第十八話:囁きの森の試練
遺跡で見つけた石板に刻まれた『古唄』。
私は、その忘れられた旋律を、骨の門の前で、静かに口ずさんだ。すると、古の魔法が共鳴し、固く閉ざされていた門が、地響きと共にゆっくりと開いていく。
『鳴骸の帳』の、その先へ。私たちは、ついに魔女領へと足を踏み入れた。
だが、私たちを待っていたのは、安息の地ではなかった。
一歩足を踏み入れた瞬間、空気は、ねっとりと肌に絡みつくような、濃密なマナに満たされた。巨大な樹々の根が、大地を覆い尽くすように絡み合い、迷宮を形成している。
第二の大魔女リアノーンの領域――『根渡りの森』。敵意に満ちた、危険な森だ。
そして、その森は、侵入者の心に直接、牙を剥いた。
どこからともなく、囁き声が聞こえる。妖霊たちの仕業だ。それは、私の心の最も柔らかな部分を抉る、悪夢の幻覚を見せ始めた。
『なぜ、わたくしたちを見捨てたのですか、セレスティーナ様』
父様と母様が、血の涙を流しながら、私を責める。
『あなたが、私を壊したのよ』
かつての、感情豊かだった頃のリリアが、硝子玉の瞳で、私を指差す。
「やめて…」
それは、幻。私の罪悪感が見せる、偽りの光景。頭では分かっている。けれど、心は、その悪夢に苛まれ、足が、根を張ったように動かなくなった。
もう、一歩も進めない。
私が、その場に崩れ落ちそうになった、その時だった。
私の手を、冷たい、けれど、確かな感触が、強く握った。
リリアだった。
彼女の瞳には、何の感情も映っていない。父様の姿も、泣き叫ぶかつての彼女の幻も、見えてはいないようだった。
そうだ。彼女には、もう、心がない。
罪悪感も、不安も、後悔も、妖霊たちが餌とする、心の揺らぎが、一切ないのだ。
リリアは、ただ、私の手を引いた。
幻覚に惑わされることなく、絡み合う木の根が作る、僅かな隙間を、ただ、真っ直ぐに。
私は、悪夢の囁きに耳を塞ぎながら、その小さな手に導かれるまま、必死で足を動かした。
彼女の「空っぽ」が、今、私を救ってくれている。
皮肉なことだった。けれど、その冷たい手の感触だけが、この悪夢の森で、私が正気を保つための、唯一の錨だった。
どれほどの時間、歩き続けたのだろう。
やがて、妖霊たちの囁き声が遠のき、私たちは、少しだけ開けた場所に辿り着いた。私は、その場にへたり込み、荒い息を整える。
リリアは、私の隣に、ただ静かに佇んでいた。
その横顔を見つめながら、私は、思う。
彼女を救うとは、どういうことなのだろう。
ただ、昔の彼女に戻すことだけが、答えではないのかもしれない。
今の彼女が持つ、この、私にはない「強さ」を、私は、受け入れ始めている。
私の心に、新たな問いが、静かに、芽生え始めていた。
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