第十一話:北を指し示す啓示
リリアの施した封印が、私の負の感情によって揺らぐ。その残酷な事実に、私はただ戦慄した。しかし、目の前で苦しむ老犬バルタザールを見つめ、私は自らを奮い立たせる。嘆いている暇などない。
まず、この子を救わなければ。
私はバルタザールの体にそっと手をかざし、漏れ出してしまった自らのマナを、細心の注意を払いながら制御し、浄化していく。それは、暴走する奔流を、一滴の雫に戻すような、あまりにも繊細な作業だった。幸い、漏れ出た力は微量だったため、バルタザールはしばらくして穏やかな寝息を立て始めた。
安堵の息をつくと同時に、私は決意を固めた。
リリアを救うための方法と、この私自身の心を律する方法。その両方を見つけ出さなければ、未来はない。
答えはどこにある?
私は、父が遺した「開かずの書斎」に、何かに憑かれたように籠った。けれど、そこに答えはなかった。どの書物を開いても、記されているのは既知の理論ばかり。父の思い出が、今はただ、私の無力さを際立たせるだけだった。
八方塞がりだった。リリアを想う心が、リリアを苦しめるという、この救いのない矛盾。
私が絶望に沈めば、封印は揺らぐ。けれど、この状況で、どうすれば心を平穏に保てるというのか。
不意に、何の脈絡もなく、一つの言葉が、脳裏に、まるで啓示のように、鮮やかに閃いたのだ。
『眠りの蒼苔』
聞いたこともない、薬草の名。
けれど、その言葉は、不思議なほどの確信と、懐かしささえ伴って、私の心に響いた。
それは、まるで誰かが、私の耳元で囁いたかのようだった。
(北だ…)
なぜかは分からない。だが、その苔が、極北の地に自生するものであると、私は「知っていた」。
そして、その苔こそが、リリアの魂の消耗を癒せる、唯一の希望なのだと。
北――その言葉は、もう一つの重大な事実を呼び覚ます。
間もなく訪れる「大潮期」。世界の霊脈が荒れ狂い、あらゆるマナが乱れる、数十年に一度の災厄の季節。そして、その影響が最も色濃く現れるのが、魔女たちが住まうという、あの寒冷北州なのだ。
それは、書物の中に見つけた、安全な道ではない。あまりにも不確かで、危険に満ちた、一筋の蜘蛛の糸。
私の理性が囁く、これは、何かの「罠」だと。
しかし、道が、示されてしまった。道が、リリアを救う道が示された以上、私の心は最早止められない。
大潮期が、本格的に始まる前に。
私は、リリアを救うための薬草を、そして、あるいは、この私自身の心を律する方法を求め、北へ渡ることを決意した。
それは、リリアの未来を賭けた、決死の旅の始まりだった。
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