第118話:異世界の物価高—財布が泣く街で聞いてみた
朝、王都マーリアの中央市場は、いつもなら香辛料と焼きたてパンの香りで満ちている——はずだった。
だが今日は違う。香りより先に、値札の数字が鼻っ柱を折ってくる。桁が増えてる。物価が……跳ねてる。
「タケシさん、ほら見てください!“本日の特価:ドラゴン卵 1個=銀貨3枚”って——え、先週は銀貨1枚だったのに!」
ミリーが目を丸くして看板を指す。看板は魔晶板でできていて、数字がぴこぴこ動く。嫌な最新技術である。
「うわ、動的値付け魔晶板かよ……。市場の気分で値段が上下するやつだ。いや上下というか、上にしか行ってないけど!」
俺はカメラを回しつつ、自分の財布(中身は主にレシート)を無意識に庇った。
今日のテーマは「異世界の物価高に悲鳴を上げる市民の声」。
笑いを忘れず、でも実感のある取材を——それが異世界チャンネルの流儀である。胃はキリキリしているが。
◇◇◇
まずは市場の入り口、パン屋「麦と月」を営む女主人・ラウラさんに直撃。
彼女は腕組みしながら、膨らまないパン生地を見ていた。
「小麦の仕入れがね、春から倍。風の道(主要街道)に“渇きのサラマンダー”が出たとかで、キャラバン保険も上がってるのよ。ついでに魔導燃料税が上がって、粉挽き車の回転数を落としたら、ほら、この通り。」
彼女が示すパンは可愛い。可愛いけど……小さい。
「しっ……縮んでる?」
「“ふわっとお得サイズ”って書いとけば怒られないと思ってたけど、常連に“中身どこ行ったの政策”って言われちゃってね」
シュリンクフレーション、異世界でも健在である。
「値上げか量減らしか、悩ましいですね」
「うちは“朝一限定・焼き立て端っこ無料”で誠意を見せてるけど、それも粉が切れたらおしまい。ねえ、視聴者さんに伝えて。パン屋は悪くないって」
ミリーがコクコク頷く。「ラウラさん、粉の仕入れ先を分散したり、近場の農家と契約とかは?」
「やってるやってる。けど今年は空の鯨に麦畑を半分食べられてね。あれは“空腹なら空を食べろ”って言いたいわよ」
◇◇◇
続いては、ポーション屋「雫薬房」の青年・アスハ君。
店の棚には“薄めて使う用”という札が目立つ。嫌な未来が見える。
「ポーションの主原料“清涙草”が大不作なんです。春先の霜、夏の魔力偏差、あと採集ギルドの最低報酬改定も効いてて……」
「最低報酬が上がると、材料の仕入れ価格も上がる、と」
「はい。でも採集者さんの生活も守らないといけないから難しい。で、僕らは“薄め方講座”を始めました。飲み方工夫で体感を落とさないやつ。
例えば——“火傷ポーションは3倍希釈+冷水”とか。心理的満足感が上がるように色味を調整して……」
「色味?」
「ええ、効いてる感は大事なんです。食紅——じゃない、薬草紅をほんの少し。法律の範囲でね!」
ミリーが小声。「見た目大事……勉強になる……」
「それと、空瓶の回収率を上げるために“映える瓶”に変えました。飾れるやつ。回収→再充填でコスト削減。みんな写真撮ってくれます」
「マーケすごいな!バズるのもインフレ対策になる世界、メモしておこう」
◇◇◇
雑貨屋の前では、荷運びゴーレムに縄をかける屈強な運送屋・ヨークさん。額の汗が物価。
「燃料(魔力石)が高ぇ。前は1箱銀貨2枚、今は4枚。そのくせ、街道の通行税もこっそり上がってる。
だから共同配送(ギルド便の共同割)を始めた。隣の店と相乗りで、ついでに“買い物預かり便”もやって、空帰りを減らす。動かす回数を減らせば、なんとかなる」
「協同化で効率アップですね」
「あと、客の“欲しい日に必ず届く”を“欲しい週にだいたい届く”に変えた」
「だいたい……」
「正直に言う。完璧は高くつく。無理は事故を呼ぶ。俺は安全第一だ」
その言葉には刺し身のような誠実さがあった。生でうまい。
◇◇◇
市場の片隅、“一杯のスープ亭”。昼前だが満席。
カウンターに座る女性・サラさんは、幼い娘の手を握っていた。
「肉は買えない日が増えた。でも、骨と野菜の端で出汁は出るでしょ?亭主(店主)さんが“子連れ割スープ”をやってくれて助かってるの。
私?糸巻きの内職。単価は上がらないのに、糸は高くて、ね」
ミリーがそっと聞く。「お家では、どう節約を?」
「灯りは“蛍瓶”。娘の寝顔、蛍の光で見ると案外きれいなのよ。
服は“おさがり交換会”。サイズが合わない分は、妖精さんが裾上げ教えてくれて」
ミリー「任せてください!」
サラさんは笑って、それでも目の下のクマは消えない。「ねえ、タケシさん。笑える話にしてくれていい。だけど、“工夫で楽しい節約”なんて言葉で終わりにはしないで。
私たち、もう十分工夫したの。次は、仕組みの番だと思う」
カメラのファインダー越しに、その言葉が胸に刺さった。
“楽しくすれば乗り切れる”は、楽しい側が言うことだ。忘れないよう、記者魂に付箋を貼る。
◇◇◇
ギルド会館の掲示板には「臨時手当」「燃料補助」「新人採集者講座 無料」の張り紙。
経済担当官(といっても肩書は“帳面の賢者”)のメレブ氏に話を聞く。
「物価高の原因?一つじゃありません。
一、魔物災害(供給ショック)。サラマンダー、空鯨、街道閉塞。
二、燃料高(マナ石の産出減)。
三、期待インフレ。“明日もっと高くなる”と思えば、商人は在庫を抱え、買い手は今買う。価格は上がる。
四、為替。隣国の“陽金貨”が強く、自国銀貨が売られ……輸入品が高くなる」
「対策は?」
「短期は“動線の再確保”。護衛隊増派、臨時解放税の減免。燃料は緊急備蓄を放出。
中期は“競争と協同の両輪”。小規模商人の共同仕入れクラン創設支援、価格の見える化。
長期は“稼ぐ力”。付加価値の高い品を外に売る。……と言っても、今困っている人には長期の話は苦い」
「じゃあ今すぐできる“効くやつ”を、視聴者に三つください」
「一、共同購入と備蓄のマナー。“必要な分だけ先に確保”。買い占めは結局自分の首を絞める。
二、労賃の下支え。ギルド経由の仕事には“最低金額表示水晶”を義務付けた。
三、価格ラベルの正直。内容量・原価・値上げ理由を公開させる。怒りは情報の不在から生まれる」
メレブ氏は帳面をトン、と叩いた。「そして、笑いは失わないこと。絶望はコストだ」
「名言コストゼロ!」
◇◇◇
裏通りの屋台街。
“おもちゃ修理屋”の老人・グスタフ爺は、壊れた木馬を直しながら言う。
「新しいのは買えん。だから直す。
直すと、持ち主は直した分だけ大事にする。物価の高い時代には“愛着”が通貨になるのさ」
「愛着通貨、価値が高い……」
「おぬし、ええこと言うた風の顔するが、ただのオウム返しじゃな。取材人、腹は減っとらんか?」
「減ってます」
木馬の腹に仕込んだ引き出しから、爺が焼き栗をくれた。
「これ、いくらです?」
「昔話で払え。景気は気から、気は語りからじゃ」
語りで払える経済、素敵だ。残高ゼロでも笑顔は残る。
◇◇◇
中央広場では、学生たちの“インフレかるた大会”。
《あ:明日買う より今買う? いや待って》《い:いま値札 見るたび伸びる 俺の眉》《う:薄めても 旨みは残るはず ポーション》
字余りが多いのはインフレのせいだろう。たぶん。
「授業でやってるの?」
「はい、家庭経済の時間に。先生が“数字を笑い飛ばせるうちは負けじゃない”って」
「いい先生だな。将来の夢は?」
「物価に負けない給料をもらうことです!」
現実的で泣いた。いや笑って泣いた。
◇◇◇
夕刻、俺たちは“通りの価格見張り隊”に同行した。
隊長は肝っ玉母ちゃん・ルシアさん。腰には帳面、背に赤ん坊。
「やり方は簡単。“昨日より高い”があれば店主に理由を聞き、納得できれば店先に“理由札”をぶら下げてもらう。
“輸送費+10%”“原料不足+15%”“今朝の気分+50%”みたいにね」
「“今朝の気分”はダメなやつ!」
「そう、それは“やり直し”。理由は店の盾にもなる。客も怒り先を見失わない。
あとは“今週の庶民代表メニュー”を店ごとに一品決めてもらう。赤字覚悟の均一価格で。
その代わり見張り隊は、その店を全力で宣伝する。相互扶助よ」
「持ちつ持たれつ、ですね」
「そう。物価高は敵だけど、隣人は敵じゃない」
ルシアさんは俺の肩をポン、と叩いた。「あんたら、面白おかしく撮るのは得意だろ?
なら“誰が悪い”で止めずに、“一緒に乗り越える段取り”まで映しておくれ」
はい。映します。編集で削りません。約束する。
◇◇◇
夜。市場の明かりは落ち、人々の食卓には工夫が並ぶ。
“端材の王様スープ”“見切り果実の宝石ゼリー”“昨日のパンのフレンチ……じゃないフェンリルトースト”(名前が強い)。
笑って、分け合って、なんとか今日を跨ぐ。そういう夜の匂いがした。
取材の締めに、俺は噴水前でカメラに向き直る。
背後では、子どもたちが“蛍瓶”を揺らして走り回っている。光は小さいけれど、確かだ。
「視聴者のみなさん。今日は“異世界の物価高”を、市民の台所の目線で歩きました。
原因は複雑、対策は一つじゃない。だけど手はある。
——共同で仕入れる。運ぶ回数を減らす。“理由札”で納得を増やす。
空瓶を返し、直せる物は直し、情報はオープンに。
“完璧は高い、正直は安い”。今日、僕が学んだ真理です」
ミリーが肩で小さく拳を作る。「それと、“笑いは無料”!」
「無料で高付加価値!」
俺は少しだけ声を落とす。「画面の向こうで、やれることを考えているあなたへ。
あなたの“工夫”は、きっと誰かの“明日”の助けになります。
物価は上がる。だからこそ、心は下げない。——そういう話を、僕らはこれからも取りに行きます」
「異世界チャンネル、次回予告っ!」とミリー。
「“値上げに負けない鍋一つ一週間チャレンジ”。……いや、それは地上波でやれ」
「じゃあ“お得すぎて怒られた屋台”特集!」
「怒られるの前提やめなさい!」
笑い声がこだまする。蛍瓶の光がふわりと舞い上がり、夜空で星に紛れた。
値札は明日もきっと上を向く。でも——顔も上げていける。
そんな風に思える、王都の夜だった。