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囁くもの

「お迎えに参上致しました」

「ゲ」

 クルスの嫌そうな顔から視線を逸らすと、セルヴォが片手を胸に当て一礼していた。そうすると本当に執事のようだ。けれど彼は中央区の主管である。

「この辺に男の人いなかった?」

「ええ。不衛生な様子でしたので先に病院へお送り致しましたが、問題ありませんでしょう。行き着く場所は同じなのですから」

「そう……ならいいんだけど。どうもありがとう」

「とんでもございません。お二方の勇士を確と拝見させていただきましたので、これは私からの細やかな贈り物です」

 不思議に思っていると彼は指を鳴らす。すると景色が変わる。移転魔法だ。

 『ベリデ墓地』の端にある森と平原との境目から摩天楼へ移動していた。それもビブリダ区ではない四角い大きな施設の出入り口へ。

「検査を終えたら帰宅なさってください。説明が必要でしたらご案内致しますが」

「いらない」

 黙っていたクルスが舌打ちして手を引いた。引きずられてリートはたたらを踏む。

 クルスは思った以上に軽くてぎょっと振り返った。しかしセルヴォが手を振ったので建物の中に駆け込み扉を閉める。

 白い建物は白い服を着た人ばかりだ。彼ら魔法医は検査に明け暮れている。

「なんであいつが来るんだ。今日で一番嫌な奴を見た」

「知り合いなの?」

「あれは人の形をした鬼、悪霊、人の心を忘れた活字中毒。どうして精神病棟に隔離されないか世界三大ミステリーに数えられてもおかしくないレベル」

 暗い顔でブツブツと言っている。

「クルス君の喋り方ってテキストの人と似てるよね。あの人たちとは友達なの」

「は? 違うけど。なんでそう思ったかは……ああうん、僕はあいつらとばかり喋ってるからうつったんだよ。毎日名前も顔も知らない奴とばかり交流して現実に友達一人いない根暗なクソガキが僕だよ。そんなこと宇宙が始まるより前に判ってる」

「そこまで言ってないのに」

 しかしクルスは聞いていない。

「アーッ! 人生なんてクソ。いったい僕は前世で何を仕出かしたんだ。明日彗星が落ちて世界が滅亡すればいいのに」

「落ちてくるまで二万五千六百日と八時間かかるから君は死んでる」

「この世は地獄……。待って、今星が落ちてくる話した?」

「した」

「なんで言ったの」

「気になるのかと思って。あのさ君が存在しているのは今で、未来でも過去でもないよ。生きてる間に起こらないことを切望して人生を失うくらいなら、今日やりたいことをしようよ」

「……そう。あのさ、僕はいつも病院で検査しないんだ。凄く嫌な奴がいるから。でもセルヴォが僕らのことを見張ってるから逃げられない」

「嫌いな人が多いよね」

「僕が偏屈なクソガキなのもとっくに知ってるんだ、これ以上虐めないで」

 リートは受付まで大人しく付いていった。

 受付のお姉さんは数人居て、どの人も綺麗だった。列の先には淡い桃色のリップと目の下の泣きぼくろが色っぽく、むちむちた体を窮屈そうに制服に入れているお姉さんがいた。前列の男が鼻の下を伸ばしながら電話番号を聞くのに「Fuck」と微笑み返し、受付番号が書かれたカードを渡す。そうして次のスケベ野郎を呼びつけた。人さし指を上に向けてクイッと曲げて。女王のような風格があった。

 初めての空間を見回すより、なぜかハラハラしてして見入ってしまう。

 列は他より長いにもかかわらず一番早く順番が回ってきた。

 再びクイッと指を曲げたお姉さんだが、二人を見て目を光らせた。体のてっぺんから爪先、素肌の表面を丹念に撫でるような視線に鳥肌が立つ。まるで舌でベロベロと舐められるようだ。

 気づけばリートはクルスの後ろへ隠れていた。

「くぁわいい新入りちゃんでしゅね。お姉さんが施設案内しましょうか? あ、これ私の電話番号。お仕事してきたの? 偉かったでちゅねえ」

 でろでろな顔で言われ、あまりの不気味さに幼女のような声を出してしまう。

 クルスは淡々と電話番号の書かれた紙を端へ別けてリートと自分の受付を済ませた。しかし手は震えているし絶対視線を合わせない。そして番号札をむんずと掴み、受付から離れる。

 お姉さんは終始猫なで声で誘い文句を告げていたがクルスは一瞥もくれず、リートはどばどばと汗を流しながら俯いた。

 お姉さんの声が聞こえなくなる場所まで逃げると、背中に突き刺さっていた視線がようやく取れる。ほっと肩の力を抜いた。

「怖い目にあった気がする。『妖精の道』にいるより怖かった気がする」

「あの人、十八歳未満の男子しか興味ないんだよ。どうやって年齢割り出してるか知らんけど、小人でも見抜けるって話。……そ、その、目を合わせなきゃ無害だし」

「合わせたらどうなるの」

「……」

「どうなるの、ねえ。ねえクルス君。何で先に教えてくれなかったの」

 ピッタリくっついて服を引っ張るのは煩わしいが哀れだった。

 病院は金儲けのクズの集合体が居て、他人の思想も自分の持ち物だと勘違いしている輩に支配されているとクルスは知っていた。多くが偏見だが真実でもある。そして、そんなクズに取り入って生き残っているのがあの受付であった。

 二人は待合室の端に並んで座った。身を寄せ合って縮こまる。受付から見えなくするためだった。

「あれが凄く嫌な奴。他の列に並んでも十八歳未満だと他の受付嬢を蹴り倒して変わるから逃げられないんだよ」

 何かの病気だとクルスは信じている。リートは話を最後まで聞かなかったことを深く後悔して謝り、呪いまみれになっているときは手を握ると優しく伝えた。クルスは慰められたような表情をした。

 二人がお喋りをしながら座っていると、順番が来て同じ診察室へ通された。

 しかしここでリートが抵抗を始めた。検査キットを持つ職員から離れるのである。

「あ、あのさ、今から機械当てて瘴気と精神汚染の類を検査をするわけ。で、問題無ければ解散。あったら処置のち解放か入院。ちょっと採血されるけどチクってするだけだから。旧時代みたいに針を腕に刺したりしないし。検査費用もろもろは税金だから、僕らのウォレット残高が減るわけじゃない。オーケー?」

「本当に? 血を多めに抜かれたり髪の毛を採取して呪物に練り込んだりしない?」

「具体的で怖いんだが」

「……実は『ベリデ墓地』で占ったとき貧血って出たけどそんな気配なくて。おかしいなって」

 クルスは検査員を見上げた。真っ白な防護服で顔はわからない。だが何となく焦ったように感じた。

 そしてクルスの背後にいたもう一人の検査員も同僚を見た。何かに気づいたように素早く頭の装備を引っぺがした。そのとたん、怒声をあげる。

「お前また部署抜けやがって!」

「待ってくれ無実だ、私は生き物の神秘を探りたかっただけなんだ! けして煮て食おうなどと考えているわけじゃないのだ。知ってるのかお前、こいつは人界には生息しない種属で、機会を逃せばいつサンプルが手に入るか――!」

「語るに落ちたな確保ー!」

「り、リート氏こっち来て」

 大声に呼び寄せられた警備員が大量に来るので、揉みくちゃにされる前に逃げた。検査室から不審者が消えるまで二人はジッとしていた。

「うわこわ……君、珍しい種属なら先に言ってくれんか。怪物区にいるくらいだから心配しすぎだと思うけど」

「脅異界より人界のほうが怖い気がする」

「やめて、まだ地元に愛着を持ってたいんだ。いい人もいたでしょ」

「クルス君に言われると複雑」

「どういう意味。待って、言わないで何も言わんでいいから」

 話しているうちに二人は今度こそ検査を一緒に受けて帰った。あの怖いお姉さんの視界に入らないよう遠回りをして。

 外に出た瞬間、同時に息を吐く。

 大の男を引きずって体も頭もキシキシしている。

「疲れたね」

「ですな」

 顔を見合わせて、どちらともなくふふと笑う。

「兄さんが心配してるから帰る。道わかる?」

 頷いてリートは姿を消す。

 月は完全に傾いて、それでも街は眠らない。

 まばらな人の間を進みながらクルスの眠たげな目を思い出した。

 始めて家族の話を聞いたし、庇ってくれたときは温かかった。


***


「リート氏、こんなのも知らないの!? 今までどうやって生きてたわけ」

 クルスはもう我慢ならなかった。

 二人は学校で前よりも多く言葉を交わしている。多くはリートが持つ本のことだが、ときおりクルスが持ち込んだ物の話題になる。約束通り自分が作った素材や資料を持ってきたし、楽しそうに話していた。

 話題が粉末になり、植物から乳製品に飛び、粉ミルクになった。リートはその商品を知らなかったので尋ねたところクルスが驚いたのである。

 いや、その前から内心驚いていた。あまりにも無知だったからだ。

 リートは正直に今までの生活を語った。

 瞬きの間にやってくる天変地異。空が地になり海となり酸の雨が降る。焼けただれた大地に危険な植物が根を生やし、生存競争に勝ち残った動物達がそれを食べ、世界がまた揉みくちゃになる。柔軟さが生へ直結する場所だ。

 文明など生まれようもない場所を一族は歩き続けてきた。ときおりイストリア・ホールから別の世界へ行くこともあるが。

 唖然とするクルスへ続ける。

「ときおり迷い込んだ人が来て、元の場所へ戻すのが大変だったかな。異界を経由しないと辿り着けない場所もあって、一族はしょっちゅう別れては合流しての繰り返し。帰ってこない子も多かった。でも元気にやってるならそれでいいと思ってる」

 優しい顔をしている。

 口を噤んで小さく頷いたのは気まずさのようなものを感じたからだ。その感情の根本は判らない。ただ放っておけないという謎の使命感に立ち上がる。自分でもらしくないと思うが手を差し出すと、リートは当たり前のような顔でとった。

 細い指を引いて起き上がるのを助け「ヒブリダ区を案内するよ」と小さく言う。

「君、こっちのこと全然知らないみたいだから、恥かかないようにしたほうがいいのでは。だから、まあ一回見学というか解説? 受けたほうがいいし……ぼ、僕に案内されるのが嫌じゃなければだけど」

「助かるよ。人属がどうやって生きてるかよく判らなかったし」

 喜々として身を乗り出すので仰け反って顔を逸らす。

 二人は連れ立って学校の外へ出た。

「でも今日って学校がある日だよね。クルス君はいいの?」

「公休。……あ、朝から一仕事させられたんだ。……でも病院に行くの嫌だろ。この前は主管がいたから行ったけどさ」

 受付嬢を思い出し二人は顔を青くする。あの魂の表面まで嘗めるような視線は鳥肌が立つ。

 警察にしょっ引かれてもクルスは公休なので大丈夫だが、リートが捕まらないようにと気を使って――これも不要な心配だったのだが――こそこそと周囲を窺う。

 怪物区に学校をサボる子供をしかる大人などいるはずもなく、気をつけなければいけない動植物や住民はリートを見て引っ込む。この小さな生き物がかつて海の竜と言われた白鯨が本性であると気づいているからだ。賢く強い怪物は危険に近づかないのである。

 二人は無事に怪物区を脱出し早足でヒブリダ区へ入った。

 何度見ても発展し尽くした摩天楼は空が小さく見える。今日はキャンペーンの垂れ幕が下がったキャラクターが飛んでいるし、立体映像の広告が飛び交っている。たまに顔面に当たるのが嫌だった。目がちかちかする。

 ヒブリダ区は広告や客引きのルールを明確に決めているので、決められた曜日以外で歩道に広告を出すことを禁止している。リートが入界した日は無かったので、道がもっと雑然とした印象となっていた。

「美術商……は行ったことあるって言ってたか。後はテーマパークとかそんなの」

「何を売ってるとこなの」

「遊んだり騒いだりする空間を提供してる」

「騒いだり……行ってみたい!」

 端末を横から見ていた二人は買ったお菓子を抱えながら観覧車へ向かった。

 大昔から遊園地というのは同じような物ばかりが並ぶのだとクルスは知った風に言うが彼も初めてだった。

 ひとしきり回ったあとよくわからないキャラクターのカチューシャを被って握った風船と共に高台へ登る。ジェットコースターに乗っても何のスリルもなかったが、クルスは怖かったらしく目が淀んだ。それ以外の乗り物はなかなか楽しかった。リートは自分と人属の騒ぐが違うことを知った。

 二人はテーマパークの一番高い場所へやってきた。地平線に広がる海は夕焼けでオレンジ色に染まっている。

「兄さんにもこの景色を見せたいな」

 ぽつりと零した言葉に横をみると、ぼうとした様子で手すりに顎を乗せている。

 見せればいいと告げるのは簡単だけれど、空っぽな目をした少年に向けるのは憚られた。踏み越えていいのか判らない。判らないから自分の端末を取り出してスルスルと絵を描いた。

 何をしているのかと顔を上げたときクルスの目は元に戻っていた。夕焼けの中で絵を描くリートを眺める。

「できた」

 お菓子の紙包みを広げて裏面の白い場所へ端末を重ねるとスルリと通過する。白い面にはリートが書いたそのままの柄があった。

「あげるよ。今日のお礼」

「……ども」

 何か言おうとした口を閉じてそれだけを言う。

 小さな笑みは風景画に向けられていた。

「君、写真とか使わないの。そっちのが楽でしょ」

「その機能は知ってるけど私の端末にはないの」

「嘘でしょ」

 奪い取るように端末を握って調べ、本当に無かったので「嘘でしょ」と唖然とする。

「これ、私の親が作ったの。だから君たちが使ってるような機能はないよ」

「Wi-Fiもネットも繋がらない端末がこの世にあるってわけ。病院か軍事施設のそれか? いや、いいよ答えなくて……君がおかしいのはもう判ってるんだ。そう、僕は動じない男。でも不便でしょ。ニュースも連絡事項も取れないし、災害情報だって」

「まあね。いい加減繋げろって言われてるけど本の順番はまだ先なんだよね」

 プログラム言語の本は工房にあるが手つかずだ。

「しょうがないな、使ってない端末あるから家に来て」

「いいの?」

「どうせ端末のい方も判んないでしょ。ついでに教えるから、は、早く行こ……」

 誰かの家に行くというのはリートの人生でも数えるくらいだった。迷い込んだ他世界の住民を送り届けたり、必要にかられ足を伸ばす以外には。だから特別なことに感じた。

 クルス自身も他人を招くなんて初めてのことだ。断られたら嫌だな、変に思われないといいけどと小さい子供のようにソワソワとした気持ちを抱えながら手を引く。

 気づいたら誘っていたのだ。思い切りの良さは自分でも信じられず、けれど頭の隅で時代遅れの魔法使いを兄に見てほしいと言う気持ちがあった。

 二人は食べかけのお菓子を抱えながらテーマパークから出た。

 まるで一つの街のように大きな屋敷がクルスの暮らす場所だった。立ち並ぶ建物は実験棟や開発施設であり、道路もある。車輪のない車が通り、運転するのはプログラムされたロボットで、中には契約した精霊もいるという。高度に近代化された建物と、古びて朽ちかけの、薪を積みあげたようなログハウスが混じって景観が滅茶苦茶だ。けれどらしい家だ。

 清掃や手入れをする精霊はその場に棲みついている者も多く、リートを見ると親しげに体を揺らしたりニコリと笑う。彼らと話すには頭の中で会話をする必要がある。だからリートに声が聞こえても、他の者に聞こえるとは限らない。 

 族長は街へ行くときは精霊の言葉が聞こえても、聞こえないように振る舞えと言う。精霊を悪用したい者は多く、言葉を交わす者を神聖なものと考える。

 精霊を怒らせれば災いが起こる。けれど馴染むなら、ただのよき隣人だ。妖精とは違う者たちだ。

 クスルは彼らの声が聞こえないようだった。

 だからリートも聞こえないふりをして、後に続いた。

(腐土の王がいるよ。王は冥界で力ある御仁。白鯨の子、空と海の子。王は難儀な方。気をつけなければ王を傷つけてしまうよ)

 大きな玄関は搬入に使うから改装したのだとクルスは言い、人用の出入り口を開けた。大人が三人列んでも通れる広い通路が穴のようにぽっかりと広がった。

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