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禁足地と灯籠街

 人界を去るまで三年以上ある。

 短いと思っていたが思うより長いのかもしれない。

 予感は変わり始めた気温、長くなる日差しに友人と呼べる者ができたからだ。

 お茶の妖精も精霊も無作法な呪いの気配が去った学校を住処とすべく、実に平和的にやってくる。

 クルスは学内の変化に戸惑っているが嫌そうではなかった。珍しそうに観察している。

「小さい子を見るのは初めて?」

「召喚の授業で見たことあるけど、僕は下手だから一度も呼び出せたことがないんだ。間近見たのは初めて。妖精は……好きじゃないけど」

「好きじゃない」

 驚いて顔を向けると戸惑ったように視線を逸らした。

「な、なんだよ。いいだろ別に……あいつらだって僕が嫌いなんだ」

「自分を嫌ってる人なら悪く言っていいなんてことはないよ。それに妖精を一括りにしないで。性質も考えもそれぞれ違うんだから。君ら人属だってそうでしょう。誰もが自分の道を行く」

「人なんてクソみたいなもんでしょ。あいつらだって半端ものはゴミみたいに扱う」

「違うよ、君がどうしたいかという話なの。ねえクルス君、自分の望みと違う生き方をすると心が病気になっちゃうよ。そうしたら怪我のように治すことはできない。心にメスは入らないって族長が言ってた。君の見てるものは脳内の虚構で現実じゃない。君を好きな妖精はいるし、決めつけて他人を苦しめたら世界が狭まってしまう。そうしたら苦しくなるのは君自身だ。疲れるし、もう嫌だと思い続ける。囚われて前に進めない。そしてまた苦しくて出口が見えなくなる。螺線の底へ自らを手招いて閉じ込める行為だ。隣にある出口に気づかないまま彷徨うのは旅ではない」

「時々哲学者みたいなこと言うし……説教はパス!」

 むすっとした顔は迫力があり、口を噤む。

 すると罰の悪そうな顔をしたクルスは小さく口を尖らせる。彼にとって妖精は嫌なものなのだ。その考えを否定されたくないと顔に書いてある。

 クルスはリートを妖精だと気づいてないのではないか。

 ふと思い立った考えはきっと真実だ。自分が妖精だと言うか迷った。言わないのは騙すようなものではと考える。

 けれど告げる前にクルスの端末が鳴る。呼び出しにもっと嫌そうな顔で図書室を出ていく。

 人界の禁足地発生率は多く、それは人の心が惑っているからかもしれない。少し調べただけでも人の行き違いが殆どだ。心が病んで、追い詰められた結果禁足地が生まれる。悪循環だ。

 なぜこの形になってしまったのか。

 コインを弾けば判ることを調べずに静かにクルスの背中を見送った。

 フォルターから依頼があったのは数日後の昼だった。


「禁足地調査のえーじぇんと登録?」

「エージェント。代理人ッスよ。ようは区に降られる問題を変わりに片付けてくださいって依頼スね。アンタ耐性高いんでヤバイのバンバンふられるッスよ。登録するなら考えてからのほうがよさそう」

 怪しげな発音に注釈を入れたフォルターは封書を作業台へ置く。国際魔導教戒――IMTPからの通知だ。

 これには雇いたいという旨と雇用条件などが記載されていた。リートには条件の善し悪しが判らない。

「これクルス君がやってたやつだよね」

「あいつは強制ッスよ。ここは無戸籍の住民に拒否権ないんス。でも学校は公休。さすがにそこは調整しないと公正な評価にならないっしょ」

「私は戸籍があるから断れる?」

「そうそう。逆に言えばIMTPはアンタに戸籍があることを知ったんス。これけっこうヤバイの自覚してまス?」

 視線で促せば「オウル諸島の選挙権をアンタは有している。これは住民権だけの奴には与えられない」つまり政に口を出せると言うことだ。

「余所から来た私に権利があるの?」

「フクロウの選んだ招待客を持て成すのは全て中央の役人の役目ッス。その方法はフクロウの意思に則り決められるんすけど、まあおおざっぱ。細々したルールは俺らが担当。その部分の是非をお客様に委ねるんスよ~。てことでどうしましょう?」

「暇だし、気になる依頼なら受けようかな。ちょうど欲しいものもあったし」

 リートの関心は封書の紙質がいいことだった。魔法インクと交換した紙もなかなかだがさわり心地が何だか高級。ツルツルとしていて蝋封以外に貼られた薄いノリも気になった。聞けば薄く加工されているというので関心してしまう。文房具も色々あるのだなと。

「んじゃ決まりってことで頼みましたよ~!」

 満面の笑みで帰っていくフォルターと入れ替わりで一人の男性が入ってくる。

「お待たせ、じゃあ行こう」

 男は泥でできた体を引きずりながら粘った手を差し出す。握ることはできない。男が吹き飛び願いが叶わなくなるからだ。

 封書を差し出し、男は紙に触れた。

 触れて、世界が変わる。


 産毛を逆撫でるような痛みは脅威界の特徴だ。

 けれどこれは人界に内包された禁足地だという。この現象は人界の特徴らしいがと一抹の不安を覚える。このような場所は年々増えていると聞いた。ではいずれ人界は禁足地に埋め尽くされるのではないだろうか。そのときフクロウはどのような判断を下すのだろう。

 そもそも異界の核たるジョーカーが何を考えるのか。

 今回IMTPから依頼されたのは『灯籠街』という比較的安定した禁足地の調査だった。

 リートが泥の男と共にやってきたこの場所だ。

 永遠の夜の下で赤とオレンジ色の光が灯籠から漏れている。等間隔に並べられた灯りの間にぼんやりと祭りの屋台と出店が見えた。商店街だ。

 店特有の出店から色とりどりの薫りが漂う。売り物は全て香水で、店番も男と同じ泥人形のような死者である。

 彼らは襲ってくることもなく街を徘徊する。生前と同じか、死んだことにも気づいていない彼らは夢見るように穏やかな暮らしを送る。そう、彼らには理性がある。

 男が尋ねてきたのは四日前。

 植物図鑑と睨めっこしながらインク開発に勤しんでいたところに現れて、手を貸してほしいと懇願した『灯籠街』の住民だ。

 オウル諸島から遙か遠くの東の街で、どこから聞きつけたのか空間を抜け尋ねてきたのだ。他の者に見つかれば襲われるだろうに。

 よっぽどだとコインを弾いたリートは、男へ四日後の今日店へ来るよう告げた。そのほうが上手くいくと。

 IMTPからの手紙は実際上手く働いた。

 手を取ればリートは男を傷つけただろうが、手紙越しの接触で上手く潜り込むことができた。誰かからの依頼は望みを象ったものの一つである。媒介があればリートは触れずに繋がることができた。

 男の体からボタボタと落ちる泥は石畳に染みて消えた。子供の作った出来の悪い泥人形が服を来て歩いているような有様だが、顔に入った切れ込みは口として機能しているし、目はないが視界もあるようだ。

 ここですと男は飴の薫りを売る店へ入り、店主に断って箱階段を上がる。木造の店は迷路のようで、奥まった部屋へ付く頃には方向感覚がなくなる。

 ふすまを引いて眠る娘に声をかけた男が振り返る。

 娘ですと膝をついて額を撫でた。泥が額に付着して布団の上へ落ち、吸収されていく。

 男の娘は十代後半。青ざめた顔の所々に泥が浮いている。

 この『灯籠街』で人の顔を保っているのは生きている証だった。泥が浮いているのは死にかけの証。脅威界の影響で限界が来たのだろう。

 男はかすれた声で囁くように続けた。

「この子が六つの頃に母親が他界し、以来男で一つで育ててきました。しかし街がこのようになり、外では二十年の時が過ぎました」

 しかし娘は二十過ぎには見えない。

「街と外とで時の流れが違うと気づいたとき、悩みました。街には私も知り合いもおりますが、外には寄る辺もなく。大人になるまでここで育てたほうがよいのではないかと。今では起き上がれぬほどとなり、後悔をしました。どうか、どうか、この子を楽にしてやってはもらえませんか。貴方様は脅威界の影響を払えると聞きました」

 しばらく娘の寝顔を見つめた。苦しいのか汗が浮いて流れていく。そっと頬へ触れると手の平が熱くなった。体の芯まで染みていた影響が剥がれ落ちていく。

 突然横を向いた娘は喉を膨らませ大量の泥を吐いた。

 半身を起こさせ背を擦ってやれば、体より多い泥を吐いてようやく納まる。そしてリートを見て、この人は誰だと言う顔をする。

 男が事情を説明すると、父親共々深く頭を下げた。

「同じ時が過ぎれば同じようになるよ。でも次の約束はできない」

「なぜでございましょう」

「私が人界にいるのは四年だけだから。体が動く内に決めたほうがいい」

「街をぐるりと回ってはもらえませんか。その間に支度をさせます」

「……。急がなくても明日君の娘が死ぬわけじゃないよ」

「この子は外に寄る辺がありません。せめて見知った者と連れ立っていればと。あなたも私がそう考えると知って待てと仰った。違いますか」

 無言で立ち上がるリートを親子は見送った。

 街を見回って薫りを買って戻ると、荷物をまとめた娘と男が待っていた。

 街は娘が生きられる場所ではなかった。

「出口はあちらです」

 別れの挨拶を済ませた親子の後ろに、男の仲間達が立っていた。誰もが静かに見送っていた。

 二人は手を取り合い鳥居の狭間をくぐった。

 世界が変わり、二人は中央区の建物の前に立っていた。

 頭の後ろで「達者で」涙声が波紋のように広がった。鳥居の泥が乾き、罅が入って崩れていく。元の姿へ戻っているのだ。

 娘は大粒の涙を零しながらさようならを告げた。

 『灯籠街』は父親が娘を思う気持ちで作り上げられていた。その娘がいなくなれば存在する理由がない。文字通り今生の別れだ。

 たった今、人界から一つの禁足地が消えたのだ。

 人界はなぜ変質するのだろう。


 娘は大人しく隣を歩く。売られる子供のように俯いていた。

「落ち着いたらお父さんに手紙を出せばいいんだよ」

 窺うように顔を覗き込めば娘の目尻からポロリと涙がこぼれる。

「私はずっとあそこで暮らしてきました。皆が死んでからもずっとです。でも外では死人の街だなんだの言われ、恐れられております。街から来たと知られて、まともに暮らせるでしょうか。父はこのことを心配して外へ出すのを嫌がっていたのに」

「これからは君の人生は君が決め、自分で自分を守るんだよ」

 リートはIMTPからの手紙を娘の手に握らせる。

 眼前には中央区の省庁、勤める主管は手を尽くすだろう。

「君が一人で立ち、生きていけるようにお父さんが大事に育てたことも、手助けをしてくれる人が現れることも知ってるよ。不安かもしれない、落ち込むこともこの先きっとある。君の運命は始まったばかりで、けれど終着の地に降り立つとき、その心は私の言葉が正しかったことを理解する。扉の鍵を抜けた者はすべからく、例外なく、怖がることなんて一つもなかったと悟るんだ」

 予言めいた口調に人外特有の傲慢さを滲ませた横顔。前を向く瞳には一点の曇りもなく、世界の真理を語るようにリートは娘に語りかける。

「顔を上げて前を向いて。大丈夫、君の辿り着きたい場所へ歩いているよ。今そう思えなくても」


 娘を無事に送り出したリートは報告もそこそこに店へ戻る。『灯籠街』で買い求めた薫りは綿飴のような形をしていた。

 大きな瓶へ半分ほど入れ、水と鉱石魔力を吸った乾燥植物を入れ煮出して、練り、油を足してよく混ぜた。金青色の粘度の高いインクは千倍に薄めて万年筆のインクになる。その前に寝かせて魔力が馴染むのを待つのだ。そうすると金粉のような色が浮き、不思議な色合いとなる。この加減は少しずつ変わるので一点物となる。

 他にも桃色と杜若色のインクを作ったが、落ち着いた色ができた。

 さて一段落と言う所で靴底が床を叩く音がする。

 顔を上げて目を丸くする。

「やあ、麗しの眠りの精(ソーンウォース)。君の勇気と優しさに感動を伝えると共に、不躾な願いを許していただけるかな」

 気取ったお辞儀をするのは美術商だ。相変わらずの白いスーツが眩しい。

 店主自らやって来たことに驚けばいいのか、来るのが早すぎると言えばいいのか、どこで聞いたのか問うか迷う。

 戸惑っているうちに美術商はペラペラと話し始める。

「素敵なお嬢さんを世話したそうだね。私もパトロンをしているから判るよ。『灯籠街』は貴重な染料を売る素晴らしい場所だった。失われた技術者が人界へ舞い戻ったことは実に喜ばしい。その価値は計り知れず、中央の役人は彼女に最大限の便宜を図るだろう。素晴らしい後ろ盾を手に入れたお嬢さんは安泰さ。我々もいずれその恩恵にあずかるだろう」

「要件は手短にお願いできるかな」

「これは失礼。彼女が染料を作る前に、私は君の作った顔料が欲しくてね。とくに気まぐれな妖精が作った物ならなおのこと」

「ああ、そうなの。これは寝かせると色が変わるタイプで、始めて使った材料だから商品になるかも判らないんだ。申し訳ないけど売れないよ」

「とんでもない! 迷い無い調合を見れば誰しもが感嘆し理解するだろう。その顔料は完成すると」

「ありがとう。言葉を変えるよ。売れないんだ」

 美術商は目を細め、唇を弓のように引き上げた。

「古来から気まぐれな妖精が作ったインクは強い魔法の力を秘めている。それで描いた絵画は生き物のように動き、ときには空間を作り貴族たちの娯楽となった。描かれた不思議の国は幻想的で芸術家が作り込んだ特別な世界。その品は数千年経ってなお現存し、名だたる美術館に保存されている――しかし」

 怪しげな目つきだ。

 一歩進んだ美術商は手袋をした指先で顎先に触れる。

「あまりにも強いインクは王者の杖よりも強力で異界すら創り出せると噂されている。為政者はインクを、そして絵を求めて血で血を洗う争いに発展した例も枚挙に遑がない」

「気まぐれなインクを手にできた幸運な者だけが描ける世界は、平和を遠ざけることがある。これは天変地異より理不尽なことがある。族長は未成熟な人の子に渡してはいけないと言ったんだ」

「ではなぜ今日という日にインクを練ったんだい?」

「何でだろうね」

 リートは瓶から目を離し、天上の穴へ視線を向ける。晴れた空に雲が浮いている。

「なんとなく作りたくなった」

「まさに妖精の気まぐれインク。いずれ私の手に入ることを願っているよ」

 顔料フリークはまるで購入が成功したかのような表情で、工房を後にした。

「本当になんで作っちゃったんだろう」

 足音が消え風のさざめきが草木を揺らす。

 あの娘は今頃たくさんの書類に記入して、主管に言われるがまま仕事を決めるだろう。それが最も彼女に向いていて身を守る術だと知らず。

 彼女の父親は死んでからも娘が守られることを望んでいた。

 願いは叶う。

 白鯨の妖精はそれを知っている。

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