93 山に入ってみた
ううむ、と腕組みでひとしきり考える。
「衛兵たちは、夜が明けてからこちらを発つということなんだな?」
「門番たちの話では、そういうことだ。やつらの足が遅いことは伝えたから、おそらくそれ以上急ぐということはないだろう」
「しかし、トーシャの見立てでは、領兵の軍を送ってもその魔物の退治は難しいと」
「ああ。あっちの男爵領兵と同様に武器が剣と弓矢、投石機ということなら、短時間の足止めがせいぜいだろうな」
「領の境でずっと戦況は拮抗していたということなんだから、こちらの侯爵領もそれより強力な武器を所持しているとは思えないよなあ」
「だな」
「そいつらが街に進入してきたら、ここらの西部地区から避難が始まるということになりそうか。ようやく居を落ち着けたばかりで、またぞろ引っ越しなど、堪んない話だわな」
「まあ、そういうことになるな」
「仕方ない。夜明け前にここを出て、二人で山に行こう」
「二人で? 衛兵の出動を待たずにか」
「二人だけでないと、『収納』が使えないからな」
「『収納』を使えば、あいつらを退治できる策があるのか」
「いくつかはな。最悪の話ということになるが、トーシャだと落し穴は数メートルの深さに留まるけど、僕だと深さは無限だ。極端、この星の裏側まで落とすことだってできる。埋めてしまえば、まず戻っては来られないだろう」
「なるほど、な」
「難を言えば、相手が一匹ならともかく、百匹分の落し穴を作ったら、辺り一面の動植物を巻き添えにする悲惨な結果を招くことになる。へたすると、地殻変動を起こしても不思議じゃない」
「お、おお……」
「もう一つの難点は、死体が一切消えてしまうことだな。少し後から衛兵たちが駆けつけることになるが、トーシャと最初の目撃者が狼少年扱いに終わるしかなくなる」
「ああ……」
「まあこの点は僕に実害がないから、スルーしてもいいわけだが」
「スルーするんかよ!」
「街の住民たちの命に比べれば、些細な問題だ」
「……そうだがよ」
「死体を残すというなら、数メートル深さの穴に落として埋めてから周りの酸素を消してやって、死亡確認後取り出してやるという方法だが。百匹分これをくり返すのは、ご免蒙りたいなあ」
「……ああ」
「まあそんなふうに、何らかのデメリットに目を瞑れば、おそらく対処の方法はある。この二人だけで行く、という条件下でということになるがな。現地に行けば、もっといい方法も見つかるかもしれない。そういうことで、夜明け前出立を予定してもう休むことにしないか」
「分かった」
二階の男子部屋に上がると、ルーベンとマティアスが眠る横でブルーノは起きて待っていた。
音を聞きつけて、サスキアが隣の部屋から様子を窺いに立ってきた。
二人には簡単に、魔物が近づいてきていること、トーシャと夜明け前に出立して対処してくること、を告げる。
「ハックとトーシャさんの二人だけで行くのか? 大丈夫かよ」
「なかなかに手強そうだが、動きののろい相手だというんでね。こちら二人で協力すれば何とかなりそうだという予想を立てた。へたに他の衛兵なんかがいるより、二人だけの方が動きやすそうなんだ。もちろん予想の通りにはいかなかったら、衛兵の到着を待つことになる」
「まあ二人には実績があるんだから、信用するしかないか」
「無理をするなよ、ハック。トーシャ殿も」
「分かっている。残った者たちにはいつも通りにしてくれるよう、よろしく頼む」
二人に断りを入れて、男子部屋でトーシャとひと眠りさせてもらうことにした。
そうしてまだ暗いうちに目覚め、そっと二人で部屋を出る。
水で顔を洗うなど、簡単な支度だけで出発することにした。
遠く東方向の山の上が白んできた程度の町中は、見渡す限り人影もない。
二人無言で、西を目指す。
数百メートル北側の門には、やはり兵が立っているようだ。そちらの目につかないように、南に少し遠ざかる。
プラッツよりは高さのある防壁だが、石の踏み台の取り出しで乗り越えることができた。
外に出た後は一目散、西の山を目指す。
かなり街を離れたところで人の耳を気にする必要もなくなり、足を急がせながら会話を復活させた。
何とも今さら感はあるわけだが、ようやくトーシャにプラッツを出てきた際の経緯を話す。何しろ昨夜久しぶりに再会してから、こんな話題を出す時間のゆとりもなかったのだ。
この相手に限っては、あの日の決闘騒ぎも、牢破りも、領主邸出し入れの荒技も、隠さず話すことができる。
当然ながら、それを聞いた友人は目を丸くしていた。
「な――何処からツッ込んだらいいんだか分からんのだが。とにかくあれ、男爵領が侯爵領に攻め滅ぼされた原因はお前が作ったということになるのか」
「まあ、そういうことになる」
「何とも無茶苦茶な荒技を、し遂げたというか」
「他に思いつかなかったんでね」
「まあ確かに、そうやって投獄されたというんじゃ、仕方ないか。しかし、屋敷一つ丸ごと消すとはなあ。俺にはできないわけだが」
「トーシャの『収納』は体育館サイズっていうことなら、おおよそ三十×二十×十メートルってところか。あらかじめ容量を空けておけば、そこらの一軒家とか、城の中でも大広間だけとかならいけるんじゃないのか」
「まあ――そうか」
「何処かの小説にあるような、舞踏会とか国王への拝謁の場とかでいきなり大勢の武装した兵に囲まれる、なんていうシチュエーションで、『一面の床とそこから連続した物体をすべて収納(自分の足元を除く)』としたら、一瞬でそいつらの武器や衣類なんかを消すことができる可能性があるぞ。女性のスカートなんかなら床から連続接触していないかもしれないが、兵士の武装はまずまちがいなく連続している」
「ああ、まあな。男の兵士で臑毛を出したレギンス姿みたいなのは、想像したくもない」
「女剣士だって、草原や森の中に入る可能性があるなら、足首を保護する服装にならなきゃおかしいよな。何処にいるかも分からない読者へのサービスで脚を露出しよう、という目的以外では」
「まあそうか」
「とにかくトーシャの剣の腕で、武器を持った数十人相手は苦戦しても、床下に墜落して武器を持たない全裸の相手なら、百人でも相手できるんじゃないか。抜き放って手に持った剣ならこれも床から連続接触していないかもしれないが、そんな室内なら周りと間隔がとれなくてまだ大半の兵は抜刀していないだろうから、ほぼ消せるはずだ」
「まあ、そうだなあ。男百人の全裸は、さすがに退くが」
「想像したくもないな」
ここは笑い合いながら、やがて山に入る。
がさがさと、膝下丈の草をかき分けながら。
それにしてもなあ、と行く先のものを考えると、改めて溜息が込み上げてきた。
「まるで僕たちの居場所に合わせて次々と魔物が現れるようで、堪ったものじゃないんだが」
「まあ、そうだよな。タイミングがよすぎるっていうか」
「何処かの誰かさんがトーシャのレベルアップ目的で配置しているっていうんじゃなけりゃ、やっぱりあの火山の影響ってことになるのかな。最初のガブリンとかの出没は、噴火の前兆を感じて。最近のゴ○ラや今回のは、噴火の後で山の中とか向こうとかに居辛くなったってところか。火山より向こうにいたやつらがあの北の山をぐるりと迂回したら、ちょうどこの辺に出てきたとか」
「タイミング的にも、ありそうなことだな。前にも考えたことだが、火山の周辺の山奥が主に魔物たちを生み出しているのか、長期間こちらとは隔絶していたのか。とにかく火山活動が最近の動きに関係していることはまちがいなさそうだ」
「問題は、この先も似たようなことがあるのかどうか、だよな。噂ではプラッツを墜した後、こちらの侯爵領兵の一部が魔物の脅威を調べるために北東の方まで出向いたらしい。しかし実際には見つけられなかったらしいと」
「ある程度俺が討伐した後だからな。見てきた限りじゃ、当分大群は現れない感じだ」
「こちらも今見つけた群れを何とかしたら、収まってくれるんならいいんだが」
「何とも言えないな、そこは」
そんな会話をしながら藪の中を進むうち、やがて草よりも岩の露出が多くなってきた。あちこちに大小の岩が土中からそびえ立ち、大きく起伏しながら徐々に登り坂ふうになっている地形が続く。
その岩の間を抜けて登っていくと。
いた。
多数の岩に囲まれてやや窪地になった一帯に、件のトカゲの魔物が。
目につくだけで、二~三十匹はいるだろうか。向こうの大岩の陰から、まだまだ何匹も這い出し数を増してきているようだ。
見た目は、トーシャの話の通りだ。
遠目には、ワニのような外観。頭部だけは地球で南方の島にいるナントカオオトカゲといった感じ。その辺詳しくは、テレビに出てくる天才小学生動物博士のような知識はないので、よく分からない。
それにしてもテレビではたいてい必ず『天才=丸暗記知識が豊富なこと』という定義での扱いになっていたようだけど、これ、一般的に通用するものなのだろうか。
――いや、今さらどうでもいい疑問だけど……。
とにかくも、いかにもな見た目爬虫類の魔物がうじゃうじゃ群れている様子は、気持ちのいいものではない。肉食の危険性を別にしても、女性の大部分は遠目だけで震え上がるのではないかと思う。
確かに体長二メートル以上はあるようだ。そして少なくとも全身の上部、つまり背中側はびっしり頑丈そうな鱗で覆われている。
またこれも前情報の通り、歩みはのろい。
数十メートル離れたこちらから見ていて、じれったくなるほどゆっくりとこちらに向かってきている。ぼんやり観察していると、まったく移動していないのではないかと錯覚してしまいそうだ。
ただ、素速く動く箇所もある。これも話に聞いた通り、一匹残らず開閉する口から覗き出した、舌だ。
前世のカメレオンがどうだったかは覚えがないが、こいつらの舌はひっきりなしに数十センチの長さで出し入れをくり返しているらしい。
観察を続けていると、いきなり端の一匹の舌が高所へ向けてひときわ長く伸びた。
岩の上に止まった小鳥を捕獲したらしい。二メートルほども伸びた赤い舌が小さな緑色を捕らえ、一瞬で口の中に収めていた。
ふうん、と頷く。
「確かに、トーシャの話の通りらしいな」
「だろう?」
「さしあたっての危険は、あの舌だけか。火を噴いたり酸を飛ばしたりなどの攻撃はないんだな」
「そこまで長時間観察したわけではないから、絶対ないとは言えないがな。少なくとも昨日の観察と一、二匹を相手に剣や岩落としやを試した限りじゃ、そんなのはなかった」
「その程度対敵しても出さないってことは、そういう攻撃法はないと思っていいんだろうな。まあもし万が一そんな奥の手があったとしても、『収納バリア』を常時発動していれば、僕たちだけなら心配はない」
「だな。だから気をつけるのはあの舌と、横や後ろから近づくときは尻尾の攻撃くらいだ」
「なるほど、舌と尻尾だな。そいつは『バリア』で防げない。トーシャなら、どちらも回避できるわけか」
「ああ。だが、全身の動きののろさに比べていきなり来るから、とにかく油断禁物だ。新米の衛兵とか、戦闘の経験が乏しい奴だと危ないかもしれない」
「ということは、僕は近づかないのが賢明ということだな。約三メートル距離をとれば、安全圏か」
「そうだな」
そんな会話を交わす間にも、魔物の群れはほとんど近づいたという実感がなかった。
しかし周囲の岩の佇まいと比較すると、まちがいなく前進はしている。
見えている数も最初より増えて、もう五十匹を超えているのではないか。
先の岩陰から、まだまだ這い出しが続く。本当に、百匹程度はいるのだろう。
ゆっくりながらも確実に街へ向けて進行しているということは、疑いないようだ。
何匹かの個体は、大きく頬を膨らませてもぐもぐとばかりに口を動かしている。ノウサギか何かを丸呑みにする途中なのかもしれない。
本当にゆっくりした歩みだが大きな川のように着実に流れ、近づいた生き物はすべて呑み込んでいる、という虚実不明の映像が連想される。
津波のよう、とまではいかないにしても、濁流のように、というくらいの形容はできそうだ。直接の勢いはそれほどでなくても、確実に何もかもが呑み込まれてしまいそうな恐怖、というか。
話の通りなら、落し穴でも岩を落としても壁で囲んでも、この進行を止めることはできないということになる。
火でも水でも無理らしい。とてつもない規模のものならどうかは分からないが、周囲に大災害を起こしかねないので、案としては却下だろう。
「こちらから見えている鱗に覆われた上面が剣を通さないというのは、今さら確かめる必要もないだろうな。トーシャの持つ神様謹製の剣で歯が立たなかったわけだ」
「ああ」
「裏側、腹の方は試してみたのか? 勘違いかも知れないが、ワニのイメージなら背より腹の方が弱そうな気がするんだが」
「それはしていない。岩落としや落し穴なんかを試しても、裏返しにすることはできなかった」
「じゃあまず、初めはその確認からか」