第十三話:女王の決断、北へ
「リリア様感謝祭」という名の、私の壮大な一人芝居が終わった次の日の朝。
白氷城は、まるで嵐が過ぎ去ったかのように、静まり返っていた。侍女たちが、昨日まで城を不気味に彩っていた濃紺の飾り付けを、黙々と片付けていく。
私の心もまた、同じだった。
城の中で、彼女を着飾り、観察し、ポエムを朗読するようなままごとは、何の意味もなさない。その、痛いほどの自覚だけが、私の中に、静かに、しかし確かな熱を持って残っていた。
「少し良いかしら」
私は、長年ヴァイスハルト家に仕える彼、老執事を執務室に呼んだ。そして、真っ直ぐに、その目を見て告げる。
「私は、リリアを連れて、ここをしばらく留守にするわ。北へ向かうの」
老執事は、驚いたように目を見開いたが、私の瞳に宿る覚悟の色を見て、何も問わずに、ただ静かにその言葉の続きを待っていた。
「眠りの蒼苔…それが、リリアを救う、唯一の希望かもしれない。確かめなければならないの。私が、この手で」
「…御意。セレスティーナ様の、お心のままに。この身命に代えましても、お留守は、必ずやお守りいたします」
彼は、深く、深く、頭を垂れた。その声には、憂いと、そして、主君への絶対的な忠誠が滲んでいた。
私は、極北の地の厳しさに立ち向かうため、考え得る限りの備えを整えた。毛皮で裏打ちされた、最も分厚い羊毛の外套。油で防水処理を施した、頑丈な革の長靴。父が遺した書斎の奥から、北部辺境域の詳細な地図を引っ張り出し、護身用として、銀の装飾が施された短剣を腰に差した。
そして、その実用的な荷物の一番奥に、私は、そっと、あの不格好な人形をしまい込んだ。リリアに拒絶された、私の空回りの象徴。けれど、今の私にとっては、諦めの悪さだけが、唯一の道標だったから。
支度を終え、私は、リリアの手を取って、白氷城の門の前に立った。
「行きましょう、リリア」
私がその手を引き、城の外へと、最初の一歩を踏み出そうとした、その瞬間。
リリアの足が、ほんの一瞬、ぴたりと、その場に縫い付けられたかのように、止まった。
それは、他者が見れば、気づくことすらないほどの、僅かな、僅かな躊躇。
けれど、彼女の呼吸の一つすら見逃すまいとしてきた私には、その、無意識の抵抗が、はっきりと感じ取れた。
まるで、この場所から離れたくないと、彼女の魂の奥底が、か細い悲鳴を上げているかのように。
すぐに、その抵抗は霧散し、彼女は、また、何もなかったかのように、私の引くままに歩き出した。
私は、そのことに何も言及せず、ただ、前だけを見据える。
北の地で待つという「眠りの蒼苔」が、真実か、あるいは罠か、まだ分からない。
けれど、この旅は、もう、私一人の想いだけで進むものではなくなった。
私は、彼女の、その声なき声を、この胸に抱いて、決死の旅路の、第一歩を踏み出した。
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