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妖精の家

「なんですって」

 クロムほどでないにしろ他の面々も面食らっている。フクロウは仕事は終わったとばかりに目を瞑り、表情が変わらないのは薄笑いのセルヴォくらいだ。

「おめでとうございます」

 その言葉にいち早く復活したのはフォルターで、めでたいと拳を振り上げた。

「んじゃ、怪物区のフォアマンよろしくッス!」

「しないよ」

 すげなく断ると「速いッスよぉ……」と残念そうに肩を落とす。

「そう……怪物区。ならばアッシパトル様にご報告するまでもない。我らの仲間に入るには不十分ね」

 クロムは不躾に眺めるのを止めると一瞬で消えた。その表情は戸惑っていた。

 ドゥーニーも手を振って去って行く。

「ではフォルター、案内の引き継ぎをお願いします。私は中央区へ報告して参りますので。では新たなるオム・ダフェールのご活躍を期待しております」

「おむ?」

「先輩は住民のことをたまにそう呼ぶんス。気にしなくていいッスよ。アンタも災難ッスね、せっかく招待状をもらって戸籍ができたのに怪物区とは……運がないっつーか。ま、困りごとがあれば言ってくださいッス。怪物区は緑豊かなイイトコではあるんで」

 先輩を見送ったフォルターは溜息交じりだった。

 怪物区へ振り分けられたということは、まともじゃない証明だ。真面目そうに見えるのにと独りごちた。

「やることは山積みッスよ。まずは住む場所探し。怪物区は予算カツカツなんで出せる補助金は一万スフェラまでね。空き家はたんまりあるから好きなとこに住めるでしょうけど。ここに来たってことは働くんスよね。雇われ、個人事業主、研究職。色々あるけど何する感じッスか。つーかこっちの金持ってるんスか」

「いや帰るよ」

「はいはい、まずは質屋か――、は。帰る。まさか元の異界じゃないッスよね!?」

フクロウ(ジヨーカー)の様子を確認してこいと言われて来ただけ。区分けも終わったし帰れるでしょう」

「これ先輩にどやされるんじゃ!? ハァ――!?」

「フォルター君、短い間だったけどありが……」

 コインを弾いた瞬間、言葉を止める。

 帰りの通路が安全か確かめるくらいならとポケットから出した古びた硬貨。長い年月で歪んだコインは親指で弾かれクルクルと回る。

 弾いた瞬間、回っている間、受け止めたその時に世界は震え言葉を失う。

 帰り道が消えていた。

 目を見開くのを止めたフォルターは青ざめるリートを窺う。

「どうしたんスか」

「帰り道が消えた。次に現れるのは……四年後だって」

「またまたご冗談を。いや冗談じゃないほうが俺的にはいいんスけど」

「山が噴火して雪を一気に溶かして水蒸気爆発。世界の四分の一が吹き飛んだ後、粉塵爆発が起こって残った半分が消し飛んでる」

「なんでわかんスか?」

「占い」

「そんなもんではっきり判るんスか」

「君らだって別れ道で木の棒を倒したりするでしょう。それと一緒だよ」

 一族の無事は確認したが、希に見る大災害である。

 イストリア・ホールは出現する理由が不明であり、転移魔法とはわけが違う。人為的に作ることができない。出現理由も判らないそれが自然に戻るのが最短四年という。

 どこか別の世界に間借りするか、人界で時間を潰す必要がある。

 胡散臭そうにするフォルターの鼻先に古びた硝子瓶を突き出した。中には青い液体。魔法に携わる者なら一発でわかる代物だ。

「まさか魔法インク!」

「ご明察。これを換金するよ。しばらくの生活費くらいにはなるでしょう」

「じゅうぶんッス」

 他の異界でもお金より安定した価値があるので一族は重い金貨や宝石より魔法インクを常備していた。

 人界では働いてお金を稼ぎ、税金を納める必要がある。寝床や食料を得るにも金を出さなければならない。その行程は非常に面倒くさい。

 こなさなければいけないことを指折り数えて溜息をつく。

 決められた土地で長期間生活することは初めてだが、土地さえあればどうにかなるだろう。

「見たことない型ッスけど、まさか手作り」

「一族で作ってるスタンダードなやつ」

「インクを作れば食いっぱぐれもないでしょうし、インク職人しましょうよ。それで税金がっぽり払ってくださいッス!」

「値段しだいかな」

 インクを作るにも道具や材料が必要だ。人界は初めてなので材料を選定することから始めなければならない。

「高値で買ってくれるとこ紹介するッス。怪物区へ行く前に美術商へ行きましょう。ヒブリダ区のことは先輩から聞いてるッスか?」

「人属が多く住んでいて、一番発展してる」

「ッス。んじゃ付いてきてくださいッス」

 二人が居た場所は中央区。そこからヒブリダ区へ行く道すがら、華やかな衣装に身を包む社会人が行き交い、色とりどりの店が並ぶ。

 魔法使いは時代に置き去りにされたようにぽつりと街の中で浮いている。それを住民達は興味を持ち、物珍しそうにしている。端末で撮影する者もいたがフォルターが魔剣銃で発砲すると蜘蛛の子を散らすように消えた。

「肖像権の侵害ッスよー! ったく、情報屋相手に小遣い稼ぎしようとしやがって。……ここじゃ何でも金に物をいわせるんスよ。捕まらない程度ならって簡単に踏み越えるんス。アンタも気をつけないと喰われちまうッスよ。あいつら、物の分別なんてないんスから」

 面白くなさそうな顔に、何か嫌なことでもあったのかと聞けば、半目になって口を尖らせる。フォルターはヒブリダ区の住民が好きではない様子だ。

「何言ってるかマジで判らんのだが!」

 二人が角を曲がったとき、大きな声がした。

 工務店の看板がある店の前で体格のいい獣人属の男が頭を掻きながら「だからムリだって言ってるだろ」とそっぽを向いている。

 対峙している少年がますます腹を立てた。深く被ったフードの奥で何かが発光している。

「受注したときは納期に間に合うって話だったろ。なのに材料が遅延した、機械が壊れた? 何度目だよ、言い訳はうんざりだ。いい年した大人が期限も守らず代金も魔鉄鋼も返せない。お前みたいなクソを何て言うか僕でも知ってるんだが。泥棒野郎が!」

「事情があったんだよ。アンタにはわかんねー事情がよお。とっとと帰った。営業妨害で警察呼ぶぞ。てめえと俺、どっちの言うことを奴らが信じるかわかってんのか」

「やめろ。これ以上、僕をイライラさせるな!」

 少年が頭を掻きむしると、指の間から灰色の粘体がにじみ出た。それは煙を上げながら服の上を滑っていく。

 呪いだ。

 通行人が少年を避け、店主は馬鹿にしたように体を震わせて怯えたフリをする。

 リートは呪いの気配に人の隙間をすり抜けて少年の手を握った。振り払おうとしたのをキツく掴んで留めれば、バチバチと電気が跳ねるような音と共に、染み出した呪いが消し飛ぶ。

 少年は動揺したのか息を乱した。

「大丈夫だから手を離さないで」

 唖然とした少年はほんの少し口を開けた。そうするとギザギザの歯も黄緑の目もよく見えた。発光していた髪の色も薄くなっていく。毛先は白いが、紫の髪をしていた。

 怒りが収まると呪いも止まり、表れたのは利発そうな男の子だった。戸惑いに目を揺らしながらリートを凝視している。

「どうしたの。大きな声を上げていたけど、助けが必要なら――待って!」

 ごきゅと喉を鳴らした少年は手を振り払った。引き留めるも走り去る。

「……私怖かったかな」

 奇妙な沈黙の後、彷徨う手を下ろす。

「スピレトス家のやつッスよ。外に出てるなんて珍しいッスね。噂じゃ妖精の血を引いているせいで怒ると呪いが出るとかなんとか。実物見たの始めてッスけど、マジだったんスね」

 言われてみれば耳が尖っていた。フードで判りにくかったが、髪色も人属では珍しい。

「おいあんた、追っ払ってくれてありがとうよ。付きまとわれていて困ってたんだ」

 店主だった。

 困ったふうを装うが、ニヤけた口元を隠しきれていない。

「やめなよ。あの子は盗られた物を返してほしかっただけだし、嘘をついて苦しくなるのは君だよ」

 淡々と告げるリートの目は傍らでフォルターが裾を引く。

「あー、リートさん。その辺にして行きましょうよ。これ以上遅れると野宿するはめになるッスよ」

「ごめん、今行く。それじゃあね」

 いくつか角を曲がったところで「あのッスね」フォルターは面倒そうな顔で続けた。

「ああいうのはほっとくんスよ。いちいちツッコんでたらきりがないんで」

「主管は揉め事の仲裁をしないの」

「見るからに問題があれば対応するッス。けど文句があるなら警察に届け出て司法ッスよ。弁護士って法律の専門家がいるんで、必要ならば頼ってください。ま、政治に関わるなら話は別ッスけど」

 つまり重要人物でなければ主管は手を貸さないということだ。

 なかなかに厳しい競争社会だ。フクロウにとって有益かどうかで主管は物事を見ている。

 その見透かした目が弓なりに「ビビりましたァ?」と笑みを浮かべる。悪徳を舐めるような邪悪な笑みだ。

 人界は暮らしにくい場所かもしれない。

 一抹の不安を抱えながら辿り着いた美術商は入り組んだ場所にあった。

 店舗はタイルとレンガ。窓は大きく、ショーウィンドウに骨董品の古びた車輪。色とりどりの鉱石に、眠るように目を閉じるアンティーク人形。古本に壺、なんでもありそうだ。

 ただし絵画がない。

「ようこそ新しいお客様(スプライト)。栄華と滅亡を閉じ込めた我がモリンシ商会へ」

 一歩入った瞬間、手招くように奥から声がかかる。

 店内は埃一つない。飴色に磨かれたカウンター越しに男が立っている。一つに結んだ金髪に、白いスーツの胸には赤い薔薇のコサージュ。金色のベルトに吊された鍵は三十三本。年季の入った天板に肘をついて青い目を細めている。

 まるで彫ったように綺麗な笑みを浮かべる青年だった。

 これには覚えがあった。

 内面を見せない貴人の笑み、鉄の仮面だ。

「私はスロット。他の方々は美術商とも呼んでいる。他のお客様同様そう呼んでくれたまえ。本日は何をお求めでいらっしゃる」

 そう言って両手を広げた。まるで彼も一つの調度品のように振る舞っている。

 リートが口を開く前に「ああいや、けっこう」と止めたスロットはカウンターの足下に手を延ばす。

「噂好きのカナリアが教えてくれた」

「使い魔と契約でもしてるの?」

「似たようなものさ」

 カウンターへ硝子板を十枚乗せる。分厚く一メートルはある。

 確かに欲しいが目的は魔法インクの買取だ。訝しく思いながら視線を硝子板からあげると、笑みの仮面を付けたままスロットは長々と続ける。

「怪物区の物件は壊れているものが多い。つまり蝶番から窓枠まで修理が必要。――君のその帽子、手袋、靴の先に至るまで鉄の金具一つ使われていない。染みこんだインクと魔導の薫り、派手すぎない上品な模様は古き妖精の扱うものだ。もちろん私は華美な物も分け隔てなく愛しているよ。美しさに優劣は無いのだから。だが……妖精は鉄に触れると火傷をする。美しいものが損なわれる。――欠けた世界は美しくない」

 瞳から笑みが消えた。

「ここは何でも揃ってるンす。気味が悪いほど情報も早い」

「お褒めにあずかり光栄だ。絵を描くには椅子、テーブル、ありとあらゆる画材もそうだが、何より売り手と買い手がいなければ絵描きは描けない。だからこそモリンシ商会の商いは産声を上げる前からその後も、品揃えはどこよりも豊富だと自負している」

「てことでインクの鑑定と買取おなしゃース」

「ぜひ拝見させていただこう! 上質な色インクは何より美術商が求めるもの。お待ちしておりました」

 青い瞳が夏空のようにきらめいた。花が咲くように笑うので、調子を崩されながらインクを差し出せば細い指で慎重に受け取った。

 彼は瓶を光にかざすと古びた布を広げて中心へ置く。縫い込まれた魔方陣がピカピカと小さく光る様子は玩具のようだ。

「鑑定魔法に興味がおありかい」

「見たことないと思って」

「他界では免許が無いところがほとんどだったね。しかし人界では鑑定方法に明確な基準があり、ジュエルオーキッドのように光る美しい魔法の光は鑑定士によって変わるのさ。私の危険物取扱免許の証明書はあちらの額縁に。どうぞご覧になって」

 ワインレッドの額縁がずらりと並ぶ壁がある。全て彼の免許なのだろうか。

「人界では魔法に関することは全て免許が必要とお思いになったほうがよろしい。箒や魔法銀輪は飛行免許、魔法を行使するには魔法免許、薬は魔法薬免許があり、特定の生物を研究するには危険生物飼育免許。危険な物を管理するには危険物取扱免許が必要になる」

 ここはそういう情報も扱っていると言うように、すらすらと言葉が流れる。

 手は淀みなく瓶をひっくり返し、揺すり、再度鑑定にかける。不純物や沈殿物があるか、認識阻害で偽物を掴ませる悪徳を許さない動作だ。瞬きもせず、彼の視線は青い液体に注がれている。

「この素晴らしい魔法インクの制作者名をお聞きしても」

 顔を上げた彼はリートが制作者だと知ると目を細めた。技術者に対する称賛だ。

「人界で貿易、もしくは卸売りのご予定は。濃度もさることながら凡庸性に富んだ素晴らしい一品だ。これと同じ物があれば受注したい。色もあるほどいい」

「人界に同じ材料があるか調べてからじゃないと答えられない。似たレシピがあればその通りにするけど……」

「君の、この素晴らしいインクをモリンシ商会は欲しているのだよ」

「ならレシピ譲るよ。寝床を確保できるくらいは入り用なんだけど」

「あー、リートさん。判ってないみたいだけど、今のは将来の保証とか研究費とかを吹っかけてパトロンになってもらう流れなんスよ」

 きょとりとした目はフォルターの言葉を理解していない。

「商売は儲けたもん勝ちッス。そんなんじゃ今に身ぐるみ剥がされて路頭に迷うのがオチ。お綺麗な妖精様には判んないでしょうけど、ここで生きていくのに必要なんス」

「お腹が空けば木の実や植物を食べればいい。ダメなら魚を捕ればいい。身一つが嫌ならその辺の物から作れる。心配することは無いでしょう。たった四年、一眠りの間に時は過ぎるんだから」

 フォルターは仙人か何かを前にしたように面食らった。贅沢品など端から頭にない言いぐさは、目の前の魔法使いがどう生きてきたか匂わせる。

「どうやらスプライトの言葉は眠りの精(ソーンウォース)に理解できないようだ。異文化交流とは得てして自らの常識と向き合うことと同義。我々は先んず白鯨の妖精というものを理解しなければならないようだね」

「ソーンウォ……もしかして私のことを言ってるの」

「客のことをスプライトやらあだ名を付けるんス」

「麗しい妖精にぴったりな素敵な名だろう? さて眠りの精(ソーンウォース)、魔法インクの製造は大手ですら門外不出。レシピが出回るということはない。買い付けの者が来たならば盗人か詐欺師の類なのでご注意を。そしてあなたの製法が流出した場合、特許がなければ権利を争うことになり、偽物が権利を得れば君ですら製造を禁止される。それを避けるために強力な後ろ盾が必要になる――つまり君は運がいい」

 幸運にもリートの横にはフォルターがおり、特許取得の手続きはスムーズに進む。この費用を肩代わりするつもりが美術商にはあった。

 魔法インクは文字通り魔法のインク。召喚術から生活を支える魔法道具まで需要は多岐に渡る。だからこそ製造を秘匿し利権を守る者たちばかりなのだ。

 リートの魔法インクは一族が製造してきた古い物だ。売れなくなるのは困るが、どの異界でもそんな話は聞かない。酷く奇妙に思えた。

 今まで見聞きした異界と人界は何か違うと思っていたが、人の考えかたから違うのだろうか。

「人界では魔法インクの技術者は囲うのが定積。もし起業しようものなら潰すか買収か、後ろ暗い話をすれば命の危険すら許容しなければ。優れた者は凡人が同じことをできるとしばし誤認することがあるが……どうやら君もその類らしい。魔法学校で何を学ぶか知っていらっしゃるか」

「生憎来たばかりだから」

「鍋の使い方、基本的な魔法薬の作り方が済めば難易度を上げ、試験を超えれば魔薬免許を取り、研究の道へ進めば商品価値のあるものを探求する。けしてインクを作ろうと考えない。なぜならば薬とインクは別物であり、あらゆる媒体で使われるインクの安全性を誰が担保できるだろうか。実験には莫大なコストがかかり、人は完成前に寿命を終えるだろう」

 現代に出回る魔法インクは数百年かけて作り上げた努力の結晶であった。だからこそ大量生産され、人々を豊かにする道具に使われている。

 はっとするような抑揚に小さな仕草もそうだが、女をたぶらかす女衒のような鋭さと滑らかさを含んでいる。引き込まれてふんふんと話を聞きそうになるのは美術商が一流の商売人だからだ。

「これは君の一族が作り続けた一品であり鑑定結果も申し分ない。おめでとう、君は大金を手にすることができる。この商談が上手くいけばの話ではあるが」

 そして交渉は続いていると言外に告げる。

 商人は豪胆でなければならない。利益のために高く見積もることも逆もある。今は利を選んで誠実さを見せている。魔法薬を作るには多岐にわたる材料が必要で、モリシン商会はその全てを集める自信がある。リートが上客になるのを見越しているのだ。

 交渉は族長の役目なのにとリートは溜息をつく。

「本当に面倒なところへ来ちゃった。言い分は判ったけど後ろ盾はいらない。振り分けられたのは怪物区だし、なによりここにいるのは四年だけだから」

「それは残念。だが気が変わったらいつでもどうぞ」

「助言ありがとう。ここの生活は知らないから助かるよ。今回の売り上げの範囲内でいいから私に必要だと思うものを見繕ってもらえる? あなたの腕を信用するよ」

「お任せを。これからもインクを作るご予定は」

 リートは苦い顔をして内心しつこいと呟く。

「ぼうっと過ごすのも暇だし時々はね。時々だよ?」

「よい商品ができたなら、ぜひ持ち込みのご検討を。鑑定料も他より安くさせていただこう」

「助かるよ」

 美術商は目を細めて手を差し出す。

 それは歓迎の証であり最終確認だったので大人しく手を握る。

 手袋には虚偽を見抜く魔法がかけられている。ここまで堂々と晒すと清々しささえあり笑ってしまった。胡散臭くて変な人だと。

「では商談終了だ」

 さらさらと流れるように羽根ペンを滑らせて紙に書き付けたスロットは、札束の入った大袋を取り出した。

「この高額紙幣一枚で……そうだね、君ならば一ヶ月は食費に困らないだろう。もちろん、他の商品と交換もできる」

 拳でこつこつと叩くのは最初に出した硝子板だ。

 スロットは大量にある小さな引き出しから次々と商品を取り出した。

 花の種、苗木、果物にハーブに骨や鉱石。最後に図鑑を積みあげた彼は「どうぞご贔屓に」と袋の中から札束を五つ抜き取った。

「端数はオマケ、配送料はサービスさせていただこう。どうぞご贔屓に」

 耳慣れない言葉に頭を捻る。配送とは特定の場所に荷物を勝手に送ることを言うのだったか。

「住む場所が決まったら取りに来るんじゃダメ?」

「いいんスよ。どうせ決まったら嗅ぎつけて勝手に配送してくれるんスから。ってことで怪物区へ行きましょう」

 引っ張り出した小さな知識で言えばフォルターが口を挟む。

 そういうわけでようやく目的地だ。


 廃れた村、壊れた家は森に飲み込まれ獣道は大小様々。遠目に燻る煙は魔法で焼いた痕であり、タチの悪い怪物らの巣窟というのは本当らしい。頭上の怪鳥が風の嵐を起こしている。

 お菓子の家、廃屋に転がる人魚の骸。実態を持たない幻想属(ファンタズマ)が何かを抱えながら姿を消す。岩の形をした何かの足下を通った小人が大口に飲み込まれた。弱肉強食、異邦人の見本市の様相である。草陰には小さき者から動物に精霊までごちゃ混ぜだ。誰もが好き勝手に生きて、その辺に転がっている。

「さっきの区と全然違うんだね」

「そりゃ人属中心と怪物中心の区は違うッス。入り口ら辺は安全、奥に行くほどアホみたいな連中がいるんで、俺も年に一度程度しか行かないッスね。……いや去年は行かなかったか。ともかく奥は危ないんで」

「悪魔でも住んでるの?」

「洒落にならないこと言わんでくださいッス……来たらどうするんスか」

 言葉にしたら来る、呼ばなくても紛れている。それが悪魔。世界が変わっても人々は悪魔を畏れるらしい。

「私はこういう雰囲気のほうが慣れてるから落ち着くよ」

「そりゃどうも。アンタの場合は戸籍があるんで、死んだら葬式くらいは出すッス」

「妖精の死骸を守るなんて馬鹿な真似は止めたほうがいい。ただでさえ人魚の特徴が濃い君に、陸の生活は辛いだろうに」

「喧嘩売ってんスか。どう見ても人属以外の何者でもないでしょうが」

「母親は純粋な人属、父親は獣人属の特徴が出ていたけどクォーターで、祖父が人魚と獣人の混血だった。隔世遺伝で人魚の血が濃く出た君は毎日魔法薬を飲んでる。知ってるのは身内だけで、対外的に隠したのはここで暮らすため。ここで育った君には深界あまり良い連中じゃないよね」

「どこで知ったんスか、勘弁してくださいよ!」

「人魚は群れで生きる物や悪食がいる。格好の餌食だし生活環境が厳しい。人界は天災もなく、罠の仕掛け人もいない。楽園みたいなところだ」

 一秒間に千針飛ばすハリネズミもいないと独りごちる。

 帰ったときに鈍って死にそうだ。

 別の意味で苦笑するリートに、乾いた笑いで答えた。

 比較的安全な場所の廃墟から見回った。

 広い庭のあるあばら家、天井の大穴から入った雨水で腐った廃家、柱を蹴ったら崩壊しそうな小屋。

 そして比較的危険な場所を周り、危険な場所にある格安の物件を購入することにした。

 フォルターは項垂れた。

 人が住む場所ではない、更地にして倉庫を建てる用の敷地だと。

 なにより、

「怪物区でも奥まってるから人通りも少ないっていうかねーし! ここまで来る道、信じられねーっくらいバカみたいな奴らが行き交ってるんスけど。俺はアンタの安否確認に毎日来るつもりないッスからね!? 別区画に引っ越し――は困るッスけど他にしましょうよ」

「研究施設は郊外が定番だって君が言ったんでしょう。ここ滅多に人が来ないし」

「こんな廃墟に決めると思いませんって。その手に持ってる金、いくら入ってると思ってんスか。入り口付近の土地全部買ったって余裕! 怪物区なんて全部捨て値なんスからー!」

「ここ一万スフェラで済むんでしょう。使うの私なのに何が不満なの。使うの私なのに」

「通うの嫌だって言ってんでしょ、もおおおー!」

 遠くで鳥がバサバサ飛び立った。

 何も落ちてこないことを確認したリートが視線を戻すと、涙目のフォルターがいる。

「まともな店かまえなきゃ、客も増えないッスよ。後々キツいでしょ」

「庭が広いのがいいの」

 廃墟を隠すいい感じの敷地は色々な植物が乱雑に生えている。程良く何も生えていない場所もあるので使いやすい。なにより虹色の液体を吐いたり黄金のイグアナを召喚する妙な連中がいない。

 溜息をつくフォルターは諦めて端末を操作して、悪態をつきながら手続きを終える。

「どいつもこいつも商売っ気がありゃしない。そんじゃ俺の案内はここまで。頑張ってくださいッス」

「気をつけて帰ってね。もう来ないほうがいいよ……何度か死にかけてたし」

「そんなわけいかないでしょ。ちくしょー! いいッスか、ちゃんと人が住んでそうな見た目に直しといてくださいよ」

 リートにとって些末でもフォルターには大惨事だった。か弱い役人に生返事を返せば一瞬で消える。

 中央の主管も立派な魔法使いのようだ。

「大丈夫かな……人界の人があんなにか弱いとは思わなかった」

 さてと振り返る。美術商で購入した商品が音もなく置いてあった。防水性の布を指先で撫でてから作業を開始した。

 まずは家の中にある鉄の金具をはずすために杖を振った。室内の泥と汚れを落とし、植物を成長させて壁の穴を塞ぐ。フォルターの忠告通りに直して何の意味があるかリートには判らない。

 こんな場所、誰が来るのだろうか。

 けれど苦労してくれたフォルターの為にそれっぽく塞ぐ必要があるだろう。

 伸びた枝は天井を覆い隠し、蔦から花をぶら下げる。薄青い小さな花だ。これはフォーサイトという逆さまに生える植物で、屋根一面に広がった。

 ハラハラと落ちてくる花弁で床が埋まっていく。

 硝子板に魔法をかけて硝子をこねるのは慣れたもので、あっという間に二つの瓶ができる。魔方陣を刻めば片方は花弁、もう片方は枝や葉を吸い始めた。

 天井の大穴は崩れかけた部分を全て取り除き、真下の床を掘り起こす。硝子の板を筒状に伸ばして天井の穴と繋げた。そこに土と苗木、植物の種を植えて鉱石を混ぜ込む。クリスタルのような鉱石は魔力の切れた魔石だ。植物の生長と共に色を取り戻すだろう。

 ボロボロのレンガと硝子を混ぜて焼いて固めて引き延ばす。タイルができる頃には室内の熱で汗ばむほどだった。

 敷き詰め終わる頃には喉がカラカラで、空気穴がもう一つ欲しくなる。壁をくり抜けばむわっとした熱気と外の冷たい空気が混ざり始めた。

 出入り口の大きな扉は開いているにもかかわらず、空気が循環していないことに気づく。

 扉があった場所に視線をやってリートは脱力した。

 リートの魔力を吸って発動したのだろう。入り口には見えない壁ができていた。停止させると扉からも外の空気が入ってきて、一気に室内の温度が下がる。

「作業台に椅子、戸の付いた本棚も作ったし、瓶も作った。窓もできたし次は庭かな」

 内装は店の内装は大きなテラリウムのある幻想的なものとなった。

 小さな引き出しにインク用の瓶を片付け、実験道具は壁の収納に配置し、残った植物の種を持って外へ出た。

 庭はクルミやドングリも自生している。そこへ種や苗を植えて無造作に杖を振る。植物が一気に生長を始めた。

 枯れて種を落し、また成長を始める。

 四度繰り返せば土も肥えて果物がみずみずしく実った。リンゴとイチゴ、葡萄にミカンと豆。リンゴを一つもいで囓れば、渇いた口内に甘酸っぱい果汁が広がった。

 もう月が真上に来ている。

 イチゴをつまみながら見上げた、リートはふかふかの草の上に寝転んで目を瞑る。

 白鯨の妖精は鯨に似た生態をしている。

 脳の半分を交互に眠らせることができるため睡眠時間が短い。これを半球睡眠と言う。なので人のように全球睡眠をするのは久しぶりだった。人界の環境が安定しているからできることである。

 だから近づいてくる気配に気づかなかった。

「見慣れない子供がいるが、同族か」

 赤い目に桃色の長髪の男が無遠慮に寝顔を覗く。沈魚落雁(ちんぎよらくがん)の美貌でふむふむと何かしらに頷いて、くるりと踵を返す。

 腰に佩いた剣に月光が反射した。

「おやすみ。よい夢を」

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