14 配られたカードは 後編ノ下
暫しの間、二人は会話を忘れた。
微かな咀嚼音と、箸の鳴る音だけが其処には在った。
時折、沈黙に耐えかねたように、太陽がポキポキと首を鳴らしていた。
やがて、口元に付いた油を拭き取りつつ、太陽は水原に告げた。
「先刻、お前はもう二度と能力を使わないと言ったな」
水原の眉が跳ねた一瞬を、太陽は見逃さなかった。
直後、水原の凍てつくような視線が彼を刺した。
鍛えぬかれた鉄槍にも匹敵する、鋭く重厚な一刺し。
恐怖かあるいは興奮か、背筋に冷たいものが走る感触に打ち震えながら、太陽は努めて無表情を取り繕っている。
目の前の少女は、今更確認するまでもないと言わんばかりに、鋭い眼光を放っていた。
「それが何か……?」
視線の主に、太陽は言う。
「ご立派な志だが、そいつは不可能だろうな」
「何を──ッ」
水原が何か聞き返すよりも早く、太陽は自身の首筋を撫でてみせた。
先刻、太陽自身が深く突き刺した箇所を。
「あ……あ、あ…………」
一目で分かる程に、水原の顔からみるみる血の気が引いていく。
「…………」
からん、と小さな落下音が聞こえた。
水原の使っていた箸が、床に落ちた音だった。
箸を握っていた指は、がたがたと震えていた。
信じられないものを見たように、彼女の瞳は限界まで見開かれて――。
「はーっはっはっはっ、ははははっははは!!」
反対に、太陽は腹を抱えて笑っていた。
「あはははははっみ、水…………ん、ふふふふっ、ふぁあはは」
時折噎せて、お冷を喉に流しながらも、太陽は笑い続けた。
やがて、ハッとした様子で、水原が応える。
「何がおかしい!? 私がやらなければ、貴方は死んでいたはずです!! ……少なくとも、嗤われるような事はしていない!!」
「していない! していない! していにゃい!! ぎゃあははははは!!!」
水原が激昂してからも、太陽の笑い上戸は止まらず、遂には椅子から転げ落ちた。
床面をのたうち回り、次第に過呼吸気味になる有様だったが、水原にそれを止める術は無かった。
ひとしきり笑い、満足そうな表情をすると、太陽は言った。
「矢っ張り、我慢できなかったなぁ」
椅子に座り直して、太陽は水原を指差した。
「お前は嘘つきだ。そして、善人でもある──底無しのね。朝の件もそうだが……出会って一日かそこらの有象無象を助けるために、ぽこぽこ能力を使うんだ。きっと、これから先も使うのだろう。人を救わずにいられない性分だ──さながら、現代に蘇ったジャンヌダルクのように」
太陽の指を撥ね退け、水原が反論しようと口を開いた時だった。
──水原の視線が、ある一点で釘付けとなった。
彼女の目は、太陽の首筋に向けられていた。
先刻まで確かに存在していた傷は、既に塞ぎきっていた。
確実に致命傷だった。
水原が治さねば──否、戻さねば、失血死体が一人分出来上がっていた。
言葉に詰まりつつも、やっとの思いで水原は絞り出す。
「……仕方無かったんです」
「何だって?」
「今のは仕方無い、って言ったんです。目の前に瀕死の重症を負った人がいて、それを助ける力があるなら、誰だって同じ事をします。違いますか?」
水原の問いかけに、太陽は呆れたように頭を振る。
さながら、出来の悪い生徒に指導する教師のような仕草をもって、苦笑してみせた。
「この際、誰にでも可能かどうかはさておいて……なぁ、君は自分の能力が嫌いなんだろう? それは痛い程伝わったよ。でもな、こんな話を聞いたことはないかな?」
指を一本、二本と立てる。
「一度やる奴は、二度やるって――スリと同じさ。人はある種の成功体験を忘れる事は出来ない。現に、これまでお前は『巻き戻し』を三、いや、四回は使っているよな? それは紛れもない事実だろう」
「……………………だったら、どうすれば良かったと?」
低く掠れた声で、水原が言う。
「他に方法がありましたか? 貴方ならどうしましたか? 貴方も含めて――見殺しにされて良い人間が居ると、本気で思ってるんですか?」
──私は間違っていたのか。
彼女の本心からの問いだった。
其れを聞いて、太陽は目をぱちくりと瞬かせた。
「ちょい待て。何か誤解があるみてぇだ」
敵に降伏する兵士のように、両手を頭上に掲げる。
「別に、俺はアンタを責めちゃいないよ。むしろ、感謝の念を送りたいところだぜ。自分が原因とはいえ、危うく死にかけたんだからな。」
「…………」
水原は黙って太陽の言い分を聞いていたが、その眼には困惑の色が見てとれた。
太陽は、年頃の少年らしく口端を歪めていた。
「俺からは一つだけ――その辛気臭いツラが気に食わねー、それだけだ」
「…………は?」
今度は、水原が目を点にする番だった。
唖然とする彼女に対して、太陽はわざとらしく舌打ちした。
こんな事も分からないのかと言いたげに、やや疲れた顔で肩を回す。
「だから、そんな泣きそうな顔で人助けなんかしてんじゃねえよ。ヘラヘラ笑えとまではいかなくても、堂々としてればいいんだ。礼の一つも憚られんだろうが」
「……礼?」
「あぁ、礼だとも」
紙ナプキンで口元の油を拭き取りつつ、太陽は頷いた。
会話中も食べ続けていたらしく、既に彼の丼は空になっていた。
「お前がこれまで、どんな気持ちで過去と向き合ってきたかなんて、俺は知らない。興味も無い。今のお前とは関係無いからな、けれど――」
ナプキンを盆に置き、残ったみそ汁を一息に飲み干すと、太陽は席を立った。
腰に手を当て、足を肩幅に開き、顎を上げて。
高笑いしながら、猛々しく言い放った。
「助けたんなら、それなりに責任を果たせ。感謝の言葉を求めろ。金品を要求しろ。それが嫌ならせめて――しつこい様だが、堂々としていろ。じゃないと……」
続く言葉を、太陽は一瞬躊躇した。
それからばつが悪そうに頬を掻き、彼は言った。
ほんの少しだけ、声を潜めて。
「じゃないと、お前。助かった俺が悪いみたいじゃんか」
一瞬、気まずい沈黙が場を支配した。
無限にも感じる数秒──其れを壊したのは、太陽であった。
彼は「ご馳走様でした!」とだけ言うと、足早にその場を去った。
水原の返事を待たず、彼は店の出入口の前に立つと、漸く振り返った。
光の加減のためか、顔は少しだけ赤くなっていた。
「頑張れよ! それと――」
ドアを開ける音がした。
「ありがとな!!」
水原は彼の背中をずっと見送っていた。
やがて、その背中が見えなくなっても、視線は動かなかった。
ただ、引き結んだ唇だけが小刻みに震えていた。
水原はゆっくりと目を閉じた。




