第十四話:北の港町と木彫りの鳥
白氷城を発ってから数日。私とリリアは、ヴァイスハルト領の北端に位置する、港町へと到着した。
私の領地でありながら、この町を訪れるのは初めてだった。潮の香りと、荒々しい北海の男たちの活気が、城の静寂とは全く違う空気を運んでくる。
私は、顔が分からぬよう、深く外套の頭巾を被っていた。リリアもまた、簡素な旅装に着替えている。この旅では、ヴァイスハルト家の権威は使えない。いや、使ってはいけないのだ。『二つ頭の蛇』の目が、どこで光っているか分からないのだから。
「北の海を渡る、定期船は出ていないのか…」
船乗りたちが集まる酒場で、私は、身分を隠して船を探していた。しかし、相手は、ただの娘にしか見えない私をまともに取り合おうとはしない。舌打ちをしたり、下卑た視線を向けてきたり。一筋縄ではいかない、旅の現実。その厳しさを、私は早くも痛感していた。
そして、人々の視線の中に、時折、品定めするような、鋭い眼光が混じっていることにも、気づいていた。敵は、すでに、私の領地の懐深くまで、その根を伸ばしているのかもしれない。
その日の午後、食料を調達するために立ち寄った市場の露店で、私は、ふと、一つの品物に目を奪われた。
粗末な、木彫りの鳥。
掌に乗るほどの、ささやかな工芸品。
それを見た瞬間、私の脳裏に、遠い日の記憶が蘇った。
王都の屋敷で、窓の外を飛ぶ小鳥の群れを、リリアが、嬉しそうに、本当に、嬉しそうに、眺めていた、あの日の横顔。
(…ああ)
胸が、きゅう、と締め付けられる。
私は、なけなしの金貨の中から、数枚を店主に手渡し、その木彫りの鳥を買い求めた。
その夜、宿屋の一室で。
眠るリリアの寝顔を見つめながら、私は、今日手に入れた木彫りの鳥を、彼女の旅の荷物の一番奥に、そっと、滑り込ませた。
「あなたの、旅のお守りよ」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
何の反応も示さない、彼女の穏やかな寝顔。
けれど、この小さな鳥が、荒れ狂う北の海から、あなたを、そして、あなたの内に眠る、かつてのあなたを、守ってくれるような、そんな気がしたのだ。