はコーヒーを一口飲んだ。

 意外にも、豆から挽いた本格的な味だ。

 彼はソファの対面に座り、自身もクッキーを齧った。


「西園寺くん。……君は、学校楽しい?」


 唐突な質問。

 だが、その口調は世間話のように軽い。


「ええ。それなりに充実していますよ」

「そっか。それは良かった。……でも、君を見ていると、時々心配になるんだよね」

「心配、ですか?」

「うん。……君は、とても上手な『仮面』をつけている気がしてさ」


 牧先生は丸眼鏡の奥から、俺をじっと見つめた。

 その瞳は笑っているが、奥底には研究者特有の冷徹な観察眼が光っている。

 認知心理学の研究者でもある彼には、俺の振る舞い――15歳の肉体に41歳の精神を隠している違和感――が、何らかのノイズとして映っているのかもしれない。


「仮面、ですか。……誰しも、社会生活を送る上ではペルソナを使い分けているものでしょう」

「おっ、ペルソナか。心理学に詳しいね。……確かにそうだけど、君の場合は少し背負い込みすぎているように見えてね。大人のフリをするのは疲れるだろう?」


 核心を突いてくる。

 「フリ」ではなく「本物が大人」なのだが、それを説明するわけにはいかない。

 俺はカップを置き、微笑みで返した。


「ご心配には及びません。俺は今の自分に満足していますから」

「……そっか。まあ、君がそう言うなら今はそれでいいよ」


 彼はあっさりと引き下がった。

 深追いはしない。相手の領域を侵さない配慮。

 それが逆に、相談しやすい空気を作っているのだろう。


「あ、やべ。コーヒーミルク切らしちゃった」


 牧先生が突然、素っ頓狂な声を上げた。

 冷蔵庫を開けて頭を抱えている。


「西園寺くん、悪いんだけどさ。……付き合ってくれない? 購買……いや、気分転換に外のコンビニ行こうか」

「……は?」

「ここだけの話、僕もテスト期間で暇すぎてね。外の空気吸いたいんだよ。……奢るからさ!」


 彼は白衣を脱ぎ捨て、ウインクした。

 自由すぎる。

 だが、この奔放さが彼の魅力なのだろう。


 俺たちは校門を抜け、近くのコンビニへと向かった。

 教師と生徒が連れ立って買い食いに出かけるなど、進学校である桜花学園では異例の光景だ。


「西園寺くんは何が好き? チョコ? ポテチ?」

「……僕はブラック派なので、ミルクは結構ですが」

「いいからいいから! 遠慮しないでカゴに入れなって! ……あ、アイス食べようよ、アイス!」


 牧先生は楽しそうに、冷凍ケースを覗き込んだ。

 まるで遠足前の子どものようだ。

 俺は苦笑しながら、シンプルなバニラバーを手に取った。


「先生。……生徒を甘やかすのが趣味ですか?」

「甘やかす? 違うよ。これは『餌付け』さ」


 彼は悪戯っぽく笑い、自分用にチョコミントのアイスを選んだ。


「悩みがあってもなくても、美味しいものを食べれば少しは幸せになれる。……痛みを感じるのは生きてる証拠だけど、痛いままでいる必要はないからね」


 その言葉には、彼なりの信念が込められているようだった。

 生徒の痛みを取り除きたいという、純粋な善意。

 だが、その善意はどこか危ういバランスの上に成り立っている気もする。

 「現実」と「認知」の境界を曖昧にするような。


「……面白い考えですね」

「でしょ? ……ま、困ったことがあったら何でも言ってよ。力になるからさ」


 会計を済ませ、店を出る。

 5月の風に吹かれながら、二人並んでアイスを食べる。

 奇妙な時間だった。

 ビジネスの相手とも、学園の友人とも違う、不思議な距離感の大人。

 彼との出会いが、今後どう影響してくるのか。

 今はまだ、予測がつかない。


 牧先生と別れ、帰宅した後。

 俺は舞からの報告書に目を通していた。

 サーバーの設置は順調に進んでいる。

 初期ユーザーの獲得も、草野の草の根活動と、雑誌広告の効果で滑り出しは上々だ。

 全て計算通り。


 その時、インターホンが鳴った。

 コンシェルジュを通さず、直接玄関のチャイムが鳴る。

 このパターンは一人しかいない。


「……はい」

「玲央! 開けて! 重いのよ!」


 ドアを開けると、両手に大量のスーパーの袋を抱えた姉が立っていた。

 今日の姉は、大学帰りらしく少し大人びたトレンチコートを着ているが、髪はボサボサで、必死の形相だ。

 黙っていれば深窓の令嬢に見える美貌が、台無しである。


「姉さん……。何ですか、その荷物は」

「何って、食材よ! 今日は私が晩ご飯作ってあげるわ!」

「……は?」


 俺は耳を疑った。

 姉の料理スキルは壊滅的だ。

 キッチンを爆発させるか、ダークマターを生成するかの二択しかない。


「お断りします。俺のキッチンを汚染されたくない」

「失礼ね! 私だって練習したのよ! ……ほら、今日はカレーだから! カレーなら失敗しないでしょ!?」


 彼女は強引に上がり込み、キッチンへと突撃した。

 俺は頭を抱えた。

 これは、最大の危機管理能力が試される時かもしれない。


 案の定、調理はカオスを極めた。

 野菜の切り方は不揃いで、玉ねぎを炒める段階で焦がしそうになり、水の分量を間違えそうになる。

 俺はその都度、背後から指示を出し、さりげなく手直しをし、火加減を調整した。

 実質、俺が作っているのと変わらない。


「……できたぁ!」


 数時間後。

 テーブルには、見た目はまともなカレーライスが並んだ。

 サラダは俺が作った。


「さあ食べて! 玲央のために愛情込めたんだから!」


 姉が期待に満ちた目で見つめてくる。

 俺は覚悟を決めてスプーンを口に運んだ。

 ……味は、普通だ。

 俺が裏でリカバリーしたおかげで、食べられるものになっている。

 だが、隠し味に入れたというチョコレートの甘みが、微妙に後を引く。


「……うん。食べられますね」

「でしょ!? やればできるのよ私!」


 姉は満足げに自分の分を頬張った。

 そして、ビールを開ける。

 結局、姉はここで晩酌がしたいだけなのだ。


「……はぁ。生き返るわぁ。テスト勉強で死ぬかと思った」

「お疲れ様です。……大学の方は順調ですか?」

「ぼちぼちよ。……あ、そういえば涼が言ってたわよ。『レオくんは生意気だけど可愛い』って」

「……筒抜けですか」

「当たり前でしょ。あんた、私の友達に手出しすぎじゃない? くるみといい、涼といい」


 姉はジト目で俺を見た。

 シスコンならぬブラコンの姉としては、弟が自分の友人たちと親密になるのは複雑らしい。


「誤解を招く言い方はやめてください。……彼女たちとは、良好な友人関係を築いているだけです」

「ふーん。……ま、あんたなら変なことしないって信じてるけどさ」


 姉は俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 子供扱い。

 だが、この無遠慮なスキンシップが、家族であることの証だ。



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