第3話 始まり
「ばく……はつ?」
閑散としていた場所で響くのは悲鳴だけ。火が広がる世界を見つめながら、オレは立ちすくんでいた。
理解が追いつかない。近づきたくない。だが火は近づく。逃げないといけない。
でも、動けない。
「……逃げなきゃ」
逃げないと。逃げろ。早く、にげ。
「……っ!」
動かない足を強引に動かし、振り返って数歩進む。動揺からか、何かで滑って転んでしまった。顎が痛い。
でも、にげ。
立ち上がろうとした刹那、声がナイフのようにオレの鼓膜を貫通した。
「……逃げんなよ」
その声は、オレの恐怖心を煽る。本能に刻まれた恐怖。生き物が辿る終わりの鼓動。
「あ」
(死ぬ。ほんとに、死ぬ。動いたら、喋ったら死ぬ)
ずっと生きてて、死ぬとか、死のうとか、いっぱい思ったでもこれは違う。
目の前にある死。理解では無い。これは本能。
声しか知らない男からオレは死を感じていた。
「あ」
オレは声の主を見る。その主の姿は左右非対称だった。自然界の生き物は左右対称なもの。だがこいつは違う。まるで異形。岩石のようなツノが一本、頭の右側に生えており、体に光る線が入ってある。目は黒く、恐怖を感じさせる。顔の半分が怪物の仮面で覆われていた。そして謎の黒いエネルギーを纏っている。
「あ、ごめんなさ」
ようやく捻りだした言葉は謝罪であった。同時に今まで感じたことのないような寒さを感じた。そして違和感を覚える。
見たくないけど、オレは左手を見なければならない。
全身を震わす悪寒。いや、もう知っている。オレの目の前にいる何かが持っている左腕が誰のものかなんて。
行方不明だったそれは、オレに真実を伝える。
「……」
左腕を見ると、肘から先が消えていた。
「うっ、うわっ」
信じれなかった。だが、認識してから遅れてやってくる痛みがオレの否定を否定する。
「はいお口チャックー」
コイツが喋れることに驚いた。いや、もしかしたら前にも喋っていたのかもしれないが、オレの耳を通り過ぎなかったのは始めてだったのだ。
アナウンスが頭の中に流れる。
「私たちは王様が欲しい。もう力を得ている人もいるらしいけど、正式にはこれから始まり」
女性のような声が頭の中に響く。
だが、気休めのようにアナウンスでこの何かが止まるわけではない。オレはコイツからも質問される。コイツの尖った指がオレの喉に食い込んだ。
「お前から匂う」
「ごめんなさい」
「王の香り。だれだ? 誰に会った?」
「ごめんなさい」
それしか言えないオレの唾液と涙が混ざり合うなか、アナウンスが続く。
「人間に力を授けた。それを鍛え、王となれ。どうやらもう怪異が放たれてるらしい。やつらは心の弱い人間に寄生し意識を乗っ取る化け物だ。寄生されないように気をつけて。もし誰かがされてたら、今は逃げた方がいいかも」
怪異と呼ばれる者は言う。
「言え。言え。言え」
「ごめんなさい」
アナウンスが続く。
「時々こちらからも命令を出す。せいぜい生き延びろ。終わりは必ずあるのだから」
声はもう聞こえない。
喉と左腕の痛みが広がる。まるで全身を傷つけられたかのような痛みに変わって行く。血が抜けて行くと同時に、オレは記憶を見ていた。
「だからね、私は思うの。なんで先生の言うこと聞かなきゃいけないんだって。なんで親の言うこと聞かなきゃいけないんだって」
小学生の時の記憶。そう言っているのは万十比織。プンスカとかわいらしい怒り顔を浮かべる彼女は、オレの記憶の中だけの存在ではない。実際にそこに存在しており、彼女と関われていることだけがオレの自慢だった。
そんな彼女は、オレには理解できない理由で怒る。
そういえば、昔から反骨精神が凄まじかったな。
「鈴斗もそう思う?」
「おれは、言うことは聞かないといけないと思う」
「えー」
「ぶーぶー」と言いながら、機嫌の悪そうに公園の砂でお城を作っている彼女。オレは微笑んだ。
そうだ、そうだった。
反骨だ。
この状況になってようやく君を理解できたよ。
オレはずっと他人に対して何も思わなかった。名前もほとんど覚えていなかった。
でも、今は違う。
オレはお前に強い感情を抱いているよ。
お前が稲那さんを焼いたやつかどうかは知らない。でもそうだと思ってお前を恨む。稲那さんに復讐なんてやめてと言われてもやめない。これは稲那さんのための復讐じゃない。オレの自己満足の復讐だ。
「……」
未穏鈴斗、彼の空っぽな心に、恨みが注がれる。
「死ねよ」
オレの体は浮いており、怪異の爪はオレの喉を貫く。
朦朧とする意識のなか、オレは力が入っていない左拳を相手に当てた。
当たり前のように、鼻で笑われる。
オレは投げられた。
「……ッ !?」
怪異は驚いたように、殴られ吹き飛ぶ。
オレは驚く隙もなかった。突如として現れる突風。その中心にいるよく知っている人物。
オレは二つのことに驚いた。一つは彼女の事。
「小鳥遊さん?」
この場に現れた女。それは橋の下で会話した子だった。
そしてもう一つは……。
「日付はわからないって言ったけど、まさか今日だとは思わなかった。君には恩がある。安心して」
小鳥遊さんは怪異を見つめながら、こう言った。
「私が絶対に守るから」
もう一つの驚き。それは左腕が治っていた事ではない。それは……。
「嘘だろ」
オレと相対した怪異の後ろに並んでいた、数百もの怪異達の姿であった。
それは一人一人、殺意を持って、こちらを見る。
彼らは、笑っていた。
オレの恨みは絶望に飲まれ、もうその欠片すら残っていない。
「は、はははっ」
この混沌とした世界を前に、彼は何もできずにこう思うのであった。
(ああ、意味わかんねえ)
遠くで、爆発が起きたのか、大きな音が鳴っている。