Part5 約束
「あ、そうだ、涼芽さん」
ポケットから煙草の箱を探り出し、彼女に差し出す。
「煙草、吸いますか?」
「ん」
彼女は箱を受け取ると、中から一本取り出して、箱はすぐ僕に返した。
「火、つけますね」
反対のポケットからライターを取り出し、つける。周りの香りが一層強くなった。靄のかかった空間は、まるで天蓋の付いたベッドの様に、世界と二人を分断した。彼女の吐く煙は濃く見え、何か特別なもののように感じられる。
だがそんな時間はすぐに終わる。涼芽さんが吸い始めて間も無く、僕はもう残り僅かな煙草の火を消した。一日一本と自分で定めてしまっている。そのルールを破るのは、自分を否定している様で嫌だった。彼女と吸うのは楽しいが、いつまでもそうしている訳にもいかない。
僕は彼女が静かに吸っているのをただ横目で見ていた。こうしていると、さっきまで話題を必死に探していたのが滑稽に思える程、静かで、単純で、安らかな時間が流れて行く。
「そうだ、虚巣君。一つ決めておきたいことがあるんだけど……いい?」
涼芽さんは一度、煙草を持つ手を下ろした。
「私はこれから毎日ここに来れると思う。体調とか崩さなければね。そこで、だ。もし君がその日来れなかったら、夜が来る前に煙草を一本置いといてくれない?この滑り台の……ここに」
彼女は指で手すりに空いた小さな穴を人差し指で撫でた。ネジ穴だろうか、丁度この煙草がすっぽりと収まりそうなほどの大きさだった。
「分かりましたけど……どうしてそんなことを?」
「好きになっちゃったんだ。虚巣君の煙草の味がね。だから、一人で吸って過ごしたいんだ。君が居なくても」
嬉しかった……んだと思う。頬が熱くなった。彼女はどこか浮かない表情であったが。
「そういう事なら……来れない時はそうしますね」
「うん、ありがとう。一人で吸ってる時は、そうだなぁ……君のこととか、宇宙の起源とか、時間が止まったら何がしたいとか、そんなこと考えてるよ」
「なんですかそれ」
彼女は時々おかしな事を言ったりする。それがやっぱり可笑しくて、本当に笑ってしまう。二人は吹き出した。その笑い声は、夜に遠く遠く響いていく。僅かに跳ね返る声に、近所迷惑ではないかと不安になりながらも、彼女との時間を楽しまずにはいられないでいる。
ひとしきり笑い切ったあと、笑い声が夜の街から消えるのを待った。
「さ、今日はこの辺でお開きにしようか。」
いつの間にか彼女の煙草の火は消されていた。彼女は滑り台の階段を降り、僕は坂を滑り降りた。
「それじゃあ、おやすみ、虚巣君」
「おやすみなさい、涼芽さん」
お互いその言葉を交わしたあとは、追いかけない。目でも行先を見ない。ただ夜の限られた時間だけの二人。
そっとドアを開ける。靴を脱ぐと妙な開放感があった。脱ぎ捨てられた服を拾い集め、また新たに服が脱ぎ捨てられる。冷えた布団に包まり、深く息をつく。スマホの電源をつけると強い光が差し込んできた。『03:58』。もう遅い。今日はすぐに眠れそうだ。ただ一つ心残りがあるとすれば……僕は寝返りをうつ。
……今日はキス、してくれなかったな。
スマホに“0”が三つ揃う前に意識を失った。
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