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反転する死者の界1

 夕暮れの光が世界をオレンジ色に染める中、音読の終わった本を杖を振って書棚に戻す。

 図書館内の夥しい数の蔵書が一斉に話していた。

 魔法によって自らに書かれた内容を音に変換しているのだ。酷い騒音の中で佇むリートはその全てを聴いて覚えていた。

 持ち運べる荷物に限りがある白鯨の妖精は、一度見聞きした物を正確に覚え口伝で引き継ぐ。妖精の中でも人属に近い変わった特徴と習性を持つ。

 これまでやらなかったのは余る時間を潰すためであり、脳を疲れさせないためだった。けれど事情が変わり、早急に人界の性質を理解する必要が出た。

 最後の一冊が書棚に戻ると窓を大きく開ける。

 人界は禁足地を許しているが普遍界には違いない。負担だろうにフクロウは受け入れ続けている。可笑しなジョーカーだ。何か目的があるのだろうか。

 空が紫色に染まる夜が来て、白んで朝が来る。

 鳥がようやく起き出す時間にクルスから連絡が来た。

 彼は画面の中で目をそらしながらもごもごと頼み事をする。

『あのさ、悪いんだけど手伝って欲しいことがあって。む、無理ならいいんだけど! い、忙しくなかったら……人を探してるんだけど見つからないんだ。そこから探せない?』

 視線で問いかければ体を横にずらし、ディスプレイ越しにも異様な有様が伝わってくる。産毛が立つような感覚は脅異界のそれと一緒だ。

『実は今容疑者になってて……誓って犯罪を犯してない。いつものことだよ。本当に。ちゃんと無罪になる。僕は犯罪者じゃない』

「どういうこと」

『ニュース見てないの? ……とある店主がここに居て、原因が僕だから自分で何とかしろって、そういう話』

 青い顔で震えるクルスは、リートの表情が険しくなるにつれて言葉が尻つぼみになる。何か言う度に相手の反応が気になって、息が詰まって頭が空回る。何度も突き放されたことのある子供の姿だった。

 冷たくされるのが怖いのに、どうしようもなくて声をかけたのだろう。勇気が必要だったはずだ。

『必要なら対価を払っても――』

「クルス君」

 思った以上に固い声音になった。

 顎に皺を寄せたクルスは顔を避けてうっすらと瞳に涙の膜を張る。拒絶されるのを覚悟して、心臓が引き裂かれそうなほど緊張している。

「助けてほしいときに取引をしてはいけない」

 噛んで含めるような言葉に首を竦めるように頷くのを見て、リートは浅く息を吸う。異常なほど汗を流して、誰が見ても何かを我慢している。

「悪い大人はいつだって足下を掬いたがる。妖精は君みたいな不幸な子供が大好きで、祝福を与えたがる。願いが純粋で幼気であるほど抵抗できなくなる! でも私は取引しない、君も持ちかけないで。言葉は一つでいいの、願って。心からの思いがあれば君の運命と手を繋ぐ」

「助けて」

 滑り出した言葉はクルス自身でも驚くほど素直だった。

 瞬きの間にクスルからほんの一メートル離れた場所に白い蛍火がふわりと現れる。蒼く変色しながら小さな輪ができれば、果たして魔法使いは出現する。

 一回転すれば裾が蕾のようにしぼみ、波のように揺蕩いながら戻る。

 差し出された手に迷わず重ねたのは、振り払われないと知っているからだ。クルスの体から出ていた灰色の呪いも異界の影響も火花のようにはじけ飛ぶ。

「付いてきて。ここよりマシな場所で話を聞くから」

 弾いたコインを掴み直して、冷たい手をあわせた二人は歩き出す。


 リートは珍しく焦燥感に駆られていた。

 ずっと何かが見ている。無数の視線なのに束ねて一つになったような、気味の悪い観察眼だった。

 見渡す限り沼が広がっている。縁に丸い石が大量に積みあげられている様子は、波の花のよう。草地は少なく腐った水の匂いが鼻に付く。枯れ始めの木々に淀んだ空。先ほどから肌がビリビリと痺れたように傷む。

 明日、天気になりますように。

 そんな歌がどこからともなく聞こえてくる。

「手を離さないで」

 言われるまでもなくクルスは痛いほど手を握っている。

 指を絡めるように握り直すと内臓を摘ままれたような声を出す。窺うと視線が明後日の方へ向いていた。

「痛かった?」

「痛くない」

 訝しく思いながらも視線を戻す。

 遠目に白っぽい何かが見える。人のようだった。陶器のようにツルリとした肌に古びた服装をしている。少なくともオウル諸島の住民ではなさそうだ。

 沼からかなり離れた場所で二人は休憩を取ることにした。

 浮遊しながら付いてくる端末はずっとテキストを吐き続けていて、リートの出現と異界の情報、クルスを煽る投稿ばかり流れる。

 それらを無視して列んで座ると小さく息をつく。

「ごめん」

「気にしないでよ。それで容疑者がどうのって言ってたけど何があったの。いつものことって?」

「ぼ、僕らが会ったときのこと、覚えてる……? ほら、ゴミクズみたいな獣人属いたでしょ。あいつは魔鉄鋼の加工を請け負う業者だったわけ」

「口が悪い……」

 中年の獣人属を思い出す。嫌いな人に対する口の悪さが天元突破してるなと思いながら続きを待った。

 彼が俯きながら語った話はこうだった。

 ここは『反転する死者の界』という異界で、そこに件の店主がいると発覚した。

 クルスは魔鉄鋼という魔力がふんだんに含まれた特殊な金属の加工を店主に頼んでいた。リートと出会った日は催促に行っていたと言う。

 魔鉄鋼は加工の難しい鉱物だ。鉄が苦手な妖精も素手で触れられる特殊な物質で、肉体を持たない幻想属(ファンタズマ)も変わらない。

 半年前から発注していたにも関わらず、店主はのらくらとするばかりで埒が空かない。注文を取りやめにするので魔鉄鋼を返せと詰め寄れば、クルスの体質を指摘して襲われると騒ぎ出す。

 騙されたのだと気づいたクルスは怒りを抑えることができず、あの騒ぎとなった。

 訴える手続きを終えて裁判を待つ彼の元に、件の店主が『反転する死者の界』に飲み込まれたと知らせが入った。

 店に入り口が開いており、警察はクルスを容疑者と断定し通告を出した。罪状を晴らしたいなら突入し、調査をしろと。

「禁足地の入り口は何かの方法で出現させたり移動できるものなの?」

「少なくとも僕は知らない。そういう論文はあるけど成功した話はない。あいつらは異界案件が出ると、こじつけてでも押しつけるんだ。そうしなきゃ自分たちが行かなきゃいけないから……」

 火の粉を恐れて、誰も捜査はしない。クルス・スピレトスが容疑者となりましたと速報が流れても、ヒブリダ区の住民はまたかと気にもとめない。他区からの応援なんてもっと来ない。

 苦い思いが広がる胸を掻きむしって取り出せたら、どれほどいいだろう。

 こんな事は日常茶飯事で、雄弁に語る表情に暗い影が浮かぶ。

 今日の視聴者は娯楽も兼ねて容疑者を監視している。

 古代文明では獣と人を戦わせて民衆を楽しませていたが、現代ではホラーハウスに子供を投げ込んで民衆を楽しませるらしい。

 脅威界と同じ影響があるにも関わらず、最低限の感染経路遮断を行い配信している。ときおり貫通して死亡者や大事になるが、自己責任の名の下に批判を避けている。

 クルスは全員苦しんで死んでくれないかなと軽く思うくらいに荒んでいる。

 だから今日も一人で異界凸をして、クソみたいな人間性の視聴者を相手にし、夜遅く帰って寝るのだと思っていた。

 けれど『反転する死者の界』は事前情報と違う事象が重なり、出口を見失った。当然店主も見つからない。

 本来ならあるはずの道と奇妙な住民も見当たらない。沼に近づいても嫌な気配がするだけで話しかけてくる者もいなかった。

「引っ越しはしないの。困っていても見て見ぬ振りをして誰も助けてくれないでしょう。お兄さんだって付いてきてくれない」

「兄さんを悪く言うな。来られないだけで、いつも心配してくれてる!」

 カッと頭に血がのぼり、クルスは唇を噛みしめる。

「お兄さんのところへ帰りたいの」

「そうだよ。なんだよ、何を言いたいわけ。僕が放り出されて独りぼっちで家で迎えてくれる家族もいない可哀想なやつだと言いたいわけ!?」

「君の意志をこの世界に聞かせたかった。横を見てごらん」

 先ほどまで無かった獣道が見える。その先には腐って溶けかけの植物が半分以上沼に埋まっていた。クルスが立っていた辺りだ。

 はっと体を見下ろすと、肩の辺りまで泥で汚れていた。乾き始めた土のせいでかぶれたような痒みと不快感を覚える。気づいた視聴者のテキストが高速で流れていく。

 リート自身も泥にまみれた体を見下ろして、深く息を吐いた。

「沼に浸かってて驚いたよ。しかも気づいてないから、どうしようかと思った」

「僕の耐性は高かったはずなのに……長くいすぎたのか」

 それ以外ないだろう。他にあるとすれば認識阻害だ。この手のものはタチが悪い。指摘すれば術中にはまることもあり、クルスはリートに触っても直らなかった。変質ではなく魔法の類いだろう。

「帰る場所がなければ招くのが特徴みたい。君が話に乗ってくれてよかったよ」

 そんな話は情報にないとクルスは内心困惑する。リートが嘘を言ってるようには見えないが。

「ここの危険度低いんだが」

「条件が揃ったからだよ」

 流れるテキストを突くように指差して続ける。

「彼ら、意地の悪いことばかり書いたんでしょう。だから帰さなくてもいいと判断して迷わせた。もう少し進んでいたら沈んでた」

「顔が怖かったの、これのせいだったわけ?」

「そうだよ、肝が冷えた」

 指を絡めるように強く握ったのは泥で手が滑ったからだ。場所を移動したのは手招く者に近かったから。沼から出て落ち着いた場所で話をする必要があった。

「『ベリデ墓地』から帰ったあと禁足地について調べてみたのだけど、条件が整えば崩壊するんだよ。『灯籠街』の話は聞いた?」

「ああうん、ニュースになってたから。崩壊したんだっけ」

「あれで確定した。異界と別物だった」

「まさかリート氏が崩したわけ」

 肯定を示すと驚きの声を上げて「うわあ……」と溜息をついた。

「IMTPに目を付けられたら面倒くさいでしょ。黙っといたほうがよかったんじゃないの」

 登録したことを告げると物好きだと半目になった。

「脆く構築された空間で、ルールを設けて内部を強化してた」

 つまり解き方が二つあった。

 一つは空間が絶えきれないほどの破壊活動を行うこと。これは禁足地化の原因となった事象の破壊でもいい。

 二つ目は構築した世界をほどくこと。禁足地化を取り除けば戻る。これは事象の破壊と違いゾンビは死体に、化け物は元の姿へ、全ての呪いが消えさる。全てフクロウの構築した人界そのものへ戻されるのだ。

 破壊的に禁足地を消せばしこりが残る。原因が消失しているため固定され、残りカスがどの程度で影響が抜けるのか皆目見当もつかない。これは由々しき事態だ。何百年も禁足地を内包する事も問題だが、残りカスがジョーカーにどのような影響を及ぼすか判明していない。

 人界は普遍界だから特に気をつける必要がある。もし脅異界であれば内包したものへの感染で本来の形へ戻せるのだ。

「調べる方法はないの? 君の占いとか、そういうのは?」

「コインじゃ無理だよ。専用のカードがあれば話は別だけど……ここに来る前に渡してしまったから作るしかない。硝子に、鉱物に、宝石に、魔法植物を集める必要がある。カードのことは置いといて、この後どうするの。君の影響は解けたからもう出られる。店主君を探すなら案内するけど」

「場所知ってるんだ……」

「合流したときコイン弾いたでしょ」

 助けたくないと反射的に思った。相手は嫌な奴だ。クルスを騙して魔鉄鋼を盗んだ。悪党だし滅んでほしいし、一生すれ違わない人生を送りたい。

 だが探さなければ再度投入されるだけだ。

 答えを待っているリートは遠くを眺めていた。泥にまみれた服はクルスよりも重そうに見える。

 助けを求めたとき、唯一浮かんだ魔法使いの姿。自分の異常な状況に取引をしないと言い切った姿。

 二度目も同じようにするわけにはいかない。

 これは情けなくともちっぽけなクルスの自尊心の話だ。

「連れてって」

 心から嫌だと言う溜息を止めずに探す選択肢を選ぶ。


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